紡ぎ音

モラルハラスメントとの出会いをきっかけに様々なことを迷走中

【幸せ恐怖症】

2006年12月10日 16時36分12秒 | 記録


ついこの間まで 自分の生育暦を思う時 何かと問題のある家庭ではあったものの
それなりに普通に成長してきたと思っていました。

誉められた生き方・誇れる生き方ではないかもしれないけれど 
自分なりに精一杯頑張ってきたつもりでした。

反面 いつも心の奥底に重たいしこりがあるような気がして でもそれが何なのかがわからずにいました。自分の決断に後悔はしていないのに いつも罪悪感じみた感情が伴なうことに納得が出来ませんでした。

真正面きって「これが私!」と言い切れない自分に不満と居心地の悪さを感じていました。これが私!と言い切ってはみても 心の奥底にそれだけじゃない何かがある気もして
本当の自分という存在のバランスをとりあぐねていました。

でも そんな自己不全感は 完璧な人間がいない以上至極ノーマルな感情なのだと考えてもいました。

このところ読んだ数冊の書籍から 私が”今の私”になった所以が幾つか納得出来た気がします。その【気付き】を少しずつでも記事に残しておこうと思いました。



【幸せ恐怖症】
幸せ破壊行為を続けながらも本人にはその自覚はなく 反対に自分は良かれと思ったことを一生懸命にやっている。ところがこの「良かれと思ったこと」が幸せを破壊する行為だったりする。


最初は何のことやらサッパリわかりませんでしたが この言葉に”今の私”が要約されているのかもとさえ思います。


結論からいうと【私は親に愛されていない子供であった】ということです。


私が親( 特に母 )から受けたのは【愛情】ではなく【呪縛】
この事実はかなりショッキングであり信じ難いことではありましたが やはり事実だと思います。

事実を知ったことはセンセーショナルな出来事であり 一方 どこか肩の荷が下ろせたような安堵感もあります。そして不思議なことに「私…生きてていいんだ…」そう感じた自分がいました。

【親に愛されていなかった】なんて書くとものすごく被害妄想的な感じですが 呪縛に囚われた幸せ恐怖症の人には ”愛されていなかった現実”を認めることが前進へのキーワードとなるようです。


またここでいう【親に愛されていなかった】は現実でありながら そこに登場する人物は
 ● 普通に子供を愛し慈しんで育ててきたと思い込んでいる親
 ● 盲目的に親からの愛情を乞い・親からの愛情を信じ続ける子
という 加害者も被害者も存在しない関係の上に成り立ってもいるようです。

そしてこの歪んだ親子関係の諸悪の根源は【親からの嫉妬】だともあります。

「嫉妬???それも親から?…どーいうこと?」
幸せ恐怖症の言葉を見た時同様 やはり最初は全然ピンときませんでした。

「嫉妬」の内容を読み進めていく中でも 自分のこれまでを振り返れば 
「一見どこでも同じようなモンじゃないの?こんな親子関係なんて…」
とも思えたのですが それ 全然”どこにでもあるもの”ではなかったようです。

幸福感を持った親は子供に嫉妬などする必要はないですものね。納得。


現時点 モラ夫との今後が最重要課題ではありますが 
それ以前に自分のアンバランスさ生きづらさ克服が必要不可欠であると感じ 
記事という形にしてみつめてみようと思っています。







【記録5】 インナーマザー

2006年12月09日 22時59分14秒 | 記録


第5弾 ↓

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母に対しずっと「アンタとなんか同じになるのは絶対に嫌!」と言うほどの嫌悪感が私の中にはある。


【インナマザー】内なる母

私が今まで何かを決断する際 または迷っている時 最後の最後に聞こえてくるのは他の誰でもない母の声だった。自分がどうしたいかよりも または こうしよう!と決断しても 最後の最後には「母ならこう言うだろう」と考えてしまうのだ。そして 自分の決断よりもその母の声に忠実であろうと考えてしまう私がいる。

そんな自分をとても嫌悪している。


その反動なのか この【母の声】に気付いてよりその後 母が言うと思う・母の希望するだろうことの真反対の行動することが正しいと考える というか そうせずにはいられない私になった。

「母ならきっとこう言うだろう。だから私は絶対そうしない」


離婚もそう。子供を夫に託したのもそう。
子供の件はこればかりではなく…私には育てる資格がないという脅迫観念じみた感情が大いにあって…これもまた 私の生育暦にも関係してるらしいということもわかり そんなこんなで更に母に対する嫌悪感は増幅するばかりな今日この頃。


この離婚問題以降が私にとっての反抗期にあたるのかもしれない。


それでも離れて暮らしている分にはさほど亀裂を生じる関係に至らなかったのだが 20数年ぶりに共に暮らし 子供時代と変わらぬ支配を振り下ろそうとする母に敵対心満々な私と そんな変化を知る由もなく”従順で親思いな娘”しか知らない母とが共に暮らすのはそりゃ当然無理が出てくるわけで。

母にとっては何が何だかわからない状況だろう。
私がこの歳になって 母とは・親とは・家族とは…なんて思い悩んでるなんてことは想像だにしていないだろう。当たり前だけど。


子供の為に自分を犠牲にしてきたと豪語するような彼女にしてみれば ワケがわからないけどただただ反抗的な 今まで見たこともないような娘に映るはず。当然 締め付けも厳しい。

あてつけ・ほのめかし等で「私に忠実であれ」と仕掛けてくる。”子供じゃなくなってしまった私”が動じないと更に激しく仕掛けてくる。ドンドンどこまでもエスカレートしそうな勢いだ。


私はもう彼女に盲目的に従順になることはあり得ない。でも そんな私を生きようとすれば彼女は間違いなく私を潰すだろう。とても親っぽく 愛情たっぷりっぽく 優しい母の顔をしつつ。

…そう。子供の頃と同じように。

そして 私もまた どんなに抗ってみたところで結局は彼女に飲み込まれ潰されるのだと確信する。

一緒にはいられない 彼女とは。


どんなに抵抗してみたところで 私はずっと彼女に操作されてきた身。そう簡単には根付き染みついてしまった枠を取りハズす事は出来ないんだろう。

”大人になったはずの私”は 大人になってなお”子供時代の私”に勝てないのかもしれない。


んじゃ~逃げろだよね 大人の私。離れたらいい。
もう離れたくてもどこにも動けない私じゃないのだから。

誰もいない静かな湖で暮らしたいと思えば暮らすことも出来る大人になったのだから。


【記録4】 寂しさ?

2006年12月09日 22時51分40秒 | 記録


第4弾 ↓

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寂しい 前夫と居た頃は常に感じていた感情。
モラといて私は寂しいなんて感じたことがあっただろうか?

心がどうにも通じないのだから 普通の人間関係・夫婦関係によらず”解かり合いたい”というような観念からいえば 会話さえ成立しないモラとの関係においてこそ本来なら感じる感情なのではないかと思うのだが。

…私は寂しさを感じてなかったのかも?


多分 前夫との関係が破綻した時点で【わかり合える】なんてものは幻想に過ぎないと どこか諦めきった感がある。

今にして思えば だけれど。



書籍等で知るにつけ 私はやはり紛れもなくACなのだろうと思われる。

我が家は機能不全そのままじゃないかと散々思い知る。
親との関係だって こりゃACにならずに何になる?ってな具合だ。



【共依存】

「この人は私がいないとダメになる」そう思い込んでいる女性にセットでダメ男の存在。

そんな状況が多いとあるが 私はモラに対し「私がいなきゃこの人は」などと思った試しがない。逆に「私がいなきゃいないなりに楽しく暮らすだろう この人は」って感じ。


母はずっと「子供の為に離婚を我慢してきた」と今尚豪語すると以前に書いたが いつだったか母に訊いたことがあった。

「どうして父さんと別れなかったの?」と。
「あの人は私がいないと本当にダメになると思ったから」と母。

さすがに面と向かって「アンタのせいだ!」とは言えなかったのだろうと思ってきたが これとて今なら彼女の本心だったろうとすんなり理解出来る。彼女も立派に【共依存】

確かに彼女は父をある意味支えてきたが 彼女とて別の場面では父なしでは生きられない 何かの事務処理ひとつ出来ない とても依存しきった女だったのだ。


私は共依存なのか?
少なくとも「私がいなきゃ」というよりは そして「彼がいなきゃ」でもなく 「いてくれたほうがいいかも」程度なのだが。







【記録3】 死というお守り

2006年12月09日 22時42分06秒 | 記録

第3弾 ↓

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蝉ころんさんの少し足踏みを拝見しての記事上げです。


それがいつの頃からなのかはわからなけれど 私にも【死】はいつも隣にあり
身近な友達であり お守りみたいなものだった。

「最後には死ねばいいだけのこと」

そう思うことで明日を生きていく為の糧にして過ごしてた日々が確かにあった。
…多分 学生時代・親の庇護の元で暮らすしか術のない頃 一番顕著にそう
感じていたようにも思う。

一方 社会人となり・一人暮らしを始め結婚するまでの期間に【死】を
意識したことはなかったようにも思う。

大人になって再び【死】を意識したのは 前夫との結婚生活に問題が起こり 
それをどうにも解決出来ずにいた時だった気がする。


でもこれらのことすべて 今回蝉ころんさんの記事を拝見するまでまったく”忘れていた部分の私”。きれいサッパリ忘れていた記憶。


先日 TVで夜回り先生(水谷先生)の番組を偶然見かけ 年頃の子を持つ母としての視線で
「リストカットねぇ…ふぅ~ん」なんて観ていたわけだが その時にも【死】を常に意識していた自分を思い出すことはなかった。



モラと生活してる頃 モラの話を聞いていて
「貴方と話していると死にたい気分になるからやめて」と言った。

地震が怖いよね~なんて話をしながら
「今すぐ地震が起きて このまま全部終われるならそれがいい」と思っていた。


こうしてみると いつの時にも私は【死】を隣に置いていたのにも関わらず
その自覚はないようだ。



先日 モラとの今後( というより自分の行く先 )をぼんやりと考えながら 
無意識に手首を眺めている自分にハッとした。

…そっか…そうだった…私は何度もこうして手首眺めて暮らしてきたんだった…。
忘れてた。自分が手首眺めながら暮らしてきたことを。

実際に手首に包丁をあてたことだってあったのに 忘れていた。
そして今また無意識に 何の自覚もなく手首を眺めて暮らしていることにさえ気付いていなかった。


そしてそして この期に及んでもまだ子供時代の【死】をお守りにしていた自分を思い出してはいなかったのだ。

これっていったいどういうことなのかと考えてみた。



ブログ上にて子供の頃を書いてみたが そこに見える私は どうやら親に自分の意志なんて無視された形で成長し 結果 自分の意志を発する・表現することに何の意味も見出せない人形にも見える。

私が死んでも親はそれなりに悲しむだけで だからといって詰まるところ何も変わらないだろう。そう思っていたように思う。死に対する罪悪感なんてさほど感じていなかったとも思う。

罪悪感も感じずに何の違和感もなく【死】を身近に置いていた。
つまり さほど意識する必要のない感情だったから簡単に記憶からも消えていたのではないか。

そう思う一方で

自分の感情は意味なし むしろ自分の感情を晒すことで傷つくのは自分と考えていた私が 無意識ながらも本心を覆い隠す術を身につけていたとしてもさほど不思議はないように思う。




私が今 一番見えてないのは私自身?

モラとの出来事も記憶に置いてないことが多々あると知った。
自分が常に死にたい自分であったことも忘れていた。

そう考えてみると 私は何より一番に私自身の本心を隠して見ない振りしてきたのだろうか…?
だから今尚いつまでもこうして”自分がどうしたいのか”がわからないのだろうか?

「自分を大切に」
「自分に正直に」
「自分の為に」

自分自分と言われる度に立ち止まり ホトホト困り果て 途方にくれる。


 
何も感じないことで身を守ってきた…?
今もってその癖は脈々と私の中に流れ続けている?
だから肝心な事すべて意識下に追いやられている…?

・・………………これって…どこかで見た思考回路そのもの…じゃ…ないの…か…???


 





【記録2】 初めての相談

2006年12月09日 22時38分06秒 | 記録


第ニ弾 ↓

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私は子供時代の話・自分の生い立ちを誰かに話す経験がないまま大人になった。
前夫とは長い付き合いではあったが その中でもただの一度もその手の話しはしたことはない。そして 友人たちともこの件に関して何も話したことがなかった。

そもそも自分の生育暦を誰かに話したい・聞いて欲しい・相談したいなんて意識があっただろうか?…そんなこと もしかしたら思いもつかなかったのかも?

子供なんて自分の与えられた環境がいかにおかしくても 自分の置かれた環境こそが
常識であり日常なのだから。

それに加えて 子供の頃から私は常に相談される側の立場であり 自分が誰かに相談するという発想がなかった。相談したところで何も解決されるとは思えなかったし 結局は自分で決めるしかないのだとそう勝手に決めつけていた。

誰もアテにせず自分の殻に閉じこもり 自分のことは自分だけで決めていた。



私が初めて人に相談というものを持ちかけたのは モラ夫との生活に疲れヨレヨレになり
駆け込むような形で受けた電話相談でのこと。

そしてその後 電話相談の際に薦められた自助グループに参加した。

そこに集う人たちは皆DVに悩む人や すでに離婚・別居したものの心に大きな傷を持った人ばかりだった。見知らぬ人ばかりなのにも関わらず そこにいる誰もの心が共有されているような不思議な空間。何度か通ううちに 人と人との繋がり・人と繋がることの心地良さを信じることが出来た気がする。

この不思議ながらも安息を実感できる空間を知らずにいたら
いくらネット上の世界といえど 自分を晒す覚悟は今の私にもなかった事と思う。



そんな私だったけれど モラには話すことが出来ていたのを思い出したのだ…。

母と姑の事 ギャンブル狂の父の事 借金の事 子供の頃に感じていた理不尽さ
妹との待遇の差 etc。

今まで話したくないというわけでもなかった。
隠しておきたいこととも思っていなかった と思う。
敢えて言うなら【話したいと思った事がなかった】 だろうか…。

じゃあ…どうしてモラには話したんだろう…?

何も気負うことなくごく普通に隠すことなく話した。

…何故だろう?









【記録1】カウンセリング

2006年12月09日 20時31分29秒 | 記録


ひとつ吹っ切れ ひとつ落ち込み。そんな毎日な今日この頃。


最近読んだ数冊の書籍にて今まで自分の中に澱んでいたアンバランスな感情に
少し整理がつきました。
この機会に今までに書き上がらなかった記事をUPしておこうかと思います。


これらは まだ私自身が心の奥底から湧き上がる感情の不可解さに気付く前で
今の心境とはまた少し違うのですが 今手を加えると”この時に感じた感情”に
ズレも出てきてしまいそうなので 書きあがらないままの不完全な記事ですが
こういうことも考えてたんだなという記録の意味で残しておこうと思いました。



第一弾 ↓ です。


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人に…他人に批判拒否されることは何てことないと思っていた。
所詮そんなもの。そう諦めていたから。

何を言われようとどう思われようと関係ないって思ってた。
そんなことで私は傷ついたりしない。
関係のない人から何を言われてもどう評価されようと痛くも痒くもなかった。

痛くないわけないのに。痒くないわけないのに。
本当はすごく…ものすごく傷ついてたはずなのに見ようとしなかっただけなのかもしれない。

感情を抑圧する癖が自分にはあると気付いてより後 そんなことを思ったりしている。
事実はどちらかわからないのだけれど。




私は”自分が評価する人”にだけ認められたらそれだけで満足出来た。
誰か一人だけでいい。
その一人が私を認めてくれてるならそれだけで十二分に満足だった。

反面 その人に言われる一言は私を打ちのめす。
立ち直れないほどに打ちのめす …のだけれど。



精神科に初めて罹った時 生育暦から家族構成から何から何まで
本当にこんなことまで晒さなきゃいけないわけ?というほど訊かれた。

そこまであからさまに まして丸々の他人に自分をさらけ出すことになろうとは
想像だにしてなかった。

こんなに事細かに自分のことを話すなんて 多分 ここに来なければこの先もないだろな…そんなことを思いながら話していたように思う。

ものすごく抵抗があった。とても勇気のいることだった。

それでも当時かなり参っていて藁にもすがる思いで辿り着いた場でもあったので
それこそ清水の舞台から飛び降りる程の勇気で( 大袈裟か? )自分を吐き出した。
ありのままに。


対照的に( プロとして当然ながら )私の話を淡々とニコニコと相槌を打ちながら聞くナース。まだ若いだろう彼女相手に話ながら いつしか妙に心和み安心し開放される自分を感じていた。いつの間にか先程までのドキドキやガクガクやザワザワが消えていた。


自分をありのままに言葉にし それを何の否定もなく受け止めてもらえる心地よさ。
「…これっていったい何なんだろう…?」
今まで経験したことのない心地よさだった。


とはいえ 医者とはどうにも相性が会わないと感じ 結局ここは数度の通院で
止めてしまったのだが。



今 私にはカウンセリングが有効なのかもしれないと考え始めている。

…でもねぇ~カウンセリングってお高いわよね~。
一度で済むならまだしも時間もかかる話だし (-_-;)
相性もあるらしいし… 結局はすべてお金ってことなのかしらん…。


なんてここでもまたグダグダしてしまふ。トホホ。