ついこの間まで 自分の生育暦を思う時 何かと問題のある家庭ではあったものの
それなりに普通に成長してきたと思っていました。
誉められた生き方・誇れる生き方ではないかもしれないけれど
自分なりに精一杯頑張ってきたつもりでした。
反面 いつも心の奥底に重たいしこりがあるような気がして でもそれが何なのかがわからずにいました。自分の決断に後悔はしていないのに いつも罪悪感じみた感情が伴なうことに納得が出来ませんでした。
真正面きって「これが私!」と言い切れない自分に不満と居心地の悪さを感じていました。これが私!と言い切ってはみても 心の奥底にそれだけじゃない何かがある気もして
本当の自分という存在のバランスをとりあぐねていました。
でも そんな自己不全感は 完璧な人間がいない以上至極ノーマルな感情なのだと考えてもいました。
このところ読んだ数冊の書籍から 私が”今の私”になった所以が幾つか納得出来た気がします。その【気付き】を少しずつでも記事に残しておこうと思いました。
【幸せ恐怖症】
幸せ破壊行為を続けながらも本人にはその自覚はなく 反対に自分は良かれと思ったことを一生懸命にやっている。ところがこの「良かれと思ったこと」が幸せを破壊する行為だったりする。
最初は何のことやらサッパリわかりませんでしたが この言葉に”今の私”が要約されているのかもとさえ思います。
結論からいうと【私は親に愛されていない子供であった】ということです。
私が親( 特に母 )から受けたのは【愛情】ではなく【呪縛】
この事実はかなりショッキングであり信じ難いことではありましたが やはり事実だと思います。
事実を知ったことはセンセーショナルな出来事であり 一方 どこか肩の荷が下ろせたような安堵感もあります。そして不思議なことに「私…生きてていいんだ…」そう感じた自分がいました。
【親に愛されていなかった】なんて書くとものすごく被害妄想的な感じですが 呪縛に囚われた幸せ恐怖症の人には ”愛されていなかった現実”を認めることが前進へのキーワードとなるようです。
またここでいう【親に愛されていなかった】は現実でありながら そこに登場する人物は
● 普通に子供を愛し慈しんで育ててきたと思い込んでいる親
● 盲目的に親からの愛情を乞い・親からの愛情を信じ続ける子
という 加害者も被害者も存在しない関係の上に成り立ってもいるようです。
そしてこの歪んだ親子関係の諸悪の根源は【親からの嫉妬】だともあります。
「嫉妬???それも親から?…どーいうこと?」
幸せ恐怖症の言葉を見た時同様 やはり最初は全然ピンときませんでした。
「嫉妬」の内容を読み進めていく中でも 自分のこれまでを振り返れば
「一見どこでも同じようなモンじゃないの?こんな親子関係なんて…」
とも思えたのですが それ 全然”どこにでもあるもの”ではなかったようです。
幸福感を持った親は子供に嫉妬などする必要はないですものね。納得。
現時点 モラ夫との今後が最重要課題ではありますが
それ以前に自分のアンバランスさ生きづらさ克服が必要不可欠であると感じ
記事という形にしてみつめてみようと思っています。