怖かったですね。
あれほど大きな地震は、過去に記憶のない恐ろしい体験でした。
地震の起きた際、預かり保育や課外教室など、園にいた子どもたちは、約50人ほどでしたでしょうか。
地震の直後、関係者を含め、近隣から避難してきた方々と園庭の真ん中に非難。
広場にブルーシートを張り、ラジオをかけ、再度の余震に備え、念のためテントを。
気温が下がるにつれて、子どもたちは毛布に包まっていました。
2時間後位でしょうか?
落ち着いてきたところで、おひさまハウスを二次避難場所と指定。
平屋で、ソーラー蓄熱のため、停電になっても比較的暖かい空気が地下の蓄熱コンクリートから床を通して出てきます。
帰宅できない父親を待ちつつ「赤ちゃんと家に戻るのが怖い」と言う母親もいらっしゃいました。
万が一、両親ともに帰宅できず、泊まりを余儀なくされた場合の対策など検討しつつも、無事に引取りが完了。教職員以外は、無事に各家庭へとお帰りになりました。
一連の流れの中で、「一番人がいる状況で、もっと大きな地震だったら…」。
それが頭から離れず、シュミレーションしていたんです。
その後、当時、建物を設計した方も駆け付けてくれました。
園舎は、外装の塗料に若干ひびが入ったり剥がれ落ちた程度。各教室の天井は「釣り天井」なので、落下もなし。躯体の異常も見られないとの事。近隣の路上では水道管の破裂なども見られたため心配し、漏水やガス漏れはないかとメーターなど確認しましたが、幸いにして異常はありませんでした。
私事ですが、気仙沼には先輩と後輩が。過去、合宿でお世話になっていた名取の方々は大丈夫だろうか?
未だ、被災の酷い地域への心配は尽きませんが、感じたことは、いつ何時も、まずは、自分の身を守れる自分を作ること。
そうすれば、困っている人を助けられます。助ける側の負担も軽減されます。
誰もが、そう心に刻んでおくことで、万が一の際の対応力は増すのでしょう。
園においても、「何が必要だったか?」「何が必要となるのか?」教訓を最大限に生かす心がけを忘れないようにしつつ、人と人との助け合い、地域防災力の向上を願うとともに、引き続き、園としても有事の際には協力したいと思います。
今後もしばらくの間、地震の余波は様々なところで出るかと思われますが、突発的な震災の上、様々なご理解とご協力、また、お力添え、よろしくお願いいたします。