眺めのいい部屋

人、映画、本・・・記憶の小箱の中身を文字に直す作業をしています。

『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』

2010-02-02 18:15:31 | 映画・本
長すぎる「ひとこと感想」その2。


メモには「とにかく、凄い映画を観たと思った。」と。(あまりに「凄い」ので、またまた感想が書けなかった1本だから当然?)

第2次大戦後の高度成長期のアメリカで、「生産」活動の歯車の一つとなった人たち、或いはその消費を支え、歯車の再生産?を受け持つことになった女性たちが感じていた重たい雰囲気、息詰まるような苦しさを、私は映画や小説で何度も見たことがある。けれど、それがどういうものなのかは、実感としては今ひとつピンと来ていなかった。この映画は、そんなアメリカの50年代の様子を「映像」全体で見せてくれたのだと思う。監督がイギリス人(外国の人)というのも、その見せ方の冷静さ、距離の取り方に感じられる気がした。

ヒロインに共感できるかどうかで、観た人の好き嫌いが分かれそうな作品だと思い、実際その後ネット上で読んださまざまな感想も、そこできれいに分かれているように見えた。私は彼女の追い詰められ方がよくワカルというか、現在の生活からの「脱出」を必死で求めている気持ちに共感するものがあった方だ。

周囲が当然のこととして期待する役割に自分を合わせることが出来ない、それが自分のシアワセと感じられない場合、そういう生活を長く続けることは、時としてその人を少しずつ殺していく過程になることがある。

人は無意識にもその危険を察知して、そこから逃げようとする。生き物としては当然のこと。子どもがいようと、非常識と言われようと、人は本来の自分を手放すことがどうしても出来ない場合があるのだと私は思っている。

しかしこの映画では、紆余曲折の揚句、ヒロインは「自分」にサヨナラを告げたように私には見えた。大木に寄りかかって、彼女が何を思ったのかはわからない。しかし、そうして夜が明けた後、穏やか?な表情で夫に朝食を用意するヒロインは、私にはもう元の彼女には見えなかった。

若い夫はもちろん彼女の変化が意味するものが掴めず、動揺しながらも「とにかくこれで治まったのだ。」と判断する。これも当然の成り行きだろう。

私は「そこで自分を殺してしまってはダメ!」と、叫びたかった。彼女がここで下した決定の深刻さが見て取れたからだ。彼女は、それでもなんとか現実を生きて、そのうちにまた考え方、感じ方が徐々に変わっていく・・・といった人には見えない。このままではこの人は、早晩人生が本当に終わりかねない・・・そんな人なのに。

それでも、最後に彼女が実行することを、私は予測できなかった。彼女は(恐らくは彼女なりの責任の取り方として)その時の自分に出来ること、自分にしかできないことを実行したのだけれど。

私はそんなこともせず、(少しずつ死にながら)今の生活をこれまでの成り行き通りに続ける人生を、彼女が選んだのだと思っていたのだ。(つまり、私ならそうする・・・ということなのかもしれないと思うと、それはそれで、自分という人間が透けて見える。この映画では、ヒロインが選択を迫られる度に、そういう瞬間を何度も経験させられた。)

主演二人(K・ウィンスレット、L・ディカプリオ)が演技力のある俳優さんたちなので、他の人が演じたら「ちょっと考えの浅い若い夫婦」にしか見えなくなるかもしれない役柄を、陰影(説得力?)のある人物像として演じていて、後半は息詰まる思いで観ていた。この映画と『愛を読むひと』に立て続けに主演したK・ウィンスレットには凄い女優さんだと感嘆!している。




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 荒野へ ・・・・・ 『イン... | トップ | 『接吻』 »

コメントを投稿

映画・本」カテゴリの最新記事