眺めのいい部屋

人、映画、本・・・記憶の小箱の中身を文字に直す作業をしています。

父親だけじゃないかも・・・ 『そして父になる』

2014-06-08 15:18:37 | 映画・本

ごく個人的な「ひとこと感想」その17・・・って、結構長くなってしまいました(どうぞスルーなさって下さい(^^;)


メモにはひと言、「私はこの映画の父親(福山雅治の方)と同じような経験してるな~なんて思った」。

この映画は、たとえばチラシなんかで見ると、産科での「赤ちゃん取り違え」 の話であり、現代日本での「子育て」の話でもあり、もっと広く「父親と息子」の話でもある。私も観ている途中までは、そういったテーマの下に紡がれる物語を見せてもらってる気がしていた(と思う)。

ところが話が進むに従って、この映画は(タイトルからして当然かもしれないけれど)この父親の「人間」としての成長物語なんだな・・・という風に見えてきた。確かに「そして、父になる」話ではあるのだけれど、別に父親に限らない気がした。(帰宅直後のメモにある言葉はそういう意味だ)

大手企業の社員で都心の高級マンションに家族と暮らすこの父親は、ある日突然、6歳になる一人息子が実は取り違えられた他人の子だと知らされる。そういう「あり得ない」筈の事実と強制的に向き合わされた彼は、ショックを受け、怒り、しかし一方で、息子の優しすぎるような性格に物足りなさを感じていたのは当然・・・と、どこかでやや納得もする。勿論、彼以上に?ショックを受けている妻との間では軋轢も起きる。妻は息子を本当に可愛がって育ててきたのだ。

相手の側は、群馬で小さな電器店を営む夫婦だった。それでも双方の親たちは、戸惑いながらも少しずつ交流するようになり、病院の勧めに従って互いの「育ててきた息子」を「血縁の息子」と“交換”する。それは決して無理矢理ということではなく、お互いにとっていちばん良い道を探るため、“試し”にやってみたことだったのだけれど・・・


映画は、脚本も描写の仕方もとてもきめ細やかに見える。その分、観る人によって、興味を惹かれる部分もその受けとり方もさまざまだろうな・・・などと思う。

私が一番驚いた(「同じ経験をした」と感じた) のは、父親が育ててきた息子について、「お前は本当に優しいんだな・・・」と、初めて(本気で?)気づいたシーンだった。

その子が自分の実の息子だと信じて疑わなかった頃には、「気が弱くてちょっと物足りない」と感じていたその性格について、「血が繋がっていない他人」と知って初めて、相手を(自分の一部でもなく目下でもない)一人の子どもとして見ることが出来た、そういう「眼」をその子に対して持つことが出来た瞬間・・・そういう風に私には見えたのだ。

こういった瞬間は、実の親子の間でも(それが母親でも)起きることがあると思う。過去に私が経験したのは、下の息子(当時10歳くらい)との間でだった。

子どもについて、何か「あり得ない!」と思うほどの出来事があると、それまでの「自分の子」という把握の仕方ではもう間に合わなくなる?ことがある。赤ちゃんの頃の取り違えもそうだろうし、もしかしたら子どもの大けがや大病でもそうかもしれない。私の場合は、10歳の子どもが(追い詰められて、あるいは精神的に傷だらけになったせいで)部屋から全く出ようとしなくなった時だった。

それまでの自分の「解釈」ではとうてい理解出来ない事態を前に、自分が子どもにちゃんと眼を向けてこなかったことが、否応なしに判ってくる。眼の前の子どもが、(自分にとっての)それまでの子どもではないことを見せつけられ、「このヒトのことが自分は全然見えていなかった」「このヒトは、本当はどんな人(たとえ子どもでも)なんだろう」という気持ちが湧いてくる。それを知らずにはもう一歩も前に進めない・・・事態の切迫がそう感じさせる。

そういう風に、親の立場にある者(というかまだしも余裕の残っている方?)から、そっと近づいて、相手の様子を見ようとする・・・何が見えてこようと、見えてくるモノをできるだけ「理解したい」と本気で思う・・・そうなって初めて、それまでは見えてなかったリアルな人間(子ども、息子)が、ほんの少~しだけ見えてくる(ような気がする)。

今振り返っても、私にとって下の息子との多少なりともリアルな?関係が出来はじめたのは、その頃のことだったと思う。「このヒトはこんな人だったのか!」というオドロキだったり、「こんな人だったんだ・・・」という納得のようなものだったり、そんな小さな発見・瞬間が、相手の人間像をほんの少しずつリアルにしていった・・・そんな毎日だった気がする。

そしてそれは、自分や自分の親との関係などを自然に見直させる(というか「把握」し直さずには済まない?)時間・歳月にもなった。「そして、親になる」という以上に、「そして、人間になる」?とでもいうような。


ただ・・・正直なことを言うと、映画については、私はあの終盤のクライマックス?とも言うべき父親の告白(息子と並んで、しかし別々の道を歩きながらの「散歩」) は、ちょっと余計な気がした。

この映画が、ある若い父親の「人間としての成長」を描いた作品だと思ったのは、あの「散歩」のせいでもあるのだけれど、あれは子どもの側から言えば全然自分と関係ないようなこと・・・と私などは感じてしまう。子どもはそれを黙って聞いてくれる生き物なので、オトナ(特に親だの祖父母だのといった家族)はつい「告白」だの「反省」だのをしてしまう。本気で言うことなので、それが相手とのコミュニケーションになるような気もするからだけど・・・今の私から見ると、それはオトナの思い込みというものだ。

あの優しい息子にとっては、たとえば父親が自分をぎゅっと抱きしめてくれたら 、それで十分だったんじゃないか・・・あの「告白」を黙って聴いていてくれたことこそ、あの子の賢さと優しさなので、それは別に、「父になる」ために必須というようなコトじゃないかも・・・そんなことを考えた。(大体、この父親は私の眼には、欠点があっても十分良い父親に見えたので、余計に)


(観てからずっと、気になっていた感想(のようなモノ)が書けてホッとしている。自分の思うままに書き散らしているだけだけれど、整理して書こうと思ったら多分書かないままになると思ったので。2013年に観た映画の中で、一番個人的な受け取り方をした作品かも)  

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8 コメント

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たまにはコメントを。 (chon)
2014-07-06 11:09:23
あまり映画を観ないのでコメントのしようがない事が多いのですが、ムーマさんの文章が好きで、読ませていただいてます。
この映画も例によって観てません。が、いろいろな感想をあちこちで読みました。そして、結論として「観なくていいや」となった訳です。
私はどうしてか身内に対して特別の感情というのが無い人なので、たぶん観ても解らない事だらけだろうと思ったのです。自分のものって何もないし、親であれ子であれ、夫であっても他人(人間として)だと思うから。一個の人間として見てしまうから。
ムーマさんならその辺りの事を解ってくれそうな気がしてこんな事を書いてます。
時々、感情に流されてとんでもないことをやったり、言ったりするから、自分の思い通りにならない他人を思い通りにしようとするわがままな自分がいるんですが、後ですごく落ち込んでしまいます。
すべてのものが変化していくのだから、自分だって変わるし、人も変わるし、思いも変わるし、自分が正しいと思っているように人も自分が正しいと思っているから、怒ったって仕方のないことなのに怒ってしまう。気持ちを思いやる事がなかなか難しいです。
あ~、ムーマさんに会っていっぱい話をしたいなぁ。(*´▽`*)
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いらっしゃいませ~(^^) (ムーマ)
2014-07-06 12:54:50
>chonさ~ん、

ご無沙汰しててスミマセ~ン(^^;

chonさんの仰る通り、この映画は(たぶん)chonさん向きじゃあないなあ・・・って
観た当時私も思ったのを、さっき思い出しました。
と言うか、chonさんが観たらいろいろ不愉快だったり
腹が立ったりするんじゃないかなあ・・・って。(勝手なこと書いてますね(^^;)

私もchonさんも、「自分の子どももヨソの子どもさんも同等に見える」?タイプの親だった(と当時から私は勝手に思ってた)ので
「血を分けた我が子」とでもいうような感覚が薄い・・・
chonさんの書いておられるのは、そういう意味じゃないかと。

私の場合は、「血縁」というもののダークな側面を
子ども時代にかなり経験してしまった?ということも
多分関係しているのだと思いますが。

この映画で言うなら、「その子にとって自然な」育ち方ができるように、親たちが協力したらいいんじゃないか・・・
子どもは自分を「かけがえのない存在」として大事にしてくれるオトナでさえあれば
「血縁」があるかないかは、多分それほど問題にしないだろう・・・

個人的にはそんなことを考えました。
(chonさんがご覧になったら、また違うこと仰るかもしれませんが)

>自分の思い通りにならない他人を思い通りにしようとするわがままな自分がいる

というのも、なんだかchonさんらしい言い方だと思います(^^)。
chonさんにとっては、子どもさんも含めて、「家族」も「他人」の一人なんですよね。

でも・・・私は最近、ますます厚かましくなっているのか
人間同士、意見がぶつかる、利害もぶつかる、そういうことがなくても「感情的になって腹が立つ」のは
ごくごく自然なコトのような気がして、なんだかそういう「自然なコト」は
自然なままになっている方が良い?ような気さえしてきました(^^;

どちらか片方が我慢しつづけるよりは、ずっと健康なコトだと思うし・・・なんて
腹を立てたり、言い合いをしたりした後に残る人間関係っていうのを
自分は十分体験して来なかったなあ・・・という気がするからかもしれませんが(^^;

わ~~~、自分が(勝手に)思うことばっか書き散らしてしまいました。

書き込んで下さって、ほんとにありがとう!
私もまたchonさんに会って、いっぱいお喋りがしたいです~(^o^)。
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報告とお礼に参上しました。 (ヤマ)
2014-08-12 06:40:54
ムーマさん、こんにちは。

一昨日付けの拙サイトの更新で、こちらの頁をいつもの直リンクに拝借しております。

 >私が一番驚いた(「同じ経験をした」と感じた) のは、父親が育ててきた息子について、「お前は本当に優しいんだな・・・」と、初めて(本気で?)気づいたシーン

とてもいいシーンでしたね。子育てをしている過程では、誰しもに必ず思い当たることのあるものだと感じたりする僕も、ある意味、ムーマさんと同類なのかもしれませんね(笑)。向う側に余裕があると尚更にそのような機会が増えるのか、孫たちを観ていると、しょっちゅう改めて思い直すことがしばしばあります。

基本的に「この父親の「人間」としての成長物語なんだな・・・」というのは僕も同感で、とりわけ彼自身の子供時分からの来し方に思いを馳せずにいられませんでした。

ちょうど『いとしきエブリデイ』を観たばかりのタイミングで拝借できてよかったです。
どうもありがとうございました。
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どちらもいい両親でしたね~(^^) (ムーマ)
2014-08-13 18:45:35
>ヤマさ~ん、

直リンクとご報告、どうもありがとうございます。
たった今、ヤマさんの日誌を見てきました。
あの映画をもう一度、眼の前に観ている気がしました(^^)。

子育てなるモノをしている頃、私は自分が子どもだった頃の親との関係や
さまざまな出来事を、折にふれて思い出しました。

この映画を観ていても、やはり
「とりわけ彼自身の子供時分からの来し方に思いを馳せずにいられませんでした」というのは
ヤマさんと同じです。

「親と同じことはすまい」と(無意識にでも)決心していても
「子育て」というのは、形を変えて
親と同じことを自分がしてしまう・・・という面もあるような気が、私はします。
良太も、もしかしたらそういう面があったのかな・・・なんて
映画を観ながら思ったりもしました。

それにしても、ヤマさんはお孫さんたちといっぱい遊べていいですね。
(お孫さんたちもシアワセだな~ヤマさん、絶対子どもと遊ぶの上手いと思うもん(^^))
「改めて思い直すことがしばしば」っていうの
ちょっとウラヤマシイです(^^)
返信する
御覧くださり、ありがとうございます。 (ヤマ)
2014-08-15 23:16:54
ムーマさん、こんにちは。

拙日誌、読んでくださったんですね。
テクスト拝借しなくても読んでいただけると尚うれしいのですが、ともあれ読んで「さまざまな出来事を、折にふれて思い出し」てくださり、うれしく思いました。

「親と同じことを自分がしてしまう…」ですかぁ、功罪ともに含めてってことですよね。そうなのかもしれません。自覚的には、自分の親ほどには子供の優先順位を高くはできないと感じてましたが(たは)。

孫はね~、やっぱいいですよ、エエとこ取り出来て(笑)。子どもと遊ぶの上手いとは、言われますね、確かに。ありがとうございます。
返信する
「観たら読みに行く」んですが・・・(^^; (ムーマ)
2014-08-16 13:53:10
>ヤマさ~ん

>テクスト拝借しなくても読んでいただけると尚うれしいのですが

あはは、大丈夫大丈夫~。
私、その映画観てたら必ず、ヤマさんの日誌んでますよ~(^^)。

でも最近は、新作映画はなかなか観に行けないことが多くて
「いつか観たら読みに来よう」って思ってばかり・・・(スミマセヌ)。

この『そして、父になる』ももちろん
観た後すぐ、ヤマさんの感想読みました。
でもね・・・最近はすぐ忘れちゃうの(映画の内容も読んだものも(^^;;)
なので、今回もう一度見に行って
すごーく新鮮な気持ちで読ませて頂いた・・・というわけです。
(で、観た直後に読んだときにも
あ、この辺は一緒一緒~なんて思ったのを思い出しました)

>功罪ともに含めてってことですよね。

そうかあ・・・「功」の部分もあるってことかあ・・・
「罪」の方について、私は主に感じてたんですが
確かに「功」もあるのかもしれませんね。
自分ではよくわかっていなくても。

いいことを教えて頂きました。
私の方こそ、「どうもありがとうございます」デス(^^)。
返信する
久しぶりになってしまいました (更年期)
2014-10-18 16:43:17
ムーマさん、こんにちは

「そして父になる」勿論観ましたよ
なんせ、福山もリリーさんも大好きなので
観ておかなきゃって、ミーハーな気持ちで観ました。

私も「最後がな~っ」て友達に言いましたよ(笑)
言い訳じみていて好きじゃない終わり方でした。

今更の書き込みですみません(´・ω・`)
返信する
ようこそ~(^o^) (ムーマ)
2014-10-19 12:05:00
>更年期さ~ん

福山さんもリリーさんも
適役でしたよね~。

リリーさんは、どんな役柄でも
生地じゃないかしらって思っちゃう~(^^;
福山さんは、いつ見てもカッコイイ~♪

あのラストについて「言い訳じみてる」っていうのも
更年期さんらしい?な~なんて思いました。
なんか・・・なんですよね(何なんだろ・・・アハハ)。

「今更の書き込み」なんてこと
全然ないです(ほんとにホント)。嬉しいです。

いつもありがと~(^^)。
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