戦争を語りつぐ証言ブログ

<戦争を語りつぐ60年目の証言>サイトの管理人・スタッフから、
取材の近況や関連情報をお届けします。

『原爆投下は予告されていた』(06.4.28)

2006-04-28 15:09:30 | Weblog
 最近、ある知人から入手した資料のコピーを紹介したいと思います。
 それは平成4年に光人社から出版された黒木雄司著『原爆投下は予告されていた(連日・再三の予告放送)』という本の「まえがき」です。以下、著者が了解して下さることを願って原文のままコピーします。
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 毎年8月6日、広島原爆忌の来るたびに、午前8時に下番してすぐ寝ついた私を、午前8時30分に田中候補生が起こしに来て、「班長殿、いま広島に原子爆弾が投下されたとニューデリー放送が放送しました。8時15分に投下されたそうです」と言ったのを、いつも思い出す。(253頁)
 このニューデリー放送では原爆に関連して、まず昭和20年6月1日、スチムソン委員会が全会一致で日本に原子爆弾投下を米国大統領に勧告したこと(158頁)。次に7月15日、世界で初めての原子爆弾核爆発の実験成功のこと(214頁)。さらに8月3日、原子爆弾第一号として8月6日広島に投下することが決定し、投下後どうなるか詳しい予告を3日はもちろん、4日も5日も毎日つづけて朝と昼と晩の3回延べ9回の予告放送をし、長崎原爆投下も2日前から同様に毎日3回ずつ原爆投下とその影響などを予告してきた。
 この一連のニューデリー放送にもとづいて第五航空情報連隊情報室長芦田大尉は第五航空情報連隊長に6月1日以降そのつど、詳細に報告され、連隊長もさらに上部に上部にと報告されていた模様だったが、どうも大本営まで報告が上申されていなかったのではないだろうか。どこかのところで握りつぶされたのだろう。だれが握りつぶしたのか腹が立ってならぬ。

 敗戦の責任や情報報告が全うされなかったことを強く感ぜられた情報室長芦田大尉や上山中尉は、陛下に対し申しわけない。国民に対し顔を向けられないと、生きて国には帰れず将校全員自刃すべしとの意見の大勢の中にあって、楠木正成を手本として生き抜き、時機来らば南支において旗上げして御奉公するといって別れられた精忠無私の方々であった。その方々が脱走逃亡と誤解されるので、今日まで復員後もだれにも話すことができなかった。芦田大尉は最終日に、われわれは山の中に入り山を開墾して畑をつくり、自給自足して時機を待つといわれたが、本当に生き延びておられるだろうか。
 しかも今までにこのことを発表しておれば、昭和の時代はやはり火砲機関銃などの武器をもって山に籠もっているとなれば、中国軍は(はじめの蒋介石軍にしても後の中共軍にしても)攻撃したであろう。したがって発表はできなかった。平成の時代に入り中国との関係はもちろん、全世界的にも落ちつき、もし南支の山岳地帯に今日まで生き延びておられるとするならば、拡声器でお呼び出しできるかも知れない。

 この記録は私が現在の中華人民共和国南部の広東において、昭和20年3月11日付で野戦高射砲第五十五大隊第二中隊より転属し、第五航空情報連隊情報室に勤務、情報室解散の昭和20年8月21日までの約5ヵ月間の日々を記録したものである。したがって人物名、場所名などはすべて実名実在のものである。
 最後にあっけない別れをした静岡中学の田中君、静岡商業の田原君とは、生きているうちに是非会って見たいと思っている。彼らも還暦の年をすでに迎えているだろう。
 私もようやく今年は数え年でいうと古稀となり、老の仲間に入ってゆくので、惚けないうちにと書くことにした。書いているうちに先ほども書いたように、原爆に関する報告をだれが握りつぶしたのか。なぜもっと早く終戦に持ってゆけなかったかということをいろいろと考えさせられる。とにかく人の殺し合いという戦争は人類の史上にはもうあってはならない。
   平成4年7月                           黒 木 雄 司
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続・小沢発言について(06.4.13)

2006-04-13 10:31:46 | Weblog
4/11付のインタビュー記事について感想を書きましたが、その後の情報によって靖国神社の問題はそんなに単純ではないことを知りましたので、訂正を含めて投稿を追加します。

まず靖国神社は一宗教法人だから、A級戦犯を合祀するかどうかは法人の自由であり、政府が干渉すべきことではないという説がある。憲法で信教の自由が保障されているというのが根拠になっている。
次に「分祀」という表現は不適切であること。この表現は枝分かれを意味するから、本体はいつまでも靖国神社に遺っていることになる。
参考までに私が入会しているメーリングリスト<no-more-war>の会員N・Y氏のメールから一部を拝借して転載することをお許し頂きたいと思います。

<一宗教法人の靖国神社が、A級戦犯をふくめ、誰を祀ろうが、それは自由です。また、侵略戦争を美化する靖国史観をもつのも、思想の自由です。個人が、その靖国神社を崇拝し参拝するのも、個人の信教の自由です。
 しかし、侵略戦争を公式に反省していると称している政治家、特に、首相が、侵略戦争を反省するどころか、美化している靖国神社へ参拝することについては、われわれは、反対する義務があります。首相の参拝は、侵略戦争に対する反省を、厚顔無恥にも、蹂躙しているからです。
 しかし、靖国神社を政治的に利用するために、誇らしげに、集団で靖国神社へ参拝する政治家が、たくさんいます。そのようなことをすれば、選挙で票が減って負けるというような日本社会を作ることが、no_more_war のわれわれの責任だと思います。>

民主党・小沢新代表の正論(06.4.11)

2006-04-11 09:23:08 | Weblog
 毎日新聞4/11付朝刊によれば、民主党の小沢一郎代表はインタビューの中で次のように答えた。
 靖国神社へのA級戦犯合祀について「そもそもあそこに祭られるべき筋合いではなかった。間違いだった」と改めて批判した。
 A級戦犯については「日本人に対し、捕虜になるなら死ねと言ったのに、自分たちは生きて捕虜になった。筋道が通らない。戦死者でもなく、靖国神社に祭られる資格がない」との認識を明らかにした。
 この答えを知って私は小沢氏の的を射た見識を見直した。小泉首相は戦争の実態について無知としか言えないが、小沢代表はあの大東亞戦争に対する確かな歴史認識をもっている。
 赤紙1枚で召集され戦場に駆り出された大多数の日本国民に対して、A級戦犯は明らかに加害者である。たとえばオウム真理教の麻原が死刑を執行されたあと、地下鉄サリン事件で無差別に殺された被害者と一緒に合祀されたとしたら、被害者の霊は安らかでいられるはずはない。靖国神社に祭られている戦没者たちの霊も同様であるに違いない。
 小沢代表は合祀問題の解決策として「事実上(合祀状態を)なくせばいい。(靖国神社に戦没者を記帳した)名札みたいなものがある。それがなくなればいい」と指摘している。
 韓国も中国も首相の参拝を政治問題として批判しているのはA級戦犯が合祀されていることが唯一の理由なのだから、合祀さえしなければ問題は解決するのだ。