骨董屋 青雲館

昭和の金沢、まだ子供だったころのことや、今の金沢に思うことなど、折々に綴っています。

たなばた

2017年07月08日 | 日記
子供のころ、母からたなばたの笹は犀川に流したものだと聞いた。
だが流した笹が下流に引っかかってゴミになって困るという苦情から、私たちの子供のころは犀川の河原に持ち寄ってお焚き上げのようにして燃やした。

子供の数も多く、子供会活動も盛んだったので、たなばたの日は役員の方々の先導で、それぞれ子供たちは家のたなばたをもって夕方から集まり、行列を作って校下(小学校の学区)をパレードした。
大きな笹の家や小さな笹の家、折り紙の七夕飾りだけでなく、でんぐりと言う、くるりと広げるとナスやキュウリや、いろんな形が立体的にできる飾りや、キラキラした吹き流しのついた物など、値段の高い飾りのついた笹もいろいろあった。
そんな笹を持って歩いた後には、道にいろんな飾りの切れ端などが点々と落ちていたが、今ほど車も通らず、町の人たちも子供の声がうるさいとか、町が汚れて困るといった苦情もなく、子供たちが大声で騒ぎながら行進するのを見物に出ていた大人たちも多かった。

パレードの最終地点は犀川の河原で、そこで持ってきた笹を積み上げて火をつけ、順番に燃やしていった。
願い事を書いた紙が燃え上がっていくのを見ると、子供ながらに天に届くような気がしてわくわくしたものだ。
我が家では、燃やす前に店で買ったきれいな飾りは来年も使うために丁寧に外した。だからそんな飾りを惜しげもなく火に投げ入れる子供たちを見ると、きっと家はお金持ちなのだろうと思って納得していた。

そんな行事も、子供たちが少なくなり、車が増え、環境問題が云々されるようになってなくなっていったようだ。
でも今日のネットニュースで「犀川に子供たちがたなばたを持ち寄って見せ合った」ことが書かれていたから、そんな行事もまだそれなりに続いているのだなあと嬉しくなった。