骨董屋 青雲館

昭和の金沢、まだ子供だったころのことや、今の金沢に思うことなど、折々に綴っています。

べってべって

2013年08月30日 | 日記
女の子の手遊びの一つ。
休み時間になると教室の窓側あたりで横一列になり、よくこの遊びをしていた。

最初に皆でじゃんけんをして、勝った者から順に王様、次からは家来として並んでいき、一番最後に残ったものは乞食と呼ばれる挑戦者になる。
乞食は一番下の家来とじゃんけんをして、べってべっての戦いが始まる。

「べって」はじゃんけんのパー、「くろ」はグー、「みっき」はチョキのことで、じゃんけんで勝った方が先手となり、出したのがグーであれば「くーろ、くーろ」と二回言い、次に出すものを言いながら手を出す。
出す手と違ったことを言ったら負け、相手が自分と同じものを出したら自分の勝ち、違ったものを出したら、じゃんけんの勝ち負けにしたがって強い方がもう一度先手になって繰り返す。
初めは「みっきみっき、べって」などと優雅にやっているが、そのうち熱が入ってくると「みきべって!」「べてくーろ!」などと素早い対戦になっていく。
スピードと迫力についていけないと、なかなか勝負に勝って上へはいけない。

勝負に勝った者は次の人と対戦し、負けた者はその位置に残る。順番に対戦していって最後に王様と対戦する際には一礼し、王様が勝てば次回からは二礼、さらに勝てば三礼…と、王座を守った数だけお辞儀をしてもらえることになる。
王様が負けると乞食になって一番下からもう一度対戦し、それが延々と続いていくという遊びだった。

先日六十才以上のメンバーで、久しぶりにこの遊びをやったが、皆子供のころに帰ってけっこう盛り上がった。
昔やったことのある人たちなら、ちょっとした老化防止の運動にもなって良いかもしれない。

たちこさん

2013年08月27日 | 日記
女の子の遊びに「たちこさん」ごっこがあった。

紙で作ったきせかえ人形で、売っていたのは大抵人の形をしたものと、その人に着せる服が何枚かついていた。
服には肩のところなどに人形に服をとめるための爪がついていて、それらを切り抜いて着せ替えて遊ぶ。

もっと昔は「姉様人形」だったようで、棒に日本髪を結った頭がついていて、その棒の部分を体にして和紙で着物を折って着せて遊んだようだ。

たちこさんの名称はどこから来たのか定かではないが、ハイハイ姿の赤ちゃん人形で「這う子人形」というのがあると聞いて、這うのでなくて立つ子だからたちこさんというのかなと思ったことがある。

たちこさんは一人でも遊べるが、それぞれ自分のたちこさんを持ち寄り、積み木や紙の箱などでたちこさん用の家や家具を作って、皆でままごとのようにしてあそぶのも面白かった。

初めは買ってきたもので遊んでいるが、そのうち子供のテレビ番組の主人公の格好や、絵本のお姫様のドレスなども自分で作って着せることが出来るので、それを友達に見せたりして楽しむようにもなった。

その後リカちゃんなどの人形が販売されるようになって、いつの間にかたちこさんは姿を消してしまった。
たまに同じようなものがあっても「きせかえ」という名になっていて、今ではそんな名前すら忘れられているようだ。
でも安価で、手作りの楽しさもあるたちこさん遊びは、当時の子供にとっては面白いものだった。

子供のころの遊び

2013年08月25日 | 日記
昔は今のようにゲームセンターもテレビゲームもなかったから、遊ぶのにはほとんどお金がかからなかった。

女の子はお手玉やおはじき、リリヤン、ままごと、ゴムとび、手まり、ケンパ…。男の子は三角ベースや陣取り、メンコ、ドカンなど。
それぞれ男の子、女の子の遊びとして区別されてはいたが、たまに男の子の遊びに女の子が、女の子の遊びに男の子が一緒に混ざって遊ぶこともあった。
一緒に遊べるものとしては「下駄隠し」や「兵隊さんが通る」などだが、大体低学年を過ぎると、異性を気にして遊ばなくなることが多かった。

むしろ中学や高校のころのほうが、交際のきっかけを作りたくて「ハンカチ落とし」やフォークダンスの集まりなどに参加していたように思う。

先日仕事の一環としてレクリェーションの出し物を考える際に、昔を思い出してお手玉や手まりをやって見たが、結構大変だった。
お手玉はバランス感覚や敏捷性が低下すると難しいし、まりつきはさらに体力も必要になる。これを延々と続けていられた子供のころは、随分とパワーがあったのだなぁと我ながら感心した。

石浦神社

2013年08月22日 | 日記
氏神様は石浦神社なので、お祭や初詣にはおまいりに行きます。

子供のころの初詣は、大勢でぞろぞろと拝殿の広い木の段を上がり、拝礼をした後、開け放って賽銭箱の左右にしつらえてある破魔矢やお守り授与所に分かれて下りていく格好でした。

そこで巫女さんから破魔矢を頂いたりおみくじを引いたりしていると、簡単な舞(子供でも真似できるものだったように思う)を舞った巫女さんが参拝客の方にも出てきて、頭上に福鈴を鳴らしながらさーっと通り過ぎるのが、子供心にもありがたく嬉しかったものです。

境内には「べんだい」の店が出ていて、小枝に小判や招き猫、千両箱や鯛など、いろんな福を呼ぶ飾りのついた「べんだい」を揺らしながら持ち帰るのも楽しみでした。

その後、ぞろぞろと大勢で上っていたものが、いつの間にか二列で並んで拝礼するように変わり、べんだいも高いこともあって売れないのか、出店が消えていき、今年は拝殿でのお守り授与もなくなりました。

拝殿へ上がる木の階段も古くなっており、多分多くの参拝客が上がったら壊れてしまうのを懸念したこともあるのでしょう。

また今年は伊勢と出雲のダブル遷宮の年でもあり、これまでのやり方を改めて、神様のいらっしゃるところと破魔矢やおみくじを授与する場所を別にしたのかもしれません。

私としては、これまでのようなあり方も、昔からその形だったので別に違和感はなかったのですが、時代の流れでこれまでややいい加減だったところが、きちんとしたもとの形に変わっていくのであれば良いことだと思います。

バブルのころは、なんとなく神様の気も薄くなってしまったように感じていましたが、ここ何年かの内に何かが変わったようで、それによってご神気も強まり、ありがたさがいや増したように感じていました。

ところが夏近くから、またまたおかしなことになってきているようです。

なんだか境内でビールを売ってみたり、子供用のプールを設置してみたり…。
神社を身近なものとして親しんでもらおうとの考えなのでしょうか。

でも神社の境内は本来イベント広場ではないので、お祭以外は神聖なものとして静かであってほしいと思います。
むしろ時代的には、そう願う人の方が多くなってきているようにも思うのですが、さて、当の神社に祭られておいでの神様は商売繁盛の神様のようですから、どちらをお望みでいらっしゃるのでしょう。





補助軸

2013年08月21日 | 日記
職場で、小さくなった鉛筆が書きにくいので棄てようかという話になった。

まだ5、6センチあるのを棄てるのはもったいないので、補助軸を使ったらどうかと提案したが、その「補助軸」を知らない人が多かった。

子供のころは当たり前のように、小さくなった鉛筆は「補助軸」という金属製の筒にはさんで使った。
そうすると鉛筆削り器では削れないほどの長さでも、まだまだ十分使えるようになる。
削るときは鉛筆削り用のナイフを使えばよく、補助軸でしめられなくなるギリギリまで使うのを競ったりもした。

もっと以前は肥後の守などという切り出しナイフを使って鉛筆を削っていたようだが、私のころには電動とまでは行かないが、鉛筆をはさんでハンドルを回して削る型の鉛筆削り器はあった。
刃のついた小さな箱に鉛筆の先を差し込んで削る文具もあったが、ジャックナイフのように刃を折りたたんでしまえる型の小さな鉛筆削りも一般的で、よほど不器用な子でなければ、高学年にもなるとそれで鉛筆を削れた。

そんなナイフで鉛筆の端を削いで、そこに自分の名前を書いておくのが普通だったが、名前だけでなく、鉛筆の先をこけし人形のようにしたり、また削った面に数字を入れてサイコロのようになった鉛筆もあった。
そんな鉛筆たちも補助軸を使うころには、せっかくの作品も持ち主の名前も挟み込まれて見えなくなってしまう。

今でも補助軸は健在のようで、近くの100円ショップでも売られていた。
でも今のご時勢では、いくら鉛筆削り用でも、危険なので学校にナイフは持っていけないかもしれない。
実際文具売り場に行ってみたが、大人用の文具コーナーにも鉛筆削り用のナイフは置いてなかった。
体験しなければ上手になるはずもないから、今では当時のように、器用にナイフで鉛筆を削れる子もいなくなってしまったことだろう。