不幸のブログ

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宇宙の法則について

日本人の血・旧約聖書の民 探求者アイデルバーグ

2009-06-27 16:26:15 | 日記

少し前に出した記事の続編です。

俺の興味の対象である日本人のルーツの話
戯言だと思ってくれて結構なので
読んでみてください。

前回の記事を読んでいない方は
そちらから読んでやってくださいね。

記事を読む



話が見えなくなりますので。



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最初に。

俺が此処でユダの民とかヘブライ人とか
ユダヤとかイスラエルの民と呼んでいる人間達と

闇世界のユダヤ資本とは別の存在と理解してください。

ユダヤ資本という時のユダヤ人は
アシュケナージと言われる人間達で
民族的にヘブライの血を引いている人間は極僅かなはずです。

言ってみれば彼らは自称ユダヤ人。
シオニスト(ユダヤ教を信じる人)ですので
混同しないようお願いいたします。

両者は全く別のものと考えて貰ってもかまいません。


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聖書を記したのはユダ王国の人間。
いわゆるヘブライの12の民の内、
ユダ部族だと言われています。

その記録を始めた時期も、どうやらヘブライの民が南北に分裂し
更にイスラエルの民が彼らの身近から姿を消した後のようです。

旧約聖書=ヘブライの民

若しくは

旧約聖書=ユダヤ人

そんなイメージもあるかも知れませんが

旧約聖書と言うのはどうやらユダ王国の末裔の
生活風習や信仰がそのまま書き綴られた
ものと言っていいのかも知れません。

その意味では聖書は宗教的にはイスラエルの民とは無関係であって

イスラエルの民が聖書に関連しているのは
ユダ民族がヘブライ人の共通の経験として聖書の中で書いている
歴史的な事実の方だけと言うことになりますね。 元々はユダ王国とイスラエル王国は
統一された王国を形成していました。

ユダ王国の人間達とイスラエルの王国の人間とが分裂する
直接のきっかけは、

ソロモン王の死後に即位した
新王による重い徴税だったと言われています。

でも恐らく理由はそれだけではなくて
生活習慣、とりわけ文化や信仰に関しての違いが
その理由になっていたのではないかと私は思っています。

ユダの民はその後聖書を編纂したように
ヤハウェと契約を結んだとされ
一神教の信者になっていました。

その神は聖書ではまるで人間のように振る舞い
時には残酷で冷淡で厳格な存在。

何故か彼らはそれを信仰していた事は
聖書の記述からも確かです。


一方イスラエルの民は多神教でした。

と言ってもインドの神のように
単に神様の種類が沢山あったと言うのではなく

全ての物に神は宿っていて
全ての物は神の分身だ

とでも言うような教えを持っていたようです。



いずれにしてもイスラエルの民はユダの民と決別して
北の地でイスラエルまたは”サマリア”と言われる国を興しました。

一方南ではユダ部族中心にユダ王国が起こされて
両者は長い目で見ると軽い争い状態にあったと言われています。


BC722年にアッシリアによってイスラエル王国が滅ぼされ
その国民は土地から連れ出される事になるのですが
それからイスラエルの民の放浪生活が始まったのです。


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日本の文化を考えるにあたって
切っても切れないものは実は神道だと私は思っています。

勿論それがいつ始まったものなのか
誰によって伝えられたものなのか
そしてその信仰の対象は一体何なのか?

私を含めて多くの日本人は
この身近にある日本古代からの教えである神道について
殆ど知りませんし、知ろうともしません。

勿論以前は神道というものが元々日本人の文化や生活に
そのまま密着していたと言う事情もありますし

その習慣は恐らくは親から子へと引き継がれて
宗教として意識されるような存在ではなかったからです。

そして言ってみれば神道は日本の文化であり伝統でした。


勿論仏教や新しい宗教の布教
更には欧米文化の影響で多くの日本人の価値観も変わっていますし
その意味では日本の伝統だった神道は今滅びつつあると思います。

簡潔にまとめられているので
WIKIより抜粋します。

神道


神道(しんとう・かんながらのみち)とは、日本の民俗的な信仰体系であり、
日本固有の多神教の宗教である。

神道は、太古の日本から信仰されてきた
固有の文化に起源を持つ宗教である。

日本列島に住む民族の間に自然発生的に生まれ育った
伝統的な民俗信仰・自然信仰を基盤とし、

豪族層による中央や地方の政治体制と関連しながら徐々に成立した。

なお、神道には明確な教義や教典がなく、
『古事記』『日本書紀』『古語拾遺』『宣命』などといった
「神典」と称される古典を規範とする。

森羅万象に神が宿ると考え、天津神・国津神や祖霊を祀り、
祭祀を重視する。

浄明正直(浄く明るく正しく直く)を徳目とする。他宗教と比べて、
現世主義的であり、性善説的であり、

祀られるもの(神)と祀るもの(信奉者)との間の連体意識が強い、
などといった特徴が見られる。

神道と仏教の違いについては、
神道は神話に登場する神々のように地縁・血縁などで結ばれた
共同体(部族や村etc)を守ることを目的に信仰されてきたのに対し、

仏教は主に個人の安心立命や魂の救済、
国家鎮護を求める目的で信仰されてきたという点で大きく相違する。


神道は太古の日本民側の多くが
その生活の中で当たり前のように持っていた慣習であり

民俗信仰や自然信仰と結びついて
日本独特の文化の根底として栄えていたもので

極端な言い方をすれば古代の日本人の多くは
その神道に基づいた生活を送っていたようです。

その教えは宗教というよりも道徳に近いもので
全てのものに神が宿ると言う発想と言うよりは

全てのものは神の化身だから尊い

と言った教えと言った方が正しいのでないかと思います。

ここでは仏教の教えとの比較がありますが
仏教が個人の精神を高める事が中心の教えであると言う
反面を持つのに対して

神道は民族や血縁を重んじる、そういう教えであったようです。

そしてその両者を生活に取り込んで融合させながら
大和民族は独自の文化を発展させてきたのです。

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残念ながらその神道の教えの源流に当たるものを示す書籍は
前回の記事で書いたようにその殆どが燃えて無くなってしまった
という背景もあります。

私達は復元された古事記や日本書紀の内容に
その過去の教えを何となく感じる事は出来ますが
その正しい教えは間違いなく殆どが消え失せています。

でもその一方で神社という空間では
過去の教えを引き継いでいて
その儀式や習慣を次世代に伝えてきたので

その中に神道の教えをそれとなく感じることが出来ますよね。

そして間違いなく日本の神道の姿は
神社にこそ未だに多く生き続けていて

それを知る事が古代日本の文化を学ぶためには
有効と言う事なのでしょうね。



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日本とヘブライ人との関係を調べる事をライフワークとして
いたイスラエルの方がおりました。

その名はヨセフ・アイゼルバーグ
1984年に
”古代ヘブライ王国の失われた10部族を追って”
と言う書籍を出版した方で

(日本語訳タイトル”大和民族はユダヤ人だった”)

日本とヘブライの民との関係を独自の視点で
追い続けていた方でもあります。


イスラエルの地からアッシリアによって連れ去られた
”イスラエルの民”の足跡を追いかけ
イラン、アフガニスタン、インド、中国とその痕跡を追い続けたそうです。

1963年に日本訪問のために日本語の勉強を始めた彼は
日本語の中に多くのヘブライ語との共通性を見つけたと言います。

それも10や20ではなくでその数3000語以上。

それに気が付いた事で彼は日本の文化に
ヘブライの文化が何らかの影響を与えている可能性を確信し

1972年には京都の護王神社に見習いとして入り
そこで神道を身をもって体験、

一方多くの日本文化を学び
その中にヘブライの伝統との多くの共通性を見つけたと言います。


その後1985年に先述の書籍
”古代ヘブライ王国の失われた10部族を追って”を出版。

翌年には日本人の松本道弘氏と対談した模様を
そのまま書籍にした”鰻と蛇”という書籍を出版。

その翌年1986年には日本語とヘブライ語の特別語彙集を
発行予定でしたが

対談した年1985年にイスラエルで他界して
その出版は実現されませんでした。

(高齢だったので仕方がないことではありますが
直ぐに色々推測してしまう俺は困り者です。。)


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私事になりますが、
私の若い頃の一番の興味の対象は日本人のルーツに関するものと
”ユダヤ”に関するものでした。

(もしも創価に仏敵とされなくても、ユダヤにも睨まれる素質が
あったのですよね。。)


アイデルバークの書籍はその興味の中心でもあり
それを根底に置きながらユダヤ関係の書式も
日本の古代史も読み漁りました。

でもその後は楽しみにしていたアイデルバーグの新刊が
発行されなかった事も手伝い

社会人になると同時に
私の興味の対象は日本の歴史やヘブライの話から
遠ざかって居たのですが

不思議な事に今の創価被害者という立場になってから
再びこの事に興味が蘇る様になり
実は過去に数回記事にもしています。

でも実は最近まで知りませんでした。

この1986年に発行予定だった書籍が
実は2005年に遺稿という形で
アイデルバーグの親族によって出版されていたのです。

アイデルバーグの後にも多くの似たような書籍が
出版されていましたが、

多くの書籍はアイデルバークの書籍を元に
その実態を詳細に調べ上げたものが多く
しかもその多くには毒が混じっています。

日本人とユダヤ資本と言われる人間との親睦を深めるような
目的の誘導が見え隠れするのです。

それにがっかりして
一時は失いかけたこのテーマへの興味。。。

でも20年の時を越しての彼の書籍との対面した事で
日本人とヘブライ人の話、

そして日本民族の原点について
深く考えて見たいと思うようになりました。

この問題はユダヤ資本=シオニストを理解するためにも
避けて通れないテーマでもあると思っています。

アイデルバーグの新刊は”日本人の、聖書世界のヘブライ人起源”
とでも訳するのでしょうか

THE BIBLICAL HEBREW ORIGIN 
OF THE JAPANESE PEOPLE


日本語タイトルは
”日本書紀と日本語のユダヤ起源”
となっています。

ヨセフアイデルバーグが
ヘブライ人という言葉を使用して
ユダヤの民とは区別していた事を考えると

いつもながら日本語タイトルは少し問題がありますし

この書籍はどちらかと言えば
”オカルト”や”ミステリー”と言われるような書籍と並んで
発行されている事も甚だ不満であります。

彼の主張と同様な内容を毒だらけにして同じ出版会社から
書籍として出版しているラビ・トケイヤーの本は通常のハードカバー。。

やはり真実に近いものは目に付きにくくされると言う事でしょうか。。

このアイデルバーグ氏は
日本の神道を自ら体験しただけではなく

古事記や日本書紀と言った日本の古代の歴史書をも解読して
独自の理論で日本人の原点を追求されたユダヤ人です。

(残念なのは彼もアシュケナージの可能性が高いこと)

そしてその研究がその後多くの似たような書籍に
多大なる影響を与えた事は間違いありません。

そして私のこの”旧約聖書の民”テーマの記事は
この方の著書を中心に日本の原点を考えて行きたいと言うものです。



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彼の一冊目の書籍の一部抜粋して紹介します。


イスラエルの十部族に関する私の探索は、
もしそれがバハラ地方の少数ユダヤ人によって
語り継がれている古い伝説のためでなかったなら、

アフガニスタンで終わっていたであろう。

その伝説と言うのはサマリア王国を追放された直後
10部族はアッシリアから逃れ東の方に
さまよい出たと言うものであり

更に彼らは長年アジア大陸を流浪し、
挙句の果てには中国のかなたの
神秘の地に定住したとの事である。

新しい領土に落ち着いた十部族が、他の世界とは
全く交流を絶ってしまったので
その国のある場所は神秘の幕に閉ざされたままである。

この「領土」とは中国のどこかであろうか。

数十年前まで、中国河南省の開封市に小さなヘブライ人社会が
有った事は知られている。

その社会の人々はモンゴル系で教育は中国語で行われていたが
ヘブライの歴史に関しての知識もある程度もち
ヘブライの宗教規範を守っていた。

彼らの言い伝えによると
最初のヘブライ人は漢王朝の時代(紀元前220~西暦225)
に開封に到り、西暦1163年には、500世帯以上で社会を構成し
最初のユダヤ教会堂を建てた。

しかし1850年い会堂が洪水で流されてから集会もままならず
現在では開封市のヘブライ人社会は存在していない。

開封市以外、中国で目だったヘブライ人社会の存在は
知られていない。

しかしバハラ地方の古い言い伝えによると
イスラエルの帰らざる10部族は

「中国のかなた」の国に定着したと言う事なのだ。

私は日本にその姿を求めようと決心した。



そして彼の日本探求が始まったわけです。

開封で確認できたヘブライの民はほんの少数。

しかもユダヤ教の信仰があったことからも
彼らはユダの民の末裔と考えられます。

ではイスラエルの民は一体どこに消えたのか?

それが彼の疑問となり
日本に目を向けさせるきっかけとなったようです。


彼の専門は日本語とヘブライ語の対比。

彼は日本では称号のように使われていた
”大和”という言葉もヘブライ語で解読してくれました。

その語源は古代ヘブライ語の”ヤ・ウマト”(YA・UMATO)


そしてその意味は”神の民”だと言う事です。


続く


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P.S.

古代日本の浪漫だと思って時々はこの記事に
付き合ってやって欲しいです。






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