レビュー

音楽や書籍に関するフェイバリットの紹介とそのレビュー。

4、Message In A Bottle/ザ・ポリス

2016-10-14 09:24:05 | 日記
「無人島に流れ着いちゃったよ。さみしいな。そうだ、ボトルに手紙を詰めて流そう。ぼくは孤独だよ。世界のみんな、気づいて・・・」
するとある朝、世界中から一千億のボトルが返ってきて、彼の浜辺に流れ着いてる。
ボトルを開けると、中の手紙には、「うるせー。孤独なのはおまえだけじゃねえ!」。
こんな歌詞なんだった。
ポリスの音楽性には、人生で最大の衝撃を受けた。
いちばん好き、と白状するしかない。
彼らの名曲「メッセージ・イン・ア・ボトル」は、「孤独のメッセージ」と邦訳されてるんだけど、こんなハードボイルドの世界観に形容動詞を持ってくるなんて、訳者の野暮さには呆れるなあ。
が、その頃のオレもいっぱしに孤独だったのかもしれない。
部屋でひとり、音楽ばかりを聴いて過ごした。
この頃は、レコードとカセットテープの時代なんだった。
レコードを聴くには巨大なオーディオシステム(レコードプレイヤーにアンプ、スピーカー)が必要なんで、ラジカセで気軽に聴けるカセットは重宝した。
この時代の連中は、レンタルレコードを借りてはダビングし、コピーしてコピーしてコピーし倒したカセットを山と積み上げて、磁気テープが擦り切れるくらい聴いてたはずだ。
カセットをインするのは、ラジカセから劇的な進化を遂げた「ミニコンポ」ね。
突如として出現したミニコンポは、かっこよすぎて、うざいほどだった。
このあたりから、日本のメーカーの機能過剰=無駄に小難しいメカメカのデザインがはじまったんじゃないかな。
オレが手に入れたミニコンポ(母ちゃんに買ってもらった)も、イコライザーやら、ドルビーシステムやら、ベース音増幅ボタンやら、わけのわからないスイッチやツマミがゴテゴテ満載のやつだった。
こうしたアレンジ機能は、最初は面白がっていじりまくるんだけど、次第に飽きがきて面倒くさくなり、やがて「やっぱそのままがいちばんいいわ」と気づいて(当たり前だが)、再生ボタンとイジェクトの二領域しか手垢で汚さなくなってくんだった。
あと、早送りボタンとね(なつかしや)。
過剰なものは、かっこいい反面、ジャマなんである。
そんな時代に出会ったんだった、ブリティッシュロックとは。
UKの基礎勉強としてのビートルズは、聴き込んでる頃にはすでに解散してて、オレの世代では一周遅れだった(ジョンが撃たれた頃だ)。
ポールのメロディアスなものより、ジョンのブルージーなシャウトの方が好きだったな。
ビートルズが顕著なんだけど、グループの終息に向かうにつれて、音楽がごちゃごちゃとトゥ・マッチ・プロデュースになり、音が洗練とゴージャスを手に入れると同時に、シンプルな熱さを失ってしまう。
ポリスも、三人の音だけでつくった低予算の最初の二枚のアルバムが、パンキッシュな世界観の完成って意味でピークだった。
その後に売れすぎて、音楽にも金を掛けられるぞー、なんて張り切ったのか、ものすごく装飾的になってく。
外観の爛熟は、本質の滅形と表裏一体。
立派に整ったものをつくり上げてはみても、それは逃げを打ってるのと同じ姿勢なんで、まあ無残なものだ。
ってわけで、音づくりと個性の絡み合いを最高に面白がってる「素」のままのこの「Message In A Bottle」は、その後に賢く立ち回ることになるスティングにとっても、逆に最高到達点だったにちがいない。
原初の熱がみなぎったひらめきと直感のエッセンスそのものをぶっつけたシンプルな音は、それ以上に磨く必要がないくらいに輝いて、褪せることを知らない。
シンプルな音に、イコライザーは必要ない。
まばゆいばかりの音を、勝手なプロデュースでくすませるのは、罪なことだ。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

3、Root Beer Rag/ビリー・ジョエル

2016-10-14 09:23:04 | 日記
結構恥ずかしい過去まで明かさなきゃならないな、この「マイベスト」ネタ。
さて、特定のアーティストがいちばん好きかどうか、や、あるいは、特定のアーティストの持ち歌の中でその曲がいちばん好きかどうか、は、この際ヨコに置いとかなきゃならない。
これは、自分の人生に影響を与えた曲、ってのを開陳するべき企画なんだった。
中学校に上がったオレは、家族とともに過ごすのが面倒な思春期って時期に突入してて、そこから逃れるために、自室でひとりきりの時間を過ごすのを夜の習慣としてた。
リビングで一家団欒、そろってテレビを観ましょ、なんてうざいことやってられっか、なんだった。
昭和のその頃、テレビは一家に一台きり、ってのがあたりまえだったんで、晩メシ後すぐに部屋に立てこもるオレは、話題のテレビ番組を観ることがほとんどできなかった。
その代わりに、自室でラジオを抱え込むようにしてむさぼり聴いた。
中でも、クラスメイトが夜10時頃からの30分番組にハガキを出しては、ちょくちょくと読まれてたこともあって、「ヤングスタジオ1431」は欠かせない番組だった。
みんなも耳覚えがあると思うけど、もちろん毎晩聴いてたよね?岐阜放送。
んで、そのローカル番組、ヤンスタがはじまる10時直前から周波数をザーザーと合わせるわけだが、その前にやってる番組のエンディング曲が耳に残るのだ。
「提供は、サンデー・フォーク・プロモーションでした」って声の裏で、その曲は流れてるわけだ。
早弾きのジャジーなピアノソロで、カントリーチックでありながら垢抜けてて、古めかしいチャールストン風なのにアップテンポのリズムとメロディの置きが革新的で(当時はもちろんこんなふうには考えなくて、ざっくりとかっこいいとしか感じてないわけだが)、この音の出所を探さねば、と思い立って、調べに調べた。
ものっすごく後になってから、不意にそれはわかった。
高校時代に入ってから、オレは恥ずかしいことに、ビリー・ジョエルを聴くようになってたのだが、それは英語の時間に「リスニングテスト」で聞き取らされた、おなじみの「オネスティ」からだった。
例の「お~~~ねすてぃい~、さっちゃろんりわあ~ろ」の、「さっちゃ」の部分で、なんでこの箇所にこのあさっての音が入れられるのか(これは転調なの?音楽の素養がないんでわかんないんだけど)、その感性が不思議で、どうにも引っかかって、彼の曲を聴き込むようになったんだった。
そうしてビリー・ジョエルの別のアルバムにまで手をひろげるうちに、偶然にも件のピアノソロ曲(厳密には、ソロじゃなかった)を掘り当てたのだ。
それは、「ルート・ビア・ラグ」って曲だった。
そういえば、今聴いてみると、この曲の冒頭部分もシンコペーションの展開(4拍子×8=32の中に3拍×10をねじ込み、2余り)だし、イントロが終わってから2小節めの二つめの音は、「さっちゃ」のようなあさっての方向への転調だ!
うわーっ・・・不意につながってしまった・・・
人生を指針する曲って、不思議なつながり方をしてる!
こうして人間は、音楽にコントロールされてんのかな?

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園