レビュー

音楽や書籍に関するフェイバリットの紹介とそのレビュー。

ブラッド・メルドー&クリス・シーリー

2017-03-09 09:11:04 | 日記


大好きなジャズピアニスト、ブラッド・メルドーは、いろんな相方を見つけてきては、新しい音楽を模索してるのだった。
エレクトリックなものから、ソプラノサックスとのデュオや、クラシック歌手とのオペラチックなものまで、変幻自在。
リズムセクションを入れようとしないのは、ピッチが正確に刻まれてると、音が枠にはめ込まれたように硬くなって、飛翔できないと感じてるんだろう。
タイコやベース音にわずらわされずに、音に没入したい、ってのもあるのかもしれない。
完全に入り込んで、フリーに走りだしたときの凄みといったら、「命を削ってる」って言葉がぴったりするほどだもんね。
それが嵩じたのか、最近の作では、ノイローゼ気味に前衛の方向(いわゆるフリージャズじゃなく、超絶技巧の方)にいっちゃって、聴者置いてけぼり感があった。
そのカウンターバランスと言いたくなる本作では、非常に軽やかなアイリッシュ仕立て。
ブルーグラス畑のマンドリン&ヴォーカルというクリス某は、ちゃかちゃかと小刻みな弦音を爪弾きつつ、伸びのあるというよりはむしろ稚拙に張り上げる声で曲をリードしていくんだけど、これにブラッド兄さんは自由自在なピアノをのっけてまして。
これが実に、かつて兄さんの曲では聴いたこともなかったような愉快な雰囲気。
二本の手、十本しかない指を迷惑なほどに器用に操るブラッド兄さんは、三つ四つの旋律を同時に繰りひろげるという離れ業(ジャグリングに似たピアノ奏法だ)を極める作業にしばらく夢中だったんだけど、今作では一転、心をほどいて遊んでる。
神経まで蝕まれそうな艱難辛苦の作業で脳に汗をかいてたこのひとにとって、トラディショナルなストライドピアノなんて、お茶の子さいさい。
しかしそこもまた、ただの速弾きで終わらせないのが職人魂ってもの。
寄せては返すリズムの反復の中に、同じ音がひとつとしてない。
ど、み、低そ、み・ど、み、低そ、み・・・の繰り返しが極論すればストライド奏法なんだけど、このコードの作法だけは崩すことなく、手を変え品を変えて、どんどん別の音に展開していく。
そのボキャブラリーの広さときたら。
そうして曲が単調になることから逃れ、奥行きをほじくり、世界を複雑玄妙に構築していく様は、まさしく吟遊詩人の真骨頂。
田舎風なのに新しいなあ、とうならされる。
このデュオも、若い子を育ててあげよう、って気まぐれからはじめた気配があるものの、プレイ自体はまったく相手に対してフェアで、戯れとは言えども、実力全開、能力余すところなく開陳。
いや、むしろ、新進気鋭から刺激を頂戴して自分の血肉にしてやろうとする意欲がすごい。
こうなってくると、相方の若者ヴォーカルも恐縮・・・なんて微塵も感じさせないノリノリ。
ははあんなるほどここまで遊んでいいわけね、という以心伝心による相乗効果と言っていい。
あまりにたのしい遊びの時間は、夕暮れが近づくにつれて切なさに胸苦しくなってしまうものだけど、この明るい曲調と当意即妙の掛け合いはまさしくあれだ。
ふたりの子供がゲラゲラと絡み合いながら芝生の上を転げ、固く結んで離れたがらないような光景がなぜか思い浮かぶ。
双方ともに神がかった演奏で、息もぴったし。
たのしすぎて、うれしすぎて、めまいまでしてくる。
それにしても、こうまでイチャイチャされると、やっぱ、と思うのは、そっち方面のひとなのかなあブラッド兄さん・・・ってことなんだった。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園