日常一般

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森下洋子作『バレリーナの情熱』後半、小田島雄志との対談

2011年03月22日 | Weblog
 これは前作の続きである。20000字という文字制限があったのでやむ追えず二つに分けたのであって興味のある人は前作から読んでほしい。
 
 対談(小田島雄二・森下洋子)
 この対談は本文の集大成と云ったもので、そこには、格別に新しいものはない。内容を深化させたり、別の角度から見たりしたもので、はなはだ興味深かった。最初には加齢による踊りの変化について話し合われている。これは本文の「バレリーナと年齢」の項でも語られている。20代はただ夢中で音に合わせて踊っていただけだったが、それが30代を過ぎたころから、その作品の心を表現出来るようになってきたという。加齢による体の衰えは、自分の力をコントロールする能力を身につけ、力をセーブすることによって解決できる。一つの作品を踊りきるには、相当の体力を必要とするので、この能力を身につけることが必要条件である。それより重要なことは作品の心が見えるようになったことだと、森下洋子は言う。20代では見えなかったものが加齢による人生経験の豊かさによって見えてきて、踊りの質を変える。芸術的に進化させることが出来る。観客がその役の人物の心を感じることが出来るかどうか。それがバレリーナにとって最も重要なこと、である。「マーゴがヌレエフと『ロミオとジュリエット』を踊った時は40歳を過ぎていました。それでも年齢をこえて、甘美で美しさにあふれるジュリエットを踊れたのは、マーゴが磨いてきた年齢と、一人の女性として持つ魅力にほかなりません」「40代の踊りには、20代の人がいくら頑張っても出せない内容があります」と森下洋子は言っている。過去から現代にいたるまで何度も踊っている「白鳥の湖」、「ロミオとジュリエット」、について話題は広がる。「白鳥の湖」は結局は男と女の物語なのだと結論する。なぜ王子は騙されたのか? 対談相手の小田島は『おれが王子でもオディールに惚れるよ』といっている。オディールにはおそらくオデットにはない魅力を備えていたのではないか? 僕が考えるに、妃の候補者として妃選びのパーティーに参加した王侯貴族の娘=王女たちは全て乳母日傘で育てられた純粋無垢の娘たちである。それに対してオディールは悪魔の娘、そこには気後れがあり、悲しさがあり、劣等感がある。そこには王侯貴族の娘たちにはない陰ある魅力がある。その初めて出会う怪しげな魅力に王子ジークフリードは、心を奪われたのでのではないか?黒鳥オディールには悪魔的な人間というイメージが常につきまとうが、偶然、悪魔の娘に生まれたにすぎない、普通の純粋無垢の娘と、考えるべきであろう。ここまで考えるのは考えすぎかもしれないが、オディールを悪魔的人間と考えるのではなく,結局は、普通の人間の三角関係なのである。このように森下洋子が考えられるようになったのは年齢のなせる技であろう。ヌレエフの存在も大きかった、と森下洋子は述べている。そのほか「ロミオとジュリエット」、「ジゼル」など再演ごとに演技が変わっていったと、その変っていった様子を具体的に話している。ロングランを続けている「女の一生」の杉村春子は、おばあさんという年齢になっても17歳の娘をメイクなしに演じていると小田島は感動している。若さには若さの特権があり、それなりの素晴らしさをもつと同時に、歳を取った人にでなければ出せない何か=表現力がある、と小田島は言う。美に対する感受性と、美を表す表現力、それは加齢とともに深化していかなければならないし、おのずから出てくるものでなければならない。そこにはたゆまぬ訓練を必要とする。「よく技術的には20代まで、といいますが、それは本当です。その基礎がしっかりしていれば、30代、40代になっても肉体的にも精神的にも、どんどん筋肉は強くなっていくと、現在は身をもって体験し、確信をもって言うことが出来ます」。加齢による、美に対する感覚の深化、表現力の進化は、年齢とは関係がないことを表している。舞台人(バレリーナも含めて)とは、様々な人間の代弁者であり、生きている人の心の断片を、見せていく仕事である。そして、命とか、生きると云う事を、自分の心の深いところで共感し、それを伝えていく仕事なのである。そして、それが出来るのはある程度の年齢を必要とする、のである。
 そのほか夫・清水哲太郎との関係も話題になる。演出家でもある夫に対しては、演出に関しては夫に従うが、演技者として共演するときは、いろいろと議論するときもあるという。その辺のけじめをしっかりしているので長続きしているのではないかという。バレエ人生における夫の存在は大きいといっている。彼のアドバイスがなかったら、今の自分はなかった、とまでいっている。そして、彼の踊りに対する姿勢の厳しさ、追求心を教えてもらったからこそ、ここまでこられたのだと、彼を称賛している。
 さらに、精神的には橘秋子先生(中学~高校時代を通じて師事した先生)の存在は大きかったといっている。バレエ技術の基礎を徹底的に教えてくれたと同時に、人間の生き方の根本的なものを教えてくれたという。バレエが踊れるからといって、人として半端になってはいけない、人として優れていなければいけない、と諭されたという。集中力を養う訓練として寒稽古もあったという。「月に一回、バレエ団で山奥の滝に打たれにも行きました」と森下洋子は言う。滝に打たれても風邪をひかない肉体と、精神力が、これによってつくられたと云う。これを通じて人生に現れる様々な困難な壁を乗り越えることが出来る確信が出来たという。そして現在の精神力の強さの育たない風潮を嘆いている。バレエの華やかな面だけを見て入ってきて、その陰にある困難な事態に直面して、予想に反したといって、嫌になり、すぐに止めてしまう。その変わり目の速さに森下洋子は驚いている。近年、精神主義は、はやらないが、何をするにしても精神力の強さがなければ、事を成就することは出来ない。こんなところにも戦後民主主義教育の破綻を見る。
 森下洋子は小田島の「バレエをやっていなかったら何になっていたと思う?」という質問に答えて「バレエ以外には考えられない、何度、生まれ変わってもバレリーナでありたい」と答えている。好きなことを仕事にし、様々な困難を克服し、成功した人間にして初めて言える言葉であろう。
 森下洋子には、多くのバレリーナの経験する怪我もなく、多くの芸術家の経験する挫折もなければ、絶望もない、そして今なお輝いている。素晴らしい伴侶にも恵まれ、さらにルドルフ・ヌレエフ、モーリス・ベジャール、ジョルジュ・ドン等々の天才との出会いと、共演がある。この作品「バレリーナの情熱」は、才能に恵まれ、健康に恵まれ、時に恵まれ、人に恵まれ、環境に恵まれ、運にも恵まれ、バレエ界という、すそ野の広い世界の頂点にたった一人のプリマの成功の物語=エッセイである。プリマも含めて、世の中のスーパースターとはすべての条件の整った人間に対して、神から与えられる称号といえるであろう。
この作品はバレエ人生に対する賛歌であると同時に、生きていくことの賛歌でもある。

森下洋子プロフィール
1948年12月7日生まれ。
広島県広島市江波(現・中区江波)出身。
吉祥女子高卒。
2001年より「財団法人松山バレエ団」団長(夫の清水哲太郎は総代表)。

 3歳よりバレエを始め、葉室潔、州和みち子、橘秋子、等に師事。橘秋子の死後、1971年に松山バレエ団に入団し松山樹子(現夫・清水哲太郎の母)に師事。1974年に25歳で第12回ヴァルナ国際コンクールにて金賞を受賞(清水哲太郎は銅賞)。「日本人には体型的にバレエは無理」という世界的な偏見を払しょくし、日本にも世界的バレリーナが育っていることを世界に知らしめた。2度の芸術祭大賞をはじめ、日本芸術院賞、ローレンス・オリビエ賞(ヌレエフと共演した「ジゼル」で受賞)など数々の賞に輝く。海外公演も多数。
このようにして森下洋子は世界のトップ・プリマとしての地位を確立する。既にバレエ歴は半世紀を超える。森下洋子は言う「バレリーナは40歳ぐらいが体力の限界と云われ、この年齢(この時53歳)で全幕をとうして踊れる人は、世界でも私の他にいないですね」(読売新聞でのバレリーナを目指す中学生との対談)と自画自賛している。彼女は、1970年代から現在まで、日本のトップ・バレリーナの地位を誰にも譲っていない。これほど長く第1線でトップ・ダンサーとして活躍しているダンサーは世界広しといえども森下洋子の他には、マイヤ・プリセツカヤあるのみである。
森下洋子は言う「日本人の繊細な動きなどは、欧米人にはまねができない。だから、私をゲストとして招いてくれるのだと思う」と。日本人の良さを再認識し、その長所を伸ばしていく必要があろう。今、日本のバレエは世界にも通用するようになっている。森下洋子はさらに言う「みなさんも、はじめから夢をあきらめないでください。やって見ようかと思うか、私には出来ないと悲しむか、そこで人の生き方は変わると思う。苦しくとも続けていけば、いつか実を結びます。1日1日、何か目標を決めて、それに向かって大きくなってください」と。

 
  小田島雄志=英文学者、演劇評論家

  森下洋子作『バレリーナの情熱』 角川文庫 角川書店発行



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1 コメント

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森下洋子の生き方 (るる)
2011-10-08 17:42:00
私は森下洋子の全盛期の踊りを何回も観に行きました。

かつての森下洋子を知っている一バレエファンとしては、お願いだから早く引退してくださいと念じておりました。

現在の無惨な有り様はもはや見るに忍びないと辛く感じていました。
しかし最近、少し考えがかわりました。

バレエに全てを捧げた彼女の人生にあれこれ注文つけても意味がないことが分かってきたのです。

こうなったら死ぬまで舞台に立ってもらいたいと思います。
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