日常一般

日常生活にはびこる誤解、誤りを正す。

列王記(第1)

2015年04月18日 | Weblog

 列王記(第Ⅰ)
はじめに

 ソロモン王出現以前
 サウルがイスラエルの最初の王となるまでのイスラエルは、12部族の緩やかな連合体であり中央集権的な制度を持たず、士師による寡頭政治が行われていた。民は強力な政体を望み国家の建設を求めた。預言者サムエルはこれに反対するが、神なる主は王国の建設を認め、ここに、サウルを初代の王とするイスラエル国家が出現した。サウルは最初こそは善政を敷くが次第に主と距離を置くようになり、主の怒りを買った。ペリシテ人との戦いに敗れ、家族ともども命を失った。その後を継いだのがダビデであり彼はペリシテ人との戦いに勝利し、他の国々とは友好同盟を結んだ。このようにして和戦両様によって国の安全を確保し、外患を取り除き、内政に力を注いだ。イスラエルを構成する12部族を統合し、エルサレムを民族の支柱に起き、これを首都と定めた。
 ソロモン王の治世
 ダビデはパトシェバとの間に生まれたソロモンを後継者と定めた。しかし、これに反対する異母兄アドニヤは自らを王と決め、ソロモンと対立する。ソロモンはこの政争に打ち勝ち、王となり、アドニヤを殺す。イスラエルをより強力にするために力を注いだ。ダビデは年老えて死に、ソロモンはダビデの遺言を実行し、彼のやり残した仕事(祭司エブヤタルの追放、ヨアブとシムイの処刑)を成就した。政敵を倒し、支配を確立する為に行政に力を注いだ。更にエジプト王の娘を妻とし(政略結婚)、対外的に自らの地位を確保した。この上で、大規模な土木工事を行い、インフラを整備し、城壁を再建し、国内各地の都市を強化した。外国との交易を深め、港湾都市を築き、船団を組織し、イスラエルの繁栄をもたらした。更に豪華な神殿を築き、神の契約の箱をこの神殿に移し、神にこれを捧げた。長期にわたる放浪生活、戦乱に明け暮れていたイスラエルにとって、神殿を建設する余裕はこれまで、なかったのである。天幕がその代わりであった。主なる神の住まいが完成したのである。更に自らの宮殿も造営した。しかし、ソロモンもまた神の前で悪を行った。多くの妻妾を抱え、彼女達にそそのかされて異教の神を信仰し、偶像を造りこれを拝んだ。このような繁栄の陰には、多くの犠牲があった。インフラの整備、大規模な土木作業、港湾設備、神殿建設、の為には多くの費用と賦役労働を必要とした(列王記上12章4節、14節)。民はこの労働と重税とに苦しんだ。一見。盤石に見えたソロモンの体制に綻びが見え始めたのである。光と影、これがイスラエル王国の分裂の原因でもあった。さらに、主はソロモンの悪に対して、ダビデに免じてこれを罰しないが、子孫がこの罪を購わなければならないと、と述べ、イスラエル国の分裂を預言している。
 王国の分裂
 ソロモンの死後(在位40年)、イスラエルは主の預言どおり南と北に分裂した。南のユダの王国はユダ族と、ベニヤミン族から構成されており、ソロモンの息子のレハブアムを立てて王とし、エルサレムを首都とした。その後、王はアビヤム、アサ、ヨシャファトと続く。北のイスラエル国はユダ族とベニヤミン族以外の10部族からなっており、ソロモンの家来であり、ソロモンに敵対しエジプトに逃れていたヤロブアムを呼び戻し王として、サマリアを首都とした。イスラエルの王はナダブ、バシャ、エラ、ジムリ、オムリ、アハズヤと続く。両者は敵対し激しく戦った。しかし、外敵(アラム国)との戦いにおいては共同してこれに当たった(列王記第Ⅰ、22章29~30節)。これまでが列王記の第Ⅰ部である。しかし両者は外敵に滅ぼされるまで、最後まで、統一される事はなかった。
 分裂国家の特徴(異教の神の信仰と、下克上による政権交代
 分裂国家の特徴は、ユダ国のアサとその息子ヨシャフトを除いて、すべての歴代の王は、北も南も神の前で悪を行い、異教の神を信じ、偶像を造り、これを信仰し、主なる神の怒りを買った事であり、もう一つの特徴は、国王の交代は下克上によるものが大半であった、と言う事である。是は前王が、神の前で悪を行い、神の怒りを買った結果であった。更に、何代も続いた王の経歴は『ユダ(イスラエル)の歴代誌』に記されているではないかと、各王の死後に、必ず、聖書は述べている(歴代王の記録は資料を参考の事)。
 分裂国家の末路
 このように分裂国家となったイスラエルには、ダビデやソロモンのような名君は出ず、国内は混乱を極め、弱体化した。中興の王(例えばシムイ王)も出ないわけでは無かったが、周囲の大国にとっては格好の餌食であった。北の王国はアッシリアに滅ぼされ(紀元前722年)その地への異民族の流入と、離散、混血、異教の信仰と、ユダヤ人としてのアイデンティティ―を失い民族としても滅亡する。主はこれを救おうとはしなかった。19代の王の下253年にわたって存続した北王国は滅びた。歴史の中に消えた彼らは、イスラエルの失われた10部族と言われている。南の王国は、北王国の滅亡後しばらく存続するが、バビロンに滅ぼされる(紀元前586年)。この結果イスラエルの民は国を失い民族としては存続するが、結局ローマによって居住地を追われ、流浪の民となる。それは神の前で悪を行った結果であった。1948年、イスラエルは建国を果たすが、神との和解があったからであろう。勿論この事は聖書の中では預言すらもされていない。
 これが列王記(第Ⅰ、第2)の概略である。
 登場人物:ソロモン
 ダビデ、ソロモンの時代は政治的にも、経済的にもイスラエル国の最盛期であった。周囲の支配地からは多くの貢物があり、貿易から上がる利益は膨大で、その資金を使って豊かな国造りに励んだ。大規模な土木事業、港湾施設、等、国力の基礎となるインフラを整備した。更に軍事力を増強し、諸外国に対しその力を誇示した。さらに、それまで出来なかった神殿を造り、神に捧げた。これを実現するには、資金が足らず、民に対する過酷な賦役労働と重税を課し、民の怒りを買った。このように国造りに励むものの、小国の悲しさ、絶えず周囲の大国に気を使い、「政略結婚」などを通じて身の安全をはかった。
「詩編」は、ダビデの作であり、「箴言」、「雅歌」はソロモンの作である。しかし、ソロモンは多くの妻妾を抱え、神の目の前で悪を行い、主の怒りを買った。
 神に至る道は狭き門
 なぜイスラエルの王と民は罪を犯すのか?神は言う「我に対して完全であらば、カナン(イスラエル)の地を与え、子々孫々の増大繁栄を約束する」と。これは、神とイスラエルの間に交わされた契約であった。そしてその一部は実現した。カナンの地はイスラエルのものになった。それにも拘らず、イスラエルの民はこれに違反した。異教を崇め、偶像を作り、これを信仰した。決して神の前で完全では無かった。異教の持つ深みと広がり、長きにわたって、語りかける、魅力的な言葉、人を虜にする輝き、魂の解放と、日々の慰め、そこには人の持つ移り気への気安い手まねきがあった。悪魔は天使の姿をして人に近づく。人はこれに逆らう事が出来ない。その中にのめり込む。戒律にしたがうことの厳しさ、守らねばならぬと思いながらも、それの出来ない苛立ち。こんな時に誘いかける甘い誘惑。その両者の矛盾の中で悩み苦しむ人間。特にここに出てくる異教の神バアルは豊饒の神であり、農耕の神である。イスラエルの地に定着し、牧畜から農業へと移行しつつあったイスラエルの民にとっては、この神は魅力的であった。ここには人間精神の最も困難な、救済とは何か、という問いかけがなされている。神に至る道は狭き門である。人は誰でもこの門を通らなければならない。
 さて、この悩みについて書いてあるのが列王記の18章9節~18節である。
 神の前に立て
 アハブ王の妃イザベルに命を狙われた預言者エリヤは畏れをなして逃亡し、洞穴の中に隠れ、死を望む。主の御使いが現れて彼に問う『エリヤよ、ここで何をしているのか』と。エリヤはこれに応える『私は万軍の神、主に熱心に仕えました。しかし、イスラエルの人々はあなたの契約を捨て、あなたの祭壇をこわし、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残りましたが、彼らは私の命を取ろうとねらっています』と。同じ問いかけと同じ応えが2度なされる。勿論、両者は同じではない。言葉は同じでもその内容は異なる。最初の問いかけと応えの後、主はエリヤに云う「外に出て、山の上で主の前に立て」。奇跡が起こるがその中に主はいなかった。奇跡は主が起こすが、主そのものではない。主のかすかな細い声があった。人は弱き存在であるが、主に触れると強くなる。そして2度目の問いかけと応えがあった。ここで重要なのは「主の御前に立つ」と言う事である。「神の栄光の中を歩め」と言う事である。自分に拘るな、「他に責任を転嫁するな」と言う事である。アダムは、エバに、エバは蛇に責任を転嫁した。そこには神の前における悔い改めは無かった。そこには人間の智慧の持つ脆さがあった。預言者エリヤは自分の弱さをイスラエルの民に責任を転嫁した。わたしが弱いのはイスラエルの民が悪いからだと。エリヤは自分を中心に周りを見ていた。わたしが神を見るのではなく、神がわたしを見ているのだ。エリヤは神の言葉を伝える預言者でありながら、それが理解できなかった。戦いにおけるイスラエルの民の強さは、神への信仰にあった。彼らは、戦いの前に必ず神に勝利を祈願した。それは神の戦いであったからである。牧人に過ぎなかったダビデが怪力無双のゴリヤテに勝利できたのも神への祈りがあったからである。2度目の問いと応えがなされた時、主はエリヤに云う。「―、ハザエルに油を注ぎ、彼をアラムの王とせよ。ニムシの息子イエフに油を注ぎいでイスラエルの王とせよ。またアベル・メホラのシャファトの息子エリシャに油を注ぎ、おまえに代わる預言者にせよ」と。エリヤは預言者としての立場を復活して、神の前に立つことが出来たのである。全ては神が決めるのであって、人が決めるのではない。それが神に対する信仰である。
 異教を信じることのむなしさ 
 列王記(第Ⅰ)の18章には異教の神を信じることのむなしさが描かれている。イスラエルに旱魃が起きた時、エリヤは、バアル神を信じる民を呼び集めて、「主か、バアル」かの選択を迫った。民はバアルの名を呼んで云った「バアルよ、我々に応えてください」と、しかし応えは無かった。エリヤが主の名を叫んだ時、主はそれに応じた。主の火が下り、全焼の供犠と薪、石、塵を焼き、溝にあった水をなめ尽くした。民はこれを見てひれ伏していった「主こそ神です。主こそ神です」と。この時、小さな雲が海から上がってきた。それは旱魃の終わりを意味していた。空は厚い雲に覆われて暗くなり、風が出て大雨になった。
 これはバアル神ではイスラエルに生じた旱魃から民を救う事が出来ず、主のみがそれを成すことが出来ることを意味している。神は民と共にあり。
 ここで描かれている事は「主の前に立って自分を空しくする事」である。しかし、イスラエルの王と民は最後までこれを理解できず、自らを滅亡へと導いたのである。
">平成27年4月14日(火)制作者;守武 戢  楽庵会

   
イスラエル王国の歴代王とその在位      資料1                               
年号は、ウイリアム・オルブライトによるもので、年号はすべて紀元前である。分裂後、
北王国の王はイエフを除くと暴君か暗君しか王位についていないと旧約聖書は述べているが、必ずしも事実ではない。

 1021年 - 1000年 サウル - イスラエルの最初の王
 1000年 イシュボシェト - サウルの子、暗殺される。(サムエル記下 4:7)
 1000年 - 962年 ダビデ
 962年 - 922年 ソロモン - ダビデがバト・シェバとの間にもうけた子。
 922年 レハブアム - イスラエル王国から分離したユダ王国の最初の王になる。
イスラエル王国とユダ王国に分裂
•922年 - 901年 ヤロブアム1世
•901年 - 900年 ナダブ - 暗殺される。(列王記上 15:28)
•900年 - 877年 バシャ
•877年 - 876年 エラ - 家臣ジムリの手で暗殺される。(列王記上 15:28)
•876年 ジムリ - 主君エラを討ち、7日間王位にあったが、進撃してきた武将オムリの前に死ぬ。
•876年 - 869年 オムリ
•869年 - 850年 アハブ - 妻はイゼベル。旧約聖書では北王国随一の暴君とされる。
•850年 - 849年 アハズヤ
•849年 - 842年 ヨラム 
•842年 - 815年 イエフ - 旧約聖書では北王国唯一の名君とされる。
•815年 - 801年 ヨアハズ
•801年 - 786年 ヨアシュ
•786年 - 746年 ヤロブアム2世 - イスラエル王国の絶頂期。
•746年 ゼカルヤ - 家臣シャルムの手で殺害される。(列王記下 15:10)
•745年 シャルム - ゼカルヤを殺害して王位につく。
•745年 - 738年 メナヘム
•738年 - 737年 ペカフヤ - 侍従ペカの手で殺害される。(列王記下 15:25)
•737年 - 732年 ペカ - 家臣だったホシェアに暗殺される。(列王記下 15:30)
•732年 - 722年 ホシェア - イスラエル王国最後の王。侵攻したアッシリア軍に一度は従順を誓うも、密かにエジプトと結ぼうとしたためアッシリアによって牢に入れられた。(列王記下 17:4)

   南ユダ王国の歴代王とその在位                 資料2 
 在位には諸説あるが、ここでは最も広く受け入れられているウィリアム・オルプライトの説による。年号はすべて紀元前である。
・ 922年-915年 レハブアム
・ 915年-913年 アビヤム
・ 913年-873年 アサ
・ 873年-849年 ヨシャファト
・ 849年-842年 ヨラム暗殺される。
・ 842年   アハズヤ 北イスラエル王国のイエフによって殺害される。
・ 842年-887年 アタルヤ先王アハズヤの母、唯―の女王。ヨアシュを擁立した
大祭司ヨヤドに暗殺される。
・ 837年-800年ヨ アシュ配下に暗殺される。
・ 800年-783年 アマツヤ暗殺される。
・ 783年-742年 ウジヤ
・ 742年-735年 ヨタム
・ 735年-715年 アハズアッシリア玉ティグラトコピレセル3世に巨従。
・ 715年-687年 ヒゼキヤこのころアッシリア王センナケリブ活躍。
・ 687年-642年 マナセ
・ 642年-640年 アモン地の民に暗殺される。
・ 640年-609年 ヨシヤ申命記改革行われる。エジプトェネコ2世との
メギドの戦いで戦死。
・ 609年 ヨアハズ(エホアハズ)
・ 609年-598年 ニホヤキムカルケミシュの戦い(英語版)起こる。
・ 598年   エホヤキン次王ゼデキヤと共にバビロニアヘ連行され、37年間にわたって拘禁される。その後開放。
・ 597年-587年ゼデキヤロを目を刳り出されてバビロニアヘ連行された。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする