森男の活動報告綴

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試製五式四十七粍自走砲・ホルについて(その1)

2016年08月12日 | AFVの模型
今回は、日本陸軍の「試製五式四十七粍自走砲・ホル」について書きたいと思います。

この車両は、九五式軽戦車の車台に、47ミリ戦車砲を搭載した対戦車自走砲です。五式の名称の通り、戦争の末期に試作されました。私はずっと以前からこの車両のことがとても気になってまして、数年前、1/35スケールの九五式軽戦車のキット(ファインモールド製)をベースに製作をスタートしました。完成したのがこれです。

いくつかの幸運が重なって、この車両を登場させたジオラマが月刊アーマーモデリング2015年4月号に紹介されました。誌面ではジオラマの紹介が中心でしたので、今回、車両についていくつか書いてみたいと思います。製作中、調べたことや、形にすることで初めて気づいたことなど、あれこれ書いてみたいことがあったもので、、。

この車両は、試作されたこと自体はわりとよく知られているのですが、残念ながら写真も正式な図面も残っていません(どこかに秘蔵・死蔵されている可能性もあるかもしれないのですが、、、)。「日本の大砲」(共同出版社・1986)という本に、車両の簡単な説明とともに、側面図が掲載されています。地元の図書館でたまたまこれを見たのが製作を決心するきっかけとなりました。よく見ると、「Y・TOMIOKA」とサインがありますので、あの富岡氏の手によるもののようです。何故この本に、富岡氏のこの車両の図面が載っているのか、いまだによくわかりません。他の自走砲の図面がたくさん載ってるならともかく、この車両だけポンと唐突に載っているんですね。他の雑誌からの転載なんでしょうかね?この図面が描かれた経緯を知りたいものです、、。

なんであれ、この図面があれば、なんとか形にはできますので、取り掛かりました。プラ板を図面にならって切り出して、箱型にします。側面図しかありませんので、側面の装甲板の角度はあてずっぽうでした。

これが大体できたところ。47ミリ砲はファインモールドの一式中戦車のもの。いま調べたら、この時点で2012年10月ごろです。ジオラマを含めた全体が完成するのは2014年の夏ごろです。うーん、我ながら気が長いというか、何というか、、。

実は、こういった車両の改造はこれが始めてで、試行錯誤しながらの製作となりました。それでもまあ、割とすぐにそれっぽい形になったので満足でした。「後は、ディテールをちまちまつければすぐできるだろう。ディテールったって、幻の車両なんだからテキトーにやりゃいいか」と、のほほんとしてたのでした。それが大間違いで、修正を繰り返すことになるとは、この当時の私には知る由もなかったのでありました。

その後、中四国AFVの会の会場で、大阪の辻本氏と知り合いになりました。ご存知の方も多いかと思いますが、辻本氏は日本軍の試作車両などを次々とスクラッチする方で、当然ホルのことも詳しくご存知でした。これ幸いと、あれこれ質問していると「日本の戦車(新版)」(共同出版社・1978年)に簡易図面が載っていることを教えてもらいました。後日、写しを送ってもらいました。左が「日本の大砲」右が「日本の戦車」のもの。どうも、富岡氏もこの簡易図面を参考にされたような感じもします、、。結局のところ、この簡易図面が「源泉」みたいですね。

その図面には、正面図が載ってました。製作中の私のと比較すると、正面から見た側面装甲版の角度が全然違ってることが判明しました。製作当初、角度についてはあれこれ悩みました。検討してみると、あまり角度を付けると車内がかなり狭くなりますので「まあ垂直ではなくとも、それなりの角度だろう」と判断してそうしたのですが(理由はまた書きます)大間違いでした。
辻本氏によりますと、この簡易図面は実車を見ながら描いたスケッチの可能性があるそうです。なんであれ、現時点では唯一無二の一級の資料と考えてよさそうです。なので、できるだけこれに沿ったものを製作するのがより「正解」に近いわけです。さらに、砲は車両の中心にあると考え、そうしていたのですが(これまた理由はまた書きます)、正面図では向かって右側にオフセットされています。これまた修正する必要がありました。

※8月13日追記 当初は、「簡易図面は正式図面を写したものらしい」と書いていましたが、辻本氏から連絡があり、これは私の記憶違いによる間違いでした。正しくは「簡易図面は実車を見ながらのスケッチの可能性がある」ということらしいです。大変失礼しました。本文はその旨訂正しました。

というわけで、やり直しです。っていうか、作り直しであります。ははは。

そんなこんなで、完成までかなり時間が掛かってしまったのでした。完成寸前の姿は、アーマーモデリングに掲載されてますので、ご参照ください。

さて、図面を見るだけでは気付きにくいことが、立体にすることによって、よくわかることも多々ありました。こういうのは模型の醍醐味ですね。以前ちらっと描きましたが、まずは車体側面の形状についてです。側面形は、砲基部から、天井に傾斜が着いており、山形になってます。戦車や自走砲の形状としては、ちょっと不自然なものです。天井は地面と平行になっているのが普通です。図面を見ていたときは「なんでかな?」と思ってたのですが、立体にすると一発でその理由がわかりました。稜線射撃時、車両が上向きになった際、正面投影面積を少しでも減らすためなんですね。ドイツのヤークトパンターの天井も、ちょっと斜めになってますが、恐らく同様の理由ではないでしょうか。

戦車や自走砲は車体が大きければ大きいほど、弾薬や燃料を多く積めるので、それに越したことはないのですが、それに比例して敵に見つかる可能性が高くなっていきます。装甲も厚ければ厚いほどいいのですが、車体の大きさともども、重くなればなるほどエンジンの出力に見合った機動性能がどんどん失われていきます。これらの矛盾する各点の落とし所を探るのが設計者の腕の見せ所であり、かつ戦闘車両の設計の難しいところなのだと思います。

そういう意味では、このホルはとてもよく設計されている、優れた車両だと思いました。「長年運用された信頼性のある車体」と「威力と軽さのバランスのとれた優秀な砲」を、「設計の巧みさによって両要素の長所を最大限に引き出した自走砲」なのかも、と。側面から見ると、非常にコンパクトにまとまってることがよくわかります。稜線射撃のために、側面形が山形になっていることも一目瞭然かと。

車体は九五式のものなので、生産や整備、運用についての不安要素はありません。47ミリ砲も、九七・一式中戦車に使用されているので、砲弾の生産や部隊間の融通においても問題はないでしょう。乗員の教育も、組み合わせによってはほとんどなしで済ませられるはずです。47ミリ砲の威力についても、このクラスとしては欧米の砲に比しても遜色はありません。沖縄で同格の一式機動砲がM4シャーマンをぽこぽこやっつけたことから想像するに、車両の長所を把握した上できっちり運用すれば勝機は十分にあります!!それなりの数が量産され、本土決戦が行われた場合、米戦車隊にかなりの損害を与えることになったのは間違いないでありましょう!!!ハアハア、、(落ち着け)

前面からみても、その設計の巧みさがよくわかります。スタンバった状態でも必要最小限の露出で済ませられます。天井が車体最高部で地面と平行だった場合、必要以上に正面投影面積が大きくなることがおわかりになるのでは。
ただ唯一、疑問なのがキャタピラです。「日本の戦車」「日本の大砲」ともども、キャタピラの幅を広げて起動輪を「内部嵌合式」にした、専用のものが用いられたと解説されています。円盤状になっている起動輪は、そのためのものと推察されます。この車両は、砲塔式の戦車と違い、砲の向きを変える場合は車体を左右に移動させる必要があるのですが(車体を移動させなくても、砲は左右計20度動かせますが、360度の砲塔式に比べるとかなり限定されたものです。この辺はドイツの突撃砲と同じですね)、九五式のキャタピラは幅が狭いので、少しづつであろうとも超信地旋回を繰り返すと最悪キャタピラが外れるないしは切れる可能性があります。なので、足回りに何らかの改良を施す必要はあったかと思います。例えば、イタリア軍のセモベンテは、ドイツ軍に接収された後、起動輪にキャタピラ脱落防止用の爪が追加されてます。イタリア人がのほほんと使ってるときは問題なかったんでしょうけど、ドイツ人が突撃砲的な使い方をしようとしたとたん、キャタピラがバンバン外れちゃったんでしょうね、、。

閑話休題。なにはともあれ、試作はともかく量産になった場合、この単一車種のために新規にキャタピラを生産することになったかというと、ちょっと疑問です。生産できたとしても、時期的に量産状況は芳しくないでしょうし(他の車種のキャタピラも量産することを考えると、なおさら)、さらに配備部隊にスペアを補給することを考えると現実的ではないように思います(本土決戦時に、かなりニッチな部品が必要とされる車両がどこにどれくらい配備されてて、さらにその整備部隊がどこにいるかなんて、どこの誰が把握できるでしょう?さらに、この部隊は「自走」砲部隊です。戦場をあちこち移動しています。で、なんとか部隊の位置がわかったとしても、その部隊のために補給の便宜を図る、というのも非現実的です)。というわけで95式のままにしようかな?とも思いましたが、図面の特徴的な丸い起動輪にしたかったこともあり、「新規量産は難しく廃案となり、代替案として九七式のキャタピラを流用することになった」という無理くりの設定をひねり出し、そうしてみました。九五式オリジナルのキャタピラは、正面から見るとなぜか車体に密着せず、ちょっと外側の位置に付いてますので、九七式の幅の広いキャタピラもなんとか収まるような感じでした。

で、アーマー誌のジオラマに配置した状態で撮ってみました。前述の設計の巧みさと、車体がとても小さいこともあいまって、こういう風に廃屋内で待ち伏せした場合、発砲される前に発見することはほぼ不可能でしょうね。雑木林などに隠れている場合も同様かと思います。

見えないところからいきなり撃ってきて、撃つだけ撃ったあとはささっと後退して、廃村の建物や雑木林の向こうに逃げられたらどうしようもありません。M4にとっては、かなーり嫌な相手になったんじゃないかなあと。

次の話題です。「日本の戦車」では、この車両は戦闘室後部上面が開放されているとなってます。要するに、一部がオープントップとなってるわけです。根拠は不明ですが完全に閉鎖されているという説もあるらしく、これまでに発売されたガレージキットの中には、閉鎖式で製作されているものもあるようです(メーカー名などは失念しました。そういうメーカーさんの製品が複数あるのか単一なのかもわかりません。あやふやですいません、、)。で、製作してみると、やっぱり「開放されている」んだろうなあと私は思いました。

稜線射撃の状態にして砲を水平にすると、砲尾が開放された部分とぴったり合うんですね。これで発砲すると、薬莢は恐らく綺麗に外に飛び出していくんじゃないかと。車内はとても狭いので、10発も撃てば空薬莢で足の踏み場もなくなってしまいます。九七・一式中戦車には袋状の空薬莢受けが付いているのですが、これは密閉式砲塔なので外に排出できないためであり、かつ、床にそのままばら撒くとごろごろ転がるので乗員にとって危険になるためです。この作品では空薬莢受けを再現しましたが、考えれば考えるほど、発砲時は自動的に外に排出させるのが「正しい方法」だったんじゃないかなあという気がします。もちろん、薬莢はそのまま使い捨てるものではないので(きちんと回収して再利用するのが基本)、機関室上部には紛失防止用の柵のようなものが付けられたんじゃないかと思います。しかし、砲が水平の場合は、薬莢は外に飛び出すことができないので、薬莢受けが必要です。なので、薬莢受けには水平射撃時用のクッションつきの可動式の板が付いていたんじゃないかなあ、と。稜線射撃の時は、その板をずらすか折り畳むかしたんじゃないかなあ、と。図示するとこんな感じ。まあ、ここまでくると妄想の領域なのですが(笑)製作時はここまで思い至らなかったので、九七・一式の薬莢受けにならったものをつけてます。

さらに、完全密閉式にするのであれば、上面後部を斜めに切り取る(Aのライン)必然性がなくなってしまいます。天井をそのまま戦闘室後部まで延長すれば、車内はそれだけ広くなりますし(Bのライン)、かつ稜線射撃時の正面投影面積は変わりません。でも、それだと全高が高くなってしまうので、後部上面を水平にすれば(Cのライン)、車内の広さはさほど変わりません。密閉式なら、Cのラインにするのが合理的です。なので、AとCの間の空間を殺して密閉式にする理由がちょっと思いつかないんですね(資材の節約、とかはナシにして(笑))。ただ、三式砲のように後部ハッチを大型化するなら話が別です。射撃時にほとんど開放させた状態にできるほどの大きさであれば、納得がいきます。でもそれなら上部と後部が開けばいいだけなので、側面がAのラインになる必然性がなくなってしまいます、、、。だったらやっぱりCのラインかなあ、、いやでも、、というわけで、結局想像は堂々巡りになっちゃうんですが、、。ほんと、写真や図面が発掘されることを願って止みません。

で、もう一つ気付いたのが五式中戦車との類似点です。図面を参考に作って、立体になったのを見ていたら「どこかで見た形だなあ」と。何のことはない、五式中戦車の車体前部の副砲周辺の形状ととてもよく似てるんですね。

瓜二つ、とはいかないまでも各面の構成がかなり似てます。まさか設計者が同じではないとしても、製作時期はほぼ同じということもあって、設計に当たって何らかの情報交換があったんじゃないかなあ、という気がします。

それにしても、この車格の違いは凄いですね。五式中戦車はほんとでかいです。


しかしながら、この2車種が量産されたと仮定すると、実際に活躍するのは実はホルの方なんじゃないかなあと。

先に書いたとおり、整備や運用のしやすさ、隠れやすさ逃げやすさ(笑)などのポテンシャルの高さは、五式中戦車をはるかに凌駕している気がしてなりません、、というのはいいすぎですかね? もちろん、五式中戦車も最高なんですけどねえ。

というわけで、長くなりました。でも、いつものことながら、こういうエントリーが1回で終わるはずがなく(うう、、)、2回くらいにしようかなと思ってたのですが、あれこれ考えると、どうも3回くらいになりそうです。でも、連続するかどうかはちょっとわかりません。間に別のネタを挟むかもしれません。あらかじめご了承ください。

で、冒頭のイラストの全景がこちらです。今回のエントリーについてあーだこーだ考えてたら、無性に絵に描きたくなって、勢いで描きました(笑)勢いで描いたので、細かいところがかなり適当ですが、ご容赦ください。

それにしてもほんと、田んぼとかお地蔵さんが似合う車両だと思います。旧軍の車両はどれも好きですが、ホルはそのなかでもかなり好きですねえ、、、。もう一個、作りたいくらいです。10年後ぐらいに(笑)

で、再々で恐縮ですが、この車両を使ったジオラマは月刊アーマーモデリング2015年4月号にて紹介されています。この車両が紆余曲折の末無事完成できたのも、掲載されたジオラマあってのことです。同誌編集部の皆さんには感謝の言葉もありません。また、多くのアドバイスや資料を提供してくださった辻本氏にもこの場を借りて心よりお礼申し上げます。興味のある方は誌面をぜひご覧ください。

参考までに、掲載時のお知らせのエントリーはこちらです。http://blog.goo.ne.jp/morio1945/e/0a2c497d62f7526393c4bee1bfb09f3a

さらに、五式中戦車は月刊ホビージャパン2009年12月号の作例です。これも本土決戦のジオラマにしています。というか、これがきっかけとなって、私は本土決戦ジオラマを作るようになったんですね、、(懐かしいなあ、、)。これまた、興味のある方はぜひご覧ください。

それでは。
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