春休みのデッサン室

春休みのだれもいないデッサン室。
ぼんやりしながら北九州のあれこれ、デッサンしてみましょう…

らもと天使

2009年06月26日 | こころにビタミン
自分的には、ひっそり自分の心の中にとどめておきたかった事です。
表に出すつもり無かったけどブログしちゃいます。

●ショッピングモールで見た

昨年のいつ頃だったか…とにかく昨年のことです。
サンリブシティ小倉というショッピングモール。車で5分ほどのところにあります。
ここに家内と二人で買い物に行った時のこと。



ショッピングモールには必ず可愛い雑貨屋さんがあります。
そんなお店で家内はあれこれうろうろ。私はなんとなく店内をぼんやり眺めておりました。

なにか声が聞こえました。
なんだろうと、その声の方を見る。
商品の陳列棚にいろんなぬいぐるみがありまして、そこの床に女の子が一人しゃがんでいまして
なにかお話を、なにかにしている。

わんちゃんだか、にゃんちゃんだかに、話しかけている。
なんて言ってるのか聞き取れないけれど、やさしく、やさしく、
小さな声で、やさしく、やさしく語りかけているのです。
語りかけながら、ほんとうにやさしくお人形を撫でている。
やさしく撫でて、やさしく語りかけているのです。
やさしく、という言葉を百回いいたいぐらいやさしくです。

私はその光景にただ呆然として見とれておりました。
小学校の4~6年生ぐらいでしょうか。
白いシャツに白いズボンのほっそりとした女の子でした。

このお遊び?表情?いまどきの子どもの感じではない。
そんな様子に、私は遠い昔に置き忘れてきたものをみるように
ただ、ただ、眺めておりました。
なんてかわいい姿なんだろう。でもかわいいだけではない何かがある。

この子は無垢なものを無垢なまま生きているのかな。
この子は無邪気なままの心でいるのかな。

しばらくするうちにお母さんらしい人が声をかけ、
この子はなごりおしそうにお人形に一生懸命に手を振り、振り返り振り返り、別れを惜しんで去りました。

通りすがりのなんてことのない子どものお遊びの光景でしょうが
私には言葉にうまくいい表せないけど、心和むものが感じられ、温かい感情がわいてきました。

こんな光景を見せていただけたことがうれしく
もうずいぶん時間が経ちましたが忘れられないのです。

●テレビを見ていたら

この6月のことです。
普段見ない時間帯でしたが、たまたまテレビをつけていました。
あちこちチャンネルをかえて、NHKでした。
「人」を取り上げた番組でした。

その人はぼそぼそ喋ってました。(中島らもや!)
もう今はいない人です。だからもう随分久しぶりの中島らもなわけで、
テレビの中島らもは中島らもらしく関西弁でぼそぼそ語っていました。

そうするうち、このらも、とんでもない言葉を言いました。
「1日のうちに人は必ず一人天使がいてるんです。その時は天使と気づかないこともあるけど
後で天使だったんだ、と気づきます。1日に必ず一人天使が存在してるんです。」
「立ち食いそば屋のおばちゃんの姿をしてたりするけど、天使なんや、と思うんです。」

仕事が山積みで締め切りに追われていっぱいいっぱいの時に
不意に石焼きイモ屋の声が聞こえたそうです。
こんなたいへんな時に何が石焼きイモ屋や、と笑ってしまったそうです。
その石焼きイモ屋さんにふっと救われたそうです。「その日の天使」だったのですね。

らもが語った言葉は、私の記憶はうろ覚えで決して正確ではありません。
ネットでも探して(けっこう見ていた人もいて)、こんなあたりの内容だったと思います。
「人は1日に一人必ず天使に会う」という言葉が心にぐさっときました。

中島らも(Wikipedia)は頭はものすごくよくて優秀なのに、常人とは違っていた。
凡人とは異次元でぶっ飛んでいたのかもしれない。
私にはこんな発想も経験も生まれない。
ん?そうか、らもとインテリジェンスの価値感が違うんだ。

あれは、ず~っと前にサンリブで見かけた子は、天使だったのかもしれない。
考えるとあの時以来まったく見かけないなぁ。
この日なぜか偶然に見た「中島らも」も天使かもしれない。

以来毎日、天使を意識しながら暮らしています。
その日の天使の存在を思う時、毎日の過ごし方、人への接し方が変わってくる気がします。

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