徒然なるままに -20代終盤の日々-

Quand estce qu'il devient bonheur Pourquoi estce qu'il pense

時には昔の話を〜〜〜 本編ですよ

2020年04月23日 | 日記





昔、中3の卒業前に「3年間を振り返って、後輩たちへの助言」的な文集を書くことがありまして


当時、大真面目なわたしは、何の変哲も無い頑張ったことと励ましを書いた訳で


でも、それがずっと引きずっている理由は、あんな真面目に書きたくなかった!!ということ


しかも、良い作品?になったとかで、先生が全文をクラス中の人に発表したので、恥ずかしさこの上ない


あたしとしては、勉強頑張っている後輩に向けたエールであったのに


なんか、自慢話みたくなったのが、、、今でも嫌悪感に苛まれている訳です


なので、ここで全世界に修正版を発表しても良いかな、と心に決めましたとさ。


以下 本文 (前編)
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「後輩たちに贈るエール」


その日にあたしは、賭けていた。
だってこの数ヶ月、一日4時間睡眠のなか、早起きして密かなる自主練を重ねて来たのだから。

吹奏楽部のあたしにとって、運動部のライバルたちとは練習量で圧倒的な差があった。
自分なりに考案した強化メニューをこなすことを日課にしてきた。

十二月半ばの駅伝大会の当日、ひんやりと心地の良い風を感じて、スゥーっと深呼吸して第1走者からタスキを受け取った。
走りながら、スースーハーハーの呼吸が一番だと気付いた。(後にプロが採用していると知った)

走り出しは順調。
特に強化してきた最後の急勾配でスピードが落ちず、途中30人ほど抜いただろうか。
これまでの練習よりかは速いかもしれない、だけど10区も走るための体力温存は考えられない。
頭はスッキリとして、これを精一杯走ることしかなかった。

次の走者にタスキを繋いだ瞬間から、倒れこむように歩けなくなった。
両太ももが吊り、ピクピクと痙攣していた。バレー部のクラスメイト女子が肩を貸してくれ、早速足のマッサージをしてくれた。

駅伝チームのメンバーに迷惑をかけられない、10区が回ってくるまでには走れる状態に戻さないと。
2区からはあと何分あるだろうか。あぁ、頭が回らない。
確か、今日も2時半まで受験勉強してたんだっけ。睡眠不足かな。
いやいやと泣き言を拭い去り、ひたすらマッサージを施してくれることに感謝した。

そして、無事に10区も走り終えた。最初のトラック1周のところで横っ腹に激痛が走り、一瞬ダメかと思ったが、
お腹を押さえながら最後まで走りきった。
2区の惰性としか思えなかったが、体力が回復したのはマッサージと一緒にエネルギーをもらったからだと確信した。
達成感しかなかった。

結果は、区間記録の歴代1位。
思いがけないギフトだった。晴れ晴れとして、じーんとするような喜びと、痙攣で倒れているなか、
終始励ましてくれた一緒の駅伝チームメンバーのおかげだと思った。あのマッサージがなければ回復できなかった。
さらに、おまけにあの腹痛に耐えた10区も区間賞をもらえた。

付け加えておくと、翌日は朝から39.6℃の高熱が出て学校を休んだ。
やはり、体の限界を超えていたのだろう。そのくらい思い切りやれたことが嬉しくもあった。

(後編)に続く
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