余桃之罪、もしくは電光朝露

関西フィル、日本センチュリー、京都市交響楽団、大阪フィルの定期会員です。アイドルやら声優やら。妄想8割、信憑性皆無。

名古屋フィルハーモニー交響楽団第468回定期演奏会<最後の傑作>

2019年05月25日 | その他のオケ
名古屋フィルハーモニー交響楽団第468回定期演奏会<最後の傑作>
5月25日(土)16:00 愛知県芸術劇場コンサートホール

指揮/カーチュン・ウォン
ヴィオラ/ルオシャ・ファン(第4回東京国際ヴィオラコンクール第1位)

曲目:
バルトーク/ハンガリーの風景 Sz.97
バルトーク/ヴィオラ協奏曲 Sz.120[シェルイ補筆版]
シベリウス/交響曲第6番ニ短調 作品104
シベリウス/交響曲第7番ハ長調 作品105

京響定期に引き続いてね。まあ、3月の京響名古屋公演のときに「次は5月かな」とTwitterで呟いたから。
長い改修工事があったので、名フィル定期でここに来るのは二年ぶりぐらい?

ハンガリーの風景。
日本の民族派作曲家の人たちの源流のようだ。この民謡素材の処理の仕方が。
今日のプログラムの中ではカーチュンの躍動的な音楽性に一番、適した作品だった。

ヴィオラ協奏曲。バルトークの遺作ではあるが、独奏部分以外は弟子兼助手だったシェルイがスケッチを基に補筆完成させている。
だからというわけなのだが、苦手な作品である。ただでさえ晦渋な独奏部分なのに伴奏がいまいち光らないので、録音などでもじっくりと聴き通せた試しがない。
本日も全く歯が立たず。独奏者のテクニックは良かったがヴィオラに欲しい低音に力なく魅力なしでは…
違う曲で良かったのに。

シベリウス。
事前の通告で2曲は続けて演奏するという。似通った世界観の2曲であるからには十分に成立する試みではあろう、楽章数に4と1と差があるように、凝縮度の違いは大きいのだが。
先の京響定期のフランクもそうだったが、熱っぽい。熱っぽ過ぎるのだ。人の気配のないはずの音楽でも人の温もりがポツポツと感じられ、時にやや騒々しくなる。
バーンスタイン/NYPのシベリウスのような仕上がりになるに違いないと踏んで出向いたが、まあまあそのような塩梅だった。
シベリウスの音楽を愛する人で、この演奏に拒否を感じる人は少なからず出ると思う。
ただ、俺はこれを「南方のシベリウス」として聴いたので楽しく味わった。
エンリケ・バティスやカルロス・パイタの演奏を面白がる感覚に近い、侵襲性の強い西洋文明といえど変質は避けられないのだということを目のあたりにするのは面白い。
無味無臭の日本人の演奏をたくさん聴くよりは余程。

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