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古典の季節表現 夏 雷鳴陣

2018年05月26日 | 日本古典文学-夏

神のいたく鳴るをりに、雷鳴の陣こそいみじうおそろしけれ。左右大將、中少將などの、 御格子のつらに侍ひ給ふ、いとをかしげなり。はてぬるをり、大將の仰せて、のぼりおり との給ふらん。
(枕草子~バージニア大学HPより)

(長徳元年七月)二日。
内裏に参った。頭中将が云ったことには、「雷鳴(かんなり)の時に陣を立てることは、通例のとおりである。ただし村上天皇の御代、額(がく)の間を夾(はさ)んで南北に陣居(じんきょ)した。左少将済時と右中将延光であった。この時、主上が出御された。陣居の作法は違例であるということを、延光朝臣にお問いになられた。延光朝臣が申して云ったことには、『私については、兵衛府から近衛府に遷ってきました。それから幾(いくば)くも経っておりません。旧例を知ることは難しいのです。左近衛府の儀に従ったのです』ということだ。そこでまた、済時に問われたところ、まったく申すところは無かった。『この座は、やはり南北に向くべきである。東西に陣居すべきである』ということだ。ただしこの御座については、故中納言(源保光)の申された儀が、甚だ善(よ)かった。そこでその説に随った」ということだ〈少将以上は南北に相対する。共に西を上とするのである。〉。蔵人弁が云ったことには、「去る正暦四年にも、また雷鳴陣が行なわれた。故将軍は、その陣に伺候された。また南北に陣居した」と云うことだ。「この日の御座は、大床子(だいしょうじ)の御座にあるべきである。或いは昼御座(ひのおまし)の南に供すべきである。また、大床子の南に供すべきである」と云うことだ。
(権記〈現代語訳〉~講談社学術文庫)

(寛弘七年六月)六日、癸丑。
「雷電が数声あった。雷鳴陣を立てた」ということだ。右大将が内裏に参って、雷鳴陣を解いた。夜に入って、内裏、および東宮の許に参った。
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

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