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しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

「父の野戦日誌」 徐州戦争③済南に着く

2017年03月23日 | 父の話
昭和13年5月12日~5月15日

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一路天津に向かう
タンクーより汽車に乗り、一路天津に向かう。
車窓に映る大陸の景。広漠たる平野だ。
まったくぞくぞくする地平線の各戦跡の車窓からの眺め。
我等は元気で天津駅に着いた。

天津
天津は平穏だ。
この土地が敵国の土地だろうか。
多くの兵士でいっぱいだ。
各機関は我が思うように運転している。
支邦特有のチャーチャンが多く、馬を見る。
午後7時天津を出発済南に向かう。
5月12日


黄河渡り済南へ
途中、同輩が苦心して得た○○駅、○○駅の戦跡を、車窓に眺めながら渡る。
トーチカや銃弾砲撃した跡を眺めつつ通過していく。
各駅は警備の兵が我々の汽車を守ってくれる。
日中は大変暖かくなってきた。
広漠たる地平線、遥かなる地平線を汽車は、一路大陸へ大陸へ。
には日章旗と五色旗がひるがえっている。
農夫も点々と見られた。
子供たちは鉄道付近にきたりて、「バンザイ」「バンザイ」と叫びつつ、僕らを歓迎してくれる。
午後6時30分。東洋の大河・黄河の鉄橋にとおりつめた。
その鉄橋は影なく破壊され、むしろなにを運ぶ・・・・


【父の談話】2001年8月6日
(破壊された黄河鉄橋では)船を繋いで、その上にレールを敷いとった。
爆破しっしもおて、鉄道があったのが。
船は浮きになるんで、その上に柱を繋ぃで、仮の鉄橋にしとった


・・・・・・静かに無事汽車は通過し、午後7時汽車は済南に着いた。


済南に着く
済南は山東の都だ。建設物が勇壮で、実に平穏だ。
しかし空爆のあと、砲爆の跡、銃撃の跡が見える。
ごうけんの戦跡の霊にて合掌する


赤柴部隊本部へ
遠くのほうで銃声・砲声が聞こえる。
しかし、待ちに待った戦場へいよいよ到着したのだ。
戦車・装甲車の車輪の音。
自動車のひびき、ごうごうたる○○本部だ。
本日はいよいよ隊へ配属されたのだ。
自動車にて一路戦線へ、戦線へと進む。
途中の戦跡、戦傷者の輸送。
各隊のものものしい警備。
顔、みな悲壮な決心がうかがわれる。
無事午後1時30分、赤柴部隊本部へ到着する。
ああ戦場の為、柳の木、しょうようは散り倒れ、穴も各所に見受けられ、時々は、敵の不発の手のやつが空をじっとにらんでいる。
実に物騒なところだ。
流弾が地上をかすめる。
兵は皆、鉄帽をかぶり家の内や、穴の中に潜り込んでいる。
いよいよ、第一戦だなあ、でも赤柴隊長殿の英姿をあおぎてわれ等も元気をだす。
言葉をいただき我等衛生兵10名はそれぞれ各隊へ配属される。

赤柴部隊へ到着
自分は第二歩兵砲隊付だ。
ここにきて(同郷の)しのはらのぼるさんと会う。
彼は元気でいたが、実に転々の過去がある。
同郷の人と戦場で会う、出会う、語る。実に嬉しい。
個人のうかがいしれない感じである。
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