しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

廃娼運動

2017年06月26日 | 昭和元年~10年
昭和3年頃廃娼運動が盛り上がっている。
業者が反対して、婦人運動家が賛成するのはわかるが、肝心の娼妓の意思や意見がわからない。廃止後の処置や時代柄、無理であったような気がする。


以下転記する。
岡山の女性と暮らし「戦前・戦中」の歩み 発行・山陽新聞社


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1928年(昭和3年)廃娼運動の進展

農村の疲弊のため遊廓に売られてい行く女性は後を絶たず、不況の進行と共に深刻さを増した。
公娼制度廃止が法律案として初めて帝国議会に提出されたのは、1927年2月で、賛成署名代議士は100余人に達した。
全国貸し座敷業界の代表が続々上京し反対運動を展開、一方廓清会や矯風会も激しい示威運動を開始した。
1928年全国廃娼同志大会が東京で開催され、全国から300余人が参加した。代議士星島二朗が議会内推移を説明した。
県下では禁酒会館において廃娼連盟岡山県支部をはじめ仏教方面、禁酒会方面など各界から有力者を集め、廃娼大運動の準備会が開かれた。宗教党派を超えて全国一斉に廃娼の請願書を提出、一挙に目的達成を目指した。
この年12月県議会を前に廃娼運動は活発となり、埼玉県・福井県では議案が通過した。
岡山県会では出席者32人中反対22人で否決された。
当日は県下の貸し座敷業者100余人、女将20余人が傍聴席に座り、廃娼反対論に喜び過ぎて議長に注意された。
同じ日、福島県は満場一致で通過、秋田県も通過した。

昭和3年年末調査
東西・中島 座敷数123 娼妓465
下津井       11   36
日比        17   85
九蟠        2    3
牛窓        3    13
玉島        15    35
笠岡        16    68
倉敷        16    89
津山        19    71


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