しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

占守島の戦い

2018年01月07日 | 占守島の戦い
1945年8月18日の”占守島の戦い”は、結果的に北海道の分割を免れる大きな要因になったという説が多い。

この、日本最北端の孤島には笠岡市出身の杉野巌少将が旅団長として重要な役目を果たしている。


年表・太平洋戦争全史 2005年10月発行 編者・日置英剛より転記

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占守島(しゅむしゅとう)の戦い
ソ連軍が占守島に、カムチャッカ半島ロバトカ岬から直接長距離砲による砲撃を加え、午前一時半から上陸。
日本軍守備隊(第91師団基幹・約23.0000人)と激戦。
海防艦二隻、輸送艦一隻を撃沈、四隻を撃破。
占守島上陸のソ連軍一個狙撃師団と海兵隊約8.300人を迎え撃った。水際に集中砲火を浴びせ、警備艇・上陸用舟艇など合計12隻を沈め大損害を与えた。
午後4時の戦闘停止までにソ連軍の戦死傷2.000人以上。
日本側は戦車27両を失い、戦車第11連隊長池田末男大佐はじめ戦死傷約600人。

19日現地で停戦協定成立。日本軍武装解除される。
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