しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

茂平の火葬場

2017年04月04日 | 父の話
父の話・談・2000年6月17日

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茂平の火葬場
水落(みぞーち)の東の一つ先の岩場にあった。
岩へ割木を積んでいって人間を焼きょうた。
番をつけていちんち焼きょうた。
焼くばあしょうたんで岩が赤ぉなっとった。
肺病や伝染病・・・移る病気を焼きょうた。
人間の下からと上にも木を置いてうむし焼きをしょた。
普通の年寄りやこが死んだのは土葬しようた。


終戦の日(昭和20年8月15日)の兄弟はどこにいたか?
次弟(大正10年)・・・野戦中(中国)か、、、国内か?
妹(大正12年)・・・既婚・満州。
いう事を聞かない男は目の前で殺されたようた。
末弟(大正15年)・・笠岡市・勤め人。


(母が来たので同じ問)
母の兄・・岡山県既婚・教員
母の姉・・岡山県既婚・金浦青年学校の先生
母の次弟・・青森県・陸軍軍人
母の末弟・・広島県・海軍軍人



引き揚げや者の家
(終戦後、空襲で家を焼失した人や復員で同居家族が増えた時)
神戸から(祖母の妹家族が)3人きて、裏へ寝ょうた。
9人ぐらいおった。

母に聞けば)
結婚した時も多かった。
夫婦、・・2人
夫の父母・・2人
夫の兄弟・・3人
夫の祖父・・1人
夫の曾祖母・・1人
計9人。
2~3年以内に、兄弟3人が結婚で出て、曾祖母、祖父が亡くなった。




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茂平の備中杜氏

2017年04月04日 | 父の話
ID:s7n1uf

なおさんやたーさんが杜氏をしょうた。
冬の仕事で、寄島からの伊予の酒屋。
あやじさん(寄島や大島の)についていって杜氏になったら、夏から行きょうた。
ええ月給取りで、住み込みで
夏は時々見にいきょうた。


昔の巡査
サーベルをぶら下げて、
悪さをすると「巡査がつれていくぞ」ゆうて言わりょうた。
家の内情を調べて台帳をこしらえとった。
よう出て歩きょうた。


お金がはいった時
講があった。
講で運用しょうた。
近所で気のおうたものどうしでしょうた。
銀行はめんどくさい。
利子は飲みょうた。
(他には・農協・農会)

ひき臼
メリケン粉を作りょうた。それでカシワやこ作りょうた。

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夜なべ(ようなべ)

2017年04月04日 | 父の話
父の話・談・2000年7月17日

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夜なべ(ようなべ)
真田を組んで、藁を切ってそろえて・・・。
裸麦は先は先でとり。
麦藁を硫黄でうむして、白うして、干して乾燥しとくんじゃ。
中は割ってうむして真田を組む。

真田講堂
真田講堂へ寄付しょうた。学校へ寄付して基金にしょうた。
時には学校へ寄って組むゆうこともしょうた。

雨カッパ
稲わらで作った箕。帽子もじゃ。
ええ河童はなかった。自分で(家で)作りょうた。

小学校の通学靴
子供の時はぞーり。竹の皮で作ったぞーり。
竹の皮だけじゃあいけんので藁を混ぜとった。軽い。

蜜蜂屋
(管理人・昭和30年代のこと)
蜜蜂屋がおかしてくれいゆうてきょうた。
終わって帰る時、(お礼に)まぜったのを呉りょうた。
ええ密はくれずに。
新涯によぅ陽が当たるので、そこへ置きょうた。10年ほど来た。
春から秋までおった。ミカンの密がいちばんええそうじゃ。
枇杷も密がある。
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神島大橋の名称

2017年04月04日 | 昭和41年~50年
本土から離島に架ける橋は、名称を決めるのに一定の決まり方があるのだろうか?

神島大橋とほぼ同時期に完成の、
広島県「尾道大橋」は本土の地名。
山口県「大島大橋」は島の地名。
広島県「音戸大橋」は島(倉橋)の内の町名。

離島から離島への橋は、
広島県・大きな向島から岩子島へ「向島橋」。
広島県・大きな生口島から高根島へ「高根橋」。

神島大橋よりずっと大きな「関門橋」は、“大橋”ではなく“橋”。

特に決まりごとはないようだ。
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