54歳からの欧州一人旅と日々をつれづれに

思いつくまま時、場所を選ばず綴ります。

20回目の欧州一人旅「ドイツ」5

2014-06-09 11:37:21 | 欧一人旅20回 ドイツ
2014.5.21(水)続き  Weimar滞在

ゲーテとシラー像のある劇場広場(ゲーテがヴァイマール公国のカール・アウグスト公に招かれ1775年に
来た時26歳 以来82才で亡くなるまでの生涯の大半をヴァイマールで過ごした) 
赤ちゃんはこの後大泣きしてしまい謝った 右:前回入場したゲーテハウス前で10:55

Wielandplatz→Marienstr.と来たのでリストの家が近いはずだが大学生5人位聞いて
やっと“すぐそこです”と女子学生が教えてくれた 広いイルム公園の入り口にあった
入館する前に椅子に掛けて一休み あ~… ここをリストが この景色を見て… 

Liszt-Haus入館料4€ フラッシュなしで写真OK フランツ・リスト

リストのベッド… リストはバイロイトで亡くなったのだが75歳までの晩年をここで過ごした

老紳士がほゞ一緒に入館し写真を撮っていたが先に帰った 一人で11:10~11:50 

2階の部屋から外を眺めた リストが老体で大変だったろうな~ と思いながら階段を
下りて行くと1階にはリストの曲を選んで聞けるコーナーなどもあった

受付の女性も感じ良く居心地良かった これだけでも今回の旅行は満足だと思った

リスト像が近くにあるはずだが大きな木に隠れて見つけ難く探していたら親切な人が教えてくれた
Lisztは1842年ワイマール宮廷楽士長となり1848~1861ワイマールのアルテンブルクに滞在していた 
1869年まではローマに暮らし再びワイマールに戻って死を迎える1886年までここに住んだ
持参したメモ リスト:1811年ハンガリー生まれ 9歳で最初の演奏会、10歳でウィーンに行きサリエリ、
ツェルニーに学び、シューベルトにも会い、ベートーベンの目前で演奏した際彼の接吻を受けたとか 
1823年パリに行き名声を得 ショパン、ベルリオーズ、パガニーニと交友を結び10年間パリを中心とした生活
1848年ピアニストとしての公開演奏を打ち切りワイマールに居を決めた ここで大公の音楽監督、指揮者と
して活躍、多くの音楽家を援助した ワーグナー(娘コジマの夫)がドイツ憲法戦争に関わり逮捕され
ようとした時はリストを頼ってチューリビで亡命 スメタナのプラハに音楽学校設立の後援も 
ワイマールはリストにとって落ち着いた生活に恵まれた時代で「交響詩」という世界を創建した
1859年ワイマールの職をやめヴィトゲンシュタイン公夫人と結婚するため1861年ローマに赴くが反対され延期
宗教に更に深い関心を向けるようになった 晩年は教育活動に功績を遺した 没する年、
彼は45年間休んだ演奏を再開 コジマの願いでバイロイトへ行き(リストが来ているというだけで
音楽会の名声は上がった)オペラ臨席時の風邪がもとで10日後に死去 墓はワイマールに
  続く→

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