ぎょうりやま

かいちょうさんの日記

秋季大祭真柱講話の真意

2016年11月30日 | 日記
道の将来を担う人材の育成
特に若者の丹精…

そんな掛け声がある中
秋季大祭の真柱様の神殿講話に耳を傾けた
だが、この問題には全く触れずに終わってしまった

真柱様のお話
「かしもの・かりもの」の基本教理
八つのほこりの話
これを詳しく、分かり易く説かれた

何事も基本が大事である
基本が出来ていなくては何をやっても駄目だ
そこを真柱様は教えて下さったのだと思った

親が陽気ぐらしをしていれば
信仰を子供の伝える事など簡単な筈ではないか

親が陽気ぐらしが出来ていない
そんな親の信仰を継ぐ子供は居る筈もない

子供が問題を起こす
悪い友達を持ったと嘆く
学校の教育が悪いと嘆く
担任の先生の人格を責める

だが、本当の原因は家庭や親にある事は自明のことである

若者の丹精に先行する大事な事
それは、親の問題ではないか
そこを真柱様は教えられたのだと私は思う

であれば
若者の丹精とは
中高年の丹精抜きには不可能ではないのか^^

不思議

2016年11月28日 | 日記
今月の25日
一人のご婦人が用木となった

会長を拝命して17年
17名の用木をお与え頂いた
平均すると一年に一人の割合である

その誰もが不思議なご守護を頂いている
不思議がなければ道は付かない
百の説教より一つの不思議

不思議
それは塞いだ耳を開かせ
疑いの心を晴らし
閉じた目を開かせる

この道は
不思議、不思議で成り立つ道だと教えられる


礼拝日お話

2016年11月25日 | 日記
おさづけの取り次ぎについて

おさづけの理は神様が世界たすけの為に渡された効能の理です
せっかく頂いても使わないようでは、
なんの為にいただいたのかわかりません。

効能の理が表れないのは誠が足りないからです。
では、どうしたら誠真実心となれるのか、
それはおさづけを取り次ぐことによって、段々と身に付いて行くものです。
おさづけを取り次ぐ行為は、
相手に何とか助かって貰いたいと祈る真実の行為です。
その真実の行為を積み重ねる事によって、
神様が望まれる誠真実の心が出来上がって行くのです。

ドンドンおさづけを取り次がせて頂く
そこに真実誠の理が積み上げられて行きます

効能の理を見せて頂けないからと言って、
尻込みしたり、躊躇していては、
いつまで経っても神様の望まれる用木となることは出来ません。

人たすけて我身たすかる信仰なのですから
おたすけをしなければ、真に自分もたすかる事は出来ません。
おさづけのお取り次ぎを通して一生懸命おたすけをさせて頂きましょう。

おさづけはクサビ

2016年11月18日 | 日記
お道の理解者は沢山いる
だが、理解者であって信仰者ではない

理解はするが信仰はしない
有難いようだが、これでは困る
どうすれば良いのか

理解の壁に信仰のクサビを打ち込む
それがおさづけだと思う

人は不思議を見なければ耳を開こうとはしない
塞いだ耳を開かせる
おさづけによる霊救
おさづけによる不思議
百の説教より一つの証拠だ
それが信仰のスタートとなる

おさづけは
道を開くクサビのようなものではないだろうか