足跡

私と誰か

入院している母と重ねあう自分の将来

2017-11-18 15:49:25 | Weblog
9月18日、家でけがをして、救急車で運ばれてから今の病院へ転院して現在もまだ入院している母はすでに87歳、来年の3月で米寿を迎える。

高齢だと言えば高齢である。が、怪我するまでは毎日自分のことは自分で何でもやり、毎日の散歩は欠かせなかった。そんな母親は今もどかしい気持ちでいる。

当初は病院の先生方に認知症が出ている、とまで言われ、もう歩くのは、と脅かされ、食事もろくにとれずこのままでは衰弱してしまうと言われた。

そんな矢先、お見舞いに来た方々に食事をとらないと本当に歩けなくなるし、自宅に戻れないと励まされ、ここ数日は本人もやる気が出たようで、まずい病院食を食べて、リハビリも2回こなすほどになった。

やつれた母親は、涙もろくなり自分の今後は短いと嘆く。私は必死に励ます。
もう人生十分にやれることはやった、という。父を20数年前に亡くし、必至で生きてきた母親、病院であきらめてしまうのはどうしてもやるせないことだ。

何とかして気持ちを明るく持ちこたえ、辛いリハビリも頑張って、早く孫たちの家に帰してやりたい。

私は1週間に一度しか行かれないが、弟や義妹が懸命にやってくれてる。ありがとう。感謝です。
近くにいる従妹も毎日のように顔を出してくれている。

娘として、こんなことしかできないことが情けない。
私ももう65歳、息子や娘がいますが、子供たちには家族もあり、迷惑をかけられない

しかし、母親のような突発的な事故にあったら、自分はどう思うのか。

その場合はいっそ食事を拒否して静かに眠りたいか、最近そればかりを考える。

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