読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

【読了本】『紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている』 苦難を乗り越え、つながったものの重さと大切さ

2015-01-04 22:24:52 | 「本」についての本

『紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている 再生・日本製紙石巻工場』
佐々涼子著、早川書房、2014年


2011年3月11日に発生した、あの東日本大震災。想像を超える被害の甚大さに慄く日々が続いていた中、当時勤務していた書店に取次会社(出版物における“問屋”といった存在)から、このような内容の通知が届きました。
「東北で紙やインクを生産している会社が被害を受けたため、一部の雑誌の発行が休止したり、遅延を生じることになりました」
もう長きにわたり、出版物を売る仕事に携わっているわたくしなのですが、その出版になくてはならない紙やインクが、東北の地で生産されていたという事実を、恥ずかしながらこの時初めて知ることとなりました。
本書『紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている』の舞台となる、宮城県石巻市の日本製紙石巻工場こそ、まさしく日本の出版を紙の生産によって支えてくれている存在です。近年の出版物では、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(村上春樹著、文藝春秋)や、文庫版の『永遠の0』(百田尚樹著、講談社文庫)といったベストセラーや、『ONE PIECE』『NARUTO』(いずれも集英社ジャンプコミックス)といったコミックスの用紙が、この石巻工場の生産になるものです。
あの日、日本の出版を支えている日本製紙石巻工場で何があったのか。そして、想像を絶する大きな被害から、工場と会社の人びとはどのようにして立ち上がり、工場を復活させていったのか。開高健ノンフィクション賞を受賞した『エンジェルフライト 国際霊柩送還士』(集英社文庫)の著者である佐々涼子さんは、工場で働く人びとをはじめ、日本製紙本社の方々や石巻の住民からのインタビューを積み重ねながら、困難を乗り越えて工場が復興を遂げるまでのドラマを描き出していきます。

あの日、石巻市を襲い3000人を超える人たちの命を奪った大津波は、石巻湾に面した日本製紙石巻工場にも甚大な被害をもたらしました。発災直後の的確で迅速な避難誘導によって、当時工場にいた1306名はなんとか全員、無事に助かることができました(とはいえ、非番の人の中には亡くなられた方もおられました)。
津波が引いたあとの工場は、見るも無残な状況を呈していました。4~5メートル近い高さで押し寄せてきた津波によって、構内には工場内にあった紙のロールやパルプ、コンテナやトラックなどが散乱。さらには外から流れ込んできた住居の2階部分や車などが、泥にまみれてうず高く積み重なっていたのでした(のちに構内からは、津波に流された41人のなきがらも見つけられることになります)。工場内にあった、世界最大級の主力マシン「N6」をはじめとする生産マシン群も、ことごとく塩水と泥に浸かってしまっていました。工場が壊滅的な状態にあったのは、誰の目にも明らかでした。
従業員の中には、石巻工場は閉鎖されるのではないか、とまで思う人もいるという絶望的な状況。そんな中、震災からまだ半年も経たない段階で、当時の工場長はこう宣言したのです。

「まず、復興の期限を切ることが重要だと思う。全部のマシンを立ち上げる必要はない。まず一台を動かす。そうすれば内外に復興を宣言でき、従業員たちもはずみがつくだろう」「そこで期限を切る。半年。期限は半年だ」

まだ電気や水道などのインフラも復旧していない中での「半年復興」という宣言。実のところ、当の工場長も含めた誰もが不可能だと感じるような、途方もない目標でした。が、一日も早く工場を再生させることができるか否かが、工場はもちろん地元の石巻市、そして日本の出版の命運を左右することを、工場の人びとは誰よりもよくわかっていました。
日本製紙の経営トップも、そんな工場の人びとの思いをよく理解していました。石巻工場入りした同社の社長は、かつて石巻工場で共に働いた方の息子さんでもある労働組合の支部長を見つけると、こう声をかけたのです。

「工場のことは心配するな」

そして、工場が存続できるのかどうかと不安に駆られる従業員たちを前に、社長は高らかに宣言します。

「これから日本製紙が全力をあげて石巻工場を立て直す!」

かくて、工場の再生に向けた、工場の人びとの悪戦苦闘の日々が始まります。そして、震災から半年後の9月14日、最初に復旧されたマシンが稼動する時を迎えたのです•••。

まさに奇跡的といえる、絶望からの見事な復興へのドラマに、読みながら幾度も、目頭が熱くなるのを抑えられませんでした。
現場の方々の、工場再生への強い思いの源となったのは、地元石巻の復興への願いと、日本の出版を支え続ける出版用紙の生産という仕事へのこだわりと誇りでした。それがあったからこそ、日本製紙の基幹工場たる石巻工場の存在と役割は、これからに向けてしっかりとつながっていくことができたのです。そんな工場の人びとの存在に、ひたすら深い敬意を抱きました。
工場の人びとの仕事へのこだわりと誇りが滲み出るエピソードやことばは、本書の至るところに散りばめられています。その中でもとりわけ印象に残ったのは、出版用紙の製造を主とする「8号マシン」のリーダーを務める男性が小さい頃の娘さんに言っていたという、このことばでした。

「紙にはいろんな種類があるんだぞ。教科書は毎日めくっても、水に浸かっても、破れないように丈夫に作られているだろ?コミックにも工夫がいっぱいあるんだ。薄い紙で作ったら、文庫本の厚さぐらいしかなくなっちまう。それじゃあ子どもが喜ばない。手に取ってうれしくなるように、ゴージャスにぶわっと厚く作って、しかも友達の家に持っていくのにも重くないようにできてる。これな、結構すごい技術なんだぞ」

子どもの頃から親しんでいたコミックに、そのような工夫と思いが詰まっていたとは•••。このことばには、大いに胸が熱くなるのを感じました。

現場の方々はもちろんですが、東京にある日本製紙本社の人びともまた、出版の営みが滞ることのないよう、必死の努力を続けていたことを、本書は伝えます。
工場長をはじめとする現場の人びとが最初に立ち上げようとしたのが、世界最大級のマシンであるN6でした。石巻工場のシンボルであるこのマシンを立ち上げることで、復興を強烈にアピールできる、と。しかし、本社の営業部は、出版社が出版用紙を待っていることを理由に、8号マシンの立ち上げを最優先にするよう言ってきたのです。現場の人びとは悔しさと無念を抱えながらも、方針転換を受け入れることになったのでした。
営業部の人びとも、現場の大変な苦労は十分過ぎるほど理解していました。にもかかわらず、方針転換を迫ったことについて、販売本部長はこのように語ります。

「日本製紙のDNAは出版用紙にあります。我々には、出版社とともに戦前からやって来たという自負がある。出版社と我々には固い絆がある。ここで立ち上げる順番は、どうしても出版社を中心にしたものでなければならなかったのです」

本社の営業の人びともまた、間違いなく自らの仕事への強い使命感と誇りを持った方々だったのです。そのおかげで、日本製紙と出版社との絶対の信頼関係も、しっかりとつながっていくことになりました。そのことを知って、営業の方々にもまた、深い敬意が湧いてきました。

本書では、工場に所属している社会人野球チーム、日本製紙石巻硬式野球部にもスポットを当てます。
長きにわたり、思うような成績を残せていなかった野球部は、新たな監督を迎えた2009年以降、登り調子となり快進撃を続けていました。そんな野球部も、震災により存続の危機に直面することになりました。
しかし、かつて勤務していた旭川工場の野球部が、リストラ策の一環として石巻工場野球部へ統合されるのを、当時の野球部長として為す術もなく受け入れざるを得なかった石巻の工場長には、石巻の野球部を潰したくないという思いがありました。経営トップにもまた、野球部を潰すという選択はあり得ませんでした。
かくて存続が決まった石巻工場の野球部は、石巻の人びとの期待を担いながら、震災後のシーズンを戦うことになりました。その野球部のドラマもまた、本書の読みどころです。

とはいえ、本書は読むものの心を揺さぶる感動のドラマばかりが記されているわけではありません。日本製紙の従業員もよく訪れていたという、ある居酒屋の店主の証言を引きながら、震災直後の石巻で略奪行為が横行していたことが明らかにされます(その中にはなんと、家族連れによるものもあったとか)。居酒屋店主の口からは、外からやってきた「コンサルタント」や、エセNPOに対する怒りも語られます。
困難な状況に直面したとき、気高い行為をなすことができるのも人間なら、醜く唾棄すべき行為に走るのも、また人間。そのこともまた、しっかりと直視しておかなければならないでしょう。
著者の佐々さんは、工場の人びとや石巻の人びとが語った当時の記憶を、あくまでも淡々とした記述で記録することに徹しています。その姿勢には、大いに信頼と好感を持ちました。

本書の終盤に綴られた以下の一節が、わたくしの胸にじんじんと響いてきました。少々長い引用ですが、ぜひともご紹介させていただきたいと思います。

「本が手元にあるということはオーストラリアや南米、東北の森林から始まる長いリレーによって運ばれたからだ。製紙会社の職人が丹精をこめて紙を抄き、編集者が磨いた作品は、紙を知り尽くした印刷会社によって印刷される。そして、装幀家が意匠をほどこし、書店に並ぶのだ。手の中にある本は、顔も知らぬ誰かの意地の結晶である。
読者もまたそのたすきをつないで、それぞれが手渡すべき何かを、次の誰かに手渡すことになるだろう。こうやって目に見えない形で、我々は世の中の事象とつながっていく。」


本書から、想像を絶する苦難を乗り越えながら、確実につながったものの重さと大切さが、ずっしりと伝わってきました。
出版物を売る仕事をする身として、そして一人の読者として、手渡された「たすき」を、ささやかながらも誰かに手渡していかなければ•••。新年最初に読んだ本書から、そんなことをつくづく感じました。

本書に使われた紙は、本文からカバー、帯に至るまですべて日本製紙石巻工場で生産されたものです。中でも口絵に使われた「b7バルキー」は、震災後に開発された真っ白な紙です。表面が光ったりすることなく、掲載された写真をくっきりと見せてくれる優れものです。そして本書の売上げの5%は、石巻市の小学校の図書購入費として寄付されるとのこと。
願わくは、本書はぜひともご購入のうえで、紙の感触を味わいつつお読みいただけたら、と思います。



【関連オススメ本】

『復興の書店』
稲泉連著、小学館(小学館文庫)、2014年(元本は2012年に小学館から刊行)

津波の被害を受けながらも再開に漕ぎ着けた書店、原発事故により閉鎖を余儀なくされた村営書店スタッフの思い•••など、震災で被災した書店とそこに働く人びとへの取材から、本と本屋の存在意義をクローズアップさせたルポルタージュの文庫版です。途中に挟まれているコラムに、日本製紙石巻工場に触れたものがあり、工場長へのインタビューも織り込まれています。

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4 コメント

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そういう本だったのですね (けい)
2015-01-04 23:16:21
何度か書店で見かけていたのですが、手にすることなく別の本を購入していました。こういう内容の本だったとは・・・
ぜひ読んでみたいと思いました。閑古堂さんがどう感動したかがわかって それがこちらにもぐいぐい伝わってきます。
本の作り手と読者 読者が受けた感銘が次の人へと伝えて行く まさしくここはそれが具現できている気がしました。
閑古堂さんの紹介文からはとても温かいものが感じられます。それは人に対して優しい目線があるということではないかなと思います。少し落ち着いたら じっくり読んでみようと思います。良い本を紹介してくださってありがとうございます♪
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Re:けいさん、さっそくのコメントありがとうございます! (閑古堂)
2015-01-04 23:29:50
実はこの本、けっこう早い段階で買っておいた本だったんですけど、たぶん読んだら気持ちが揺さぶられるだろうな、と思って、ゆっくり時間が取れるときに読むことにしたんです。で、結果的に今年の読み始めとなった次第なんです。読んでみるとやはり、強い感動を覚えましたね。
本書に対しては自分の思い入れもけっこう強いものがあって、かえってどうご紹介したらうまく伝わるんだろうかと悩みましたね。なので、けいさんがそのようにおっしゃってくださるのは、すごく嬉しいし有難く思います。よろしければぜひ、お読みになってみてくださいませ!
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このあとで (けい)
2015-01-08 19:33:06
この書き込みのあと 1月5日にABS放送で「池上彰のJAPANプロジェクト 日本人の底力」という番組があって、録画していたのですが、それを見ていたら・・・なんと この本のことが出てきたのです!しかも本に基づいて再現ドラマ仕立てになっていて、閑古堂さんが感動した言葉が次々と出演者の口から出てくるのです。まさしくこれだ!って感じでびっくりしながら見ました。
すごい本なんだなと思いましたよ。佐々さんの仕事ぶりが伺われます。池上さんが石巻工場の方々に感心している様子にますます本を読んでみたくなりました。さすが閑古堂さん、目のつけどころが違いますね。
良い本の紹介 これからも続けてくださいね♪
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けいさん、その番組、観たかった~! (閑古堂)
2015-01-09 21:00:31
わたくし、その番組のことはツイッターで知りました。ぜひとも観てみたかったのですがU+2022U+2022U+2022民放が2局しかないわが宮崎では、放送される機会がなくってU+2022U+2022U+2022(泣)。けいさん、ご覧になられたのが羨ましいですよ~。
あらためて、本のほうに関心を持っていただけて、なんだかこちらも嬉しくなりますね。お時間のあるときにでも、ぜひ!
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