読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

『戦地の図書館』 戦争と本をめぐる知られざる歴史が教える、本の持つ大きな力

2016-06-20 07:23:58 | 「本」についての本

『戦地の図書館 海を越えた一億四千万冊』
モリー・グプティル・マニング著、松尾恭子訳、東京創元社、2016年


第二次世界大戦時。自分たちの意に染まない書物を “焚書” というかたちで葬り去ったナチスドイツに対する思想戦の一環として、なおかつ、前線で戦う兵士たちの心の糧となるべく、史上最大となる「図書作戦」がアメリカで繰り広げられました。それにより、合わせて1億4000万冊にのぼる書物が戦地へと届けられたといいます。
本書は、これまであまり知られることのなかった「図書作戦」の全貌を、多くの史料をもとに丹念に掘り起こしたノンフィクションです。

ヒトラー率いるナチスドイツは、「ドイツの純粋性を守る」ためだとして “非ドイツ的” と一方的に見做した数多くの書物を禁書とし、炎の中に投げ入れて燃やす “焚書” というかたちで葬り去りました。さらに、自らが支配下に置いた国においても、数多くの書物を処分したり、図書館を閉鎖するなどといった、文化に対する攻撃を繰り広げたのです。
本書の巻末には、ナチスドイツによって禁書とされた著者のリストの一部が付録として掲載されています。アーネスト・ヘミングウェイ、トーマス・マン、ヘレン・ケラー、ハインリヒ・ハイネ、カール・マルクス、カレル・チャペック、H・G・ウェルズ、アルバート・アインシュタイン、ヴァルター・ベンヤミン、ロマン・ロラン、ヴォルテール、ジークムント・フロイト・・・。ホロコーストならぬ「ビブリオコースト」(書物大虐殺)によって、1億冊を超える書物が葬り去られました。

ナチスによる「ビブリオコースト」に対抗するための思想戦の一環として、そして戦地で戦いの日々を送っている兵士たちの心の糧とするために、戦地へ本を送ろうという動きがアメリカで始まりました。史上最大規模となる「図書作戦」が幕を開けたのです。
最初に展開されたのは、図書館員たちの呼びかけにより、一般の人びとへ戦地へ送る本の寄付を募るという「戦勝図書運動」でした。各地の図書館や学校、百貨店などに設置された本の寄付を受け付ける窓口には大量の本が積み上がり、目標としていた1000万冊を達成することができました。それらは戦地に送られ、兵士たちの心身の傷を癒すことに寄与したのです。
しかし、寄付される本の多くが、戦場ではかさばってしまうハードカバーであったことに加え、兵士たちには不向きな内容の書籍も多かったことなどから、「戦勝図書運動」は開始から2年足らずで終了してしまいます。とはいえ、兵士たちにはまだまだたくさんの本が必要でした。

そこで立ち上げられたのが、陸海軍と出版業界の協力のもとに設立された組織「戦時図書審議会」が、兵士たちに向けた新しいペーパーバックを製作して供給するという「兵隊文庫」プロジェクトでした。
「兵隊文庫」は、軍服のポケットにも入るサイズと、ハードカバーの5分の1以下という軽さの、横長のペーパーバックでした。その大きな目標の一つが「兵士一人一人の好みに応えられるように、毎月、幅広い分野の作品を出版する」というものでした。本書の巻末にもう一つの付録として収められている、「兵隊文庫」として刊行された書目のリストを見ると、その内容の幅広さに驚かされます。
シェイクスピア『ヘンリー八世』やディケンズ『オリバー・ツイスト』、トウェイン『トム・ソーヤーの冒険』、メルヴィル『白鯨』などの名作文学をはじめ、H・G・ウェルズ『タイム・マシン』『宇宙戦争』などのSF、レイモンド・チャンドラー『大いなる眠り』などのミステリー、E・R・バローズ『ターザン』シリーズなどの冒険もの・・・。さらには詩集や政治思想書、歴史書、文明論、戦記もの、科学や数学の本、漫画、そして復員後の生活に役立つようなビジネス書などの実用書までラインナップされていたという充実ぶりです。あのフィッツジェラルドの名作『グレート・ギャツビー』も、この「兵隊文庫」を通して広く読まれるようになったといいます。戦地に送られた「兵隊文庫」の冊数は、1億2300万冊以上に上るとか。
「兵隊文庫」は、危険と恐怖に苛まれる厳しい戦いと、長く退屈な待機の時を繰り返す日々で疲弊していた兵士たちに争って読まれ、この上ない心の支えになりました。これまで本など読んだことのなかった多くの者たちが、「兵隊文庫」をきっかけに本に親しむようになったことで、アメリカにおける出版の裾野は大きく広がりました。さらには、本を読むことで学業への欲求を持った兵士たちが、復員後こぞって大学へ進学したことで、高等教育を受ける者の数も飛躍的に増えることになったのです。

「兵隊文庫」はヨーロッパの人びとに向けた海外版も製作、供給され、中国語版や日本語版の出版も要請されたものの、資金難のため実現しなかった。異なる作品を上半分と下半分に分けて同時に印刷し、裁断するという方式をとったがゆえに、片方の作品のページがもう片方の作品に入り込んだり、逆に欠けていたりするものもあった・・・などなど、本書により丹念に掘り起こされた「兵隊文庫」についてのエピソードの数々はまことに面白く、興味の尽きないものがありました。中でも、時の政治家らによる検閲の動きに、「戦時図書審議会」が軍とメディアの後押しを受けながら毅然と闘いを挑む過程を綴った章は胸熱でした。
しかし、なにより感銘を受けたのは、至るところに引用されている、戦場で本を読むことで救われた思いを綴った兵士たちからの手紙でした。
過酷な戦場の現実に直面し、感情を失っていたというある海兵隊員は、マラリアで入院中に「兵隊文庫」の一冊であったベティ・スミスの小説『ブルックリン横丁』を読んで笑い、涙し、感情を取り戻すことができた喜びを、著者のスミス宛ての手紙でこう綴っていました。

「それがどんな感情なのかを説明するのは難しいのですが、とにかく、感情が湧きました。僕の心が生き返ったのです。自信も湧き上がり、人生は、努力次第でどうにでもなるんだと思えるようになりました。(略)」「戦いで鍛えられた海兵隊員は、物語に涙するなんて女々しいことはしないものです・・・・・・でも、僕は泣いたことを恥じてはいません」

『ブルックリン横丁』は兵士たちの間で人気のあった作品だったようで、ドイツ軍の攻撃で砲弾が炸裂する中、『ブルックリン横丁』を読んでいた隊員がその一節を声に出して読み、隊の皆で腹を抱えて笑った、という大佐からの手紙も引用されています。
また、「戦勝図書運動」で寄付された本を送られた従軍牧師は、こう手紙に綴っていました。

「本は、心を傾ける価値のある何かを与えてくれます。本を読むと、戦争がもたらす破壊についてただ悶々と考えていた兵士が、建設的な何かに心を向けるようになります」

危険と恐怖に苛まれる困難な状況にあって、書物の存在が兵士たちにとっていかに強い心の支えとなっていたのか、ということを、それらの手紙は実に雄弁に物語っていて、読んでいて何度か目頭が熱くなる思いがいたしました。

いうまでもなく、戦争などが存在しない平和な世の中で本を読むことが、一番理想的で幸せなことなのは確かです。
ですが、一冊の本が困難な状況を乗り切るための心の支えとなり(困難な状況は、なにも戦争に限ったことではありません)、さらには個人はもちろん国の未来を変える力を持つ存在でもある、ということを教えてくれる本書には、大いに示唆されるものがありました。本の持つ大きな力を信じていきたい、という思いを新たにいたしました。
本を愛する全ての方に、ためらうことなく強くお勧めしたい、素晴らしいノンフィクションであります。

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