熊は勘定に入れません-あるいは、消えたスタージョンの謎-

現在不定期かつ突発的更新中。基本はSFの読書感想など。

眼閃の奇跡

2006年03月23日 | Wolfe
3回続けて読み直して、ようやくその凄さの一端が垣間見えた作品。
ウルフにはめずらしく、読者に見えるところでいろいろと説明をつけているし
ラストも一応きちんとしているので、さらっと読んでもきっちり泣ける。
その一方、再読を重ねることによって物語の見え方がどんどん変わってくる
またもや底の見えない作品でもあるのだ。
こういう凝りに凝った作品が書けたのは、むしろ兼業作家だった強みかも。
小説1本で家族を養うには、ウルフの作風はちょっとマニアックすぎる。
やっぱり「ゲイマンほどのお金持ち」になるのは、なかなか難しそうだ。

例によってあらすじの紹介。
盲目の少年ティブと狂った教育長パーカー、そして教育長の召し使い役で
学校の用務員だったというニッティ。
社会からはみ出したこの3人が、コンピュータとロボットに管理された
ディストピア感に満ちたアメリカを旅していくというのが、この話の
おおまかな筋である。
そしてこの世紀末的な現実世界と、盲目のティブが幻視する「オズ」の世界を
背後で仲立ちするのは、ウルフお得意の聖書のエピソードである。

この『眼閃の奇跡』を読み、ウルフの手本にして最大の目標こそ、
実はこの「聖書」ではないかという印象がさらに強まった。
ウルフは宗教的な意味合い以上に、「原典も著者も不明確」であること、
内容が「事実としての奇跡」を書いていること、そしてなによりも
「書物でありながら現実世界に多大な影響を与え続けている」という
聖書の持つ特質にこそ、魅力を感じているのではないか。
彼は物語の力の究極の成功例を、そこに見ているように思う。
そしてウルフの作品もまた「世界の変容」を主題に書かれているのだ。

一方、この作品が「キリスト的なもの」について語ることを目的としているのも
また事実である。
盲目のティブに世界が見えないように、世界もまたティブを見ることができない。
そしてティブがイエスもしくはクリシュナ、あるいはそれに類する「世界の王」と
作中で暗示されるに至り、世界はその主を見つけられないという事が明かされる。
まさしく「地獄とは神の不在なり」というわけだ。
付け加えるなら、この世界観は『闇の展覧会』に収録された『探偵、夢を解く』の
ラストシーンにも通じるものがあると思う。
あれもまた「その男を知っているのに、名前を思い出せない人々」の物語であり、
ラストはそんな人々に対する皮肉めいた述懐と読むことも可能なのである。

リトル・ティブは、作中でその力を「癒し」として発現させるが、物語が進むにつれ
それを遥かに超えた「奇跡」を起こしている。
396ページで起きていることは、パーカーがコンピュータに対して行った「操作」と
同じものなのだ。
リトル・ティブが冷蔵庫からビールを取り、それを戻してコーラを取ったシーンは
この場面と暗に通じるものがある。
そしてラストにおいて、ついに「彼女」が登場することにより、リトル・ティブが
今いる世界は、フィクションとしての「オズ」の世界へと置き換えられる。
彼女はティブを「ドアの向こう」へと連れて行ってくれる存在かもしれないのだ。
さらに踏み込んで言うなら、そんな力を持つティブを「引き寄せた」のは、願えば
必ず仕事が見つかるという、ニッティ自身が秘めた力と見ることもできるだろう。

今のところ気がついたのは、このくらい。
しかし「オズ」をきちんと読んできた人であれば、もっと早くにこれらのポイントを
押さえることができたのかもしれない。
ティップが誰だかわからない私など、あれこれ試したあげくにアメリカのWikipediaまで
たどり着く羽目になってしまったくらいである。

『アメリカの七夜』に続き、この『眼閃の奇跡』もまた、超重量級の傑作だ。
万一これが星雲賞を取れたら、日本の海外SFファンはそのセンスを
世界に誇ってよいだろう。
本当、こういう作品をちゃんと評価して欲しい。お願いですから。

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