仮称 藤衛 blog

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間取のアルバム 2011-06-22

2011年06月11日 | ・老後の住まい

間取のアルバム 2011-06-22

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「老後の住まい」について

2010年12月10日 | ・老後の住まい
老後の住まいとは

 退職後(老後)の生活をさらに細かくライフステージごとに考えてみると
次のように分類できるのではないでしょうか。

 (A): 現役時代からの仕事に関わっている時期
 (B): 趣味や周辺活動がアクテイブな時期  (子や孫の世話も)
 (C): 住宅内で過ごす時間が長くなる時期
 (D): 介助や介護が必要になる時期

    (配偶者がいる場合は、一人になることも)

 人によっては退職後の生活は30年以上に及ぶのかもしれません。
子育てをする時代よりも、ずっと長い時間を過ごすのが退職後の住まい
とも言えます。
 いつまでも元気に生きることを目的とする退職後の住まい造りは長い
期間であるがゆえに若い時代のマイホーム造り時と比べて将来の予測は
経てにくいと思います。結局はより真剣さと覚悟が求められます。
(あの時に・・・と後悔はしたくありません)
 自宅で暮らす環境を老人ホーム等に入居することを前提にして考えますと
中途半端な住まいに終始しがちになります。
この考え方は如何かと思います。 
積極的な人生を考えるならば、”今”を如何に生きるかがポイントでしょう。
ならば身の周りの環境造りに躊躇は避けたいところです。 
それはいつまでも元気が長く続くことを誰もが望むからでしょうか。
高齢者にとって、ここは”覚悟”の大切さと言うところかも知れません。

 身の周りの空間造りに絶えず関心を持ち実行している人は元気です。
例えば壁に飾り棚をはめ込んだり、絵・写真等の大きな展示パネルを
作ってインテリア化したり、絶えず小さな改造でも積極的に実行なさって
いる方です。 ここに仲間がいると更に楽しさも増します。

 つづく

 
 現在、私は上記でいう(A)と(B)の狭間にあり、長年の両親の介護経験を
離れたばかりです。
 このブログでの記事は現在の自分自身のことでもあり、身近な問題として、
またこれまでの経験を通し、より現実的(真剣)な提案をしていきたいと
思っています。 


記:藤崎正衛 2010-12-10       
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トイレの話

2009年12月28日 | ・老後の住まい
Tさんのトイレ改造

 初夏の眩しい日差しの下でトイレ改造の設計打ち合わせのため、水戸市内のM宅を訪れた。
私は久しぶりに商売用の身だしなみで整えいた。いかにも建築家風にである。
Tさん夫妻はお洒落に気を使う人で抜群のセンスをお持ちの素敵な方である。
 一通りの挨拶が済むやいなや奥さまからの要望は ”今度のトイレには建具でなくて
短めのカーテンにしたいの。”と話されました。それで理由を伺いますと”どうせドアなんか
閉めないですもの。”との返答である。 (カーテンは来客への配慮らしい。) 
やはり、お互いの気配が気になることが理由なのである。これは意外なことではない。
我が家だって似たり寄ったりである。 早食いの先輩は食べ終わると奥さまに
”トイレっ”と報告すのが習慣になりつつあると伺ったことがある。
先輩はそのたびにお叱りをあびているようだ。無理もない。奥さまは食事中なのである。
でも、その後は何事も無かったかのように無事な様子である。
きっと奥さまにとっても状況の把握が安心感につながっているのでしょう。

 お互いに最も気配を感じる所、時に感じさせたい所がトイレなのだと思う。

 しっかりしたドアが必要なのは新婚期間のほんの一瞬だけかも知れない。
あの素敵な夫妻だって、そうなんだから・・・。まして一人のときは全開させているかも知れない。
 時にトイレには閉所恐怖が襲ってくることがある。 幼い孫に”トイレには神様が棲んでいるから
怖くないのだよ。”と言って聞かせるのだが流行りの歌は孫には通じない。
結局ドアの近くで声を出しながら待っていることになる。 これも気配の問題なんだと思う。
 あの素敵な夫妻も将来は便器のシルエットがわかるようにと再度の改造依頼があるはずである。 
もし、音沙汰が聞こえて来ない時、私は建築家として、セールスに出かけようと思っている。
”あなたのためだから、あなたのためだから”とテレビのコマーシャルでも言っていますから。
気配を感じさせる設計は老人や子供にとって大切であると言うのが結論である。

 両親のトイレ改造の時は壁を簡単に取り外せるパネルで仕切ってみた。
ドアの代わりにウオッシャブルカーテンにした。 間もなくカーテンレールは破壊してしまった。
咄嗟に手摺り代わりに掴んだらしい。 危なかった。 何が起こるか解らない。
やがて、一枚、また一枚と症状に合わせてパネルを外していくことになったことを思い出す。
 これは介助等の都合の問題だけではない。 気配も大切な問題なのだ。
気配がどう人を動かしていくのか、これは住宅設計の大きな課題である。
 何度も、何度も、何度も訪問して、家族の個性を見極めていくことが重要であろう。
出かけて行って初めて分かることを大切にしたい。それは現場でしか得られないものがある。
ここは一般解など無い。 現場から嗅ぎ取るしかない。
 何事にも背筋の通った素敵な夫妻も・・・ですよ。

 今回のトイレ設計あたって、本音の話をして下さったことに感謝している。
T夫妻は真剣だったんです。
ポットに挨拶するようになってからでは遅いのである。
まるでそのことを予想されているかのようでした。
当初(30年前)の設計の未熟さを反省すると、生涯を通してのアフターが私の責任なんです。

トイレの話は紙面がいくら有っても尽きません。 この紙面はこの辺で終わります。  

 追記  T宅のトイレ改造は玄関に近いこともあって、引き戸になりました。
     鍵は敢えて付けていません。引戸は常時全開です。(確認済み)
     来客時は閉めていると思うのですが確かめたくても確かめようがありません。
     どうやら、私は客人でないらしい。

    設計担当: 矢田奈保子 (高齢者,住環境担当)
    記: 2010-12-11 藤崎正衛
コメント (1)
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