三谷てつおの県議会日記

三重県議会議員三谷てつおが議会での審議の内容やさまざまな出来事を報告。

頑張れ!マッツちゃん!松田直久!!

2005年12月12日 05時36分53秒 | 社会、政治、三重県、議員
 一般質問の最終日。トップバッターで登場したのは、おそらく今議会が、彼にとって最終議会となる「松田直久」県会議員である。来春に予定されている新津市の市長選挙に勇躍、出馬することとなった彼は「地方分権改革」に触れて「合併市町村の元気づくり」など新しい「津市」が直面する課題について、知事への質問だけではなく、自分自身の「新津市」に賭ける「思い」「期待」「情熱」を若さ一杯に語った。
 とりわけ最後の質問項目である「政治家のリーダーシップ」に関しては、ニューズウイークの記事を基に、これからの「日本」の・・・これからの「地方自治体」のリーダーはどうあるべきか?国民はどのようなリーダーを求めているのか?リーダーを志すものはどうあるべきか?を文字通り「熱っぽく」語った。
 そして本当に最後になる「4分」間に、今日まで自分自身を鍛え、育ててきてくれた「支援者」「後援者」に心を込めてお礼を述べ、「三重県議会」にエールを贈って「質問」を締めくくった。
 私と松田県議との出会いは、実に今から二十年近く前にさかのぼる。当時、私はまだ、衆議院議員山本幸雄先生の秘書をしており、元外務大臣木村俊夫先生の引退、死去にともない北川前知事が三重第一区から衆議院選に立候補した頃からである。
 その頃の選挙区は、今とは違い「三重県」は一区、二区の二つに分かれており、いわゆる「中選挙区」のなかで、同じ自民党同士が激しく争っていた時代であった。
 ご承知のように北川さんはナカナカ「選挙」の「上手」な方で、木村先生の死去後、いかにも「木村後継者」のように振る舞い、見事に木村先生の地盤とした「桑員地区」に入ってきたため、当然、同じ地区を地盤とする「山本陣営」と激しくぶつかることになった。
 その後、山本先生の引退、その後継者である「岡田克也」の秘書として引き続き地元の責任者となった私は、山本、岡田の選挙で、次ごう三回、北川さんと戦ってきた。そして、その頃、聞こえてきたのが「北川事務所」には「松田直久」と言う凄腕の秘書がいる!との噂であった。その意味では「松田直久」との付き合いはまさに「選挙」を通してである。
 平成7年の県議選で松田直久より、一足早く県会議員になっていた私は、平成11年の県議選が近づいてきた頃、「松田直久と言うのが一志から立候補する」。ついては、「初めての演説会」をするが、「弁士」がいない!応援に行ってくれ!と当時の「県政会」会長の石井先生から言われ応援弁士として、一志郡の会場に行ったのが彼との再会であった。
 それから六年有余、当時よりさらに大きく成長した彼は、このたび「衆望」を担って「新津市」の市長選に立候補する。県土の12%を占める、10ヶ市町村が合併をする大選挙区である。大変、厳しい選挙が予想されるが、ぜひとも「新津市民」のためにも当選を果たしていただきたい。
 私自身も20年間の付き合いのお礼を込めて、今日までのご無礼のお詫びをも込めて全力で応援をさせていただきます。
 頑張れ!マッツちゃん!松田直久!!
 
 
 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿