@yakobu1964 無牧ですら、一人でも鍵持って入れるなら、礼拝を守るべきでしょうね。安全なら、泊まり込みでも。
— やすじ@元JE7SEP (@U40) 2018年9月29日 - 21:03
僕は何度か「僕だけ」「家族だけ」の礼拝を経験したことがありますが、これは牧師が常駐しているから可能なのであって、大雪の時は前日に信徒さんの所に「祈ってますから、来ないでね♪」って趣旨のお電話をかけたことがあります。災害時に無理して… twitter.com/i/web/status/1…
— 一森文彰 (@christscrolls) 2018年9月29日 - 21:15
@gutaramaria そんことありませんよ。聖日厳守が基本です。特に牧師は可能な限りそうすべきです。ただ、可能な限りが今回当てはまるかはケースバイケースでしょう。
— ヤコブのはしご (@yakobu1964) 2018年9月29日 - 21:50
教会の施設は人々が集まる公の場である以上、一教会としても一宗教法人としても、集まる人々の安全に配慮した集会の持ち方をする責任がある。例えば、集会が行われる日の悪天候が予測できた時に、集会(礼拝を含む)を行わないという判断は、当然、… twitter.com/i/web/status/1…
— 柴田 昭 (@AquiraxBoxy) 2018年9月29日 - 21:47
カトリックの場合は、そもそもは一人でもミサをやっていたはずです。
— 黒雪 (@kuroyukihime_) 2018年9月29日 - 21:59
今は、会衆がいなければやらないという司祭様もいますが。 twitter.com/yakobu1964/sta…
今回の台風で礼拝を中止すべきかで意見が分かれた。聖日厳守が基本だが、牧師に命をかけろとまでは言えないので中止もありうる。牧師にも当然人権はある。ただ礼拝は人のためでなく神に捧げるものだから、人の都合で安易に中止してもいいのかと問題提起したものである。
— ヤコブのはしご (@yakobu1964) 2018年9月29日 - 22:26
以前私の母教会で、マラソン大会で道が通行止めになるという理由で礼拝を午後に移したことがあった。その時、人の都合で復活の朝の礼拝を安易に午後ずらしていいのかと疑問に思った。行ける人だけで朝の礼拝を守るべきではないかと思った。
— ヤコブのはしご (@yakobu1964) 2018年9月29日 - 22:35
問題は、「何があっても教会の礼拝堂で礼拝が守られなければならない」という考え方が、安全策としての判断とは別にあって、「各自がそれぞれの場で礼拝を守る」だけでは済まない、という意識を伴ってしまうことだ。それは「礼拝への真剣さ」から来るのか?それとも「罪の意識」のようなものなのか?
— 柴田 昭 (@AquiraxBoxy) 2018年9月29日 - 22:17