ヤコブのはしご (キリスト教徒のブログ)

プロテスタント・キリスト教徒のブログです。
日本のキリスト教に関して本音で語ります。

2017年のクリスマスを迎えて(2017年12月作成)

2018年07月12日 | エッセイ

今日は2017年12月22日、冬至を迎えました。クリスマスが近づいてきています。今年のクリスマスを穏やかな気持ちで迎えることができ本当に感謝です。今年はルターの宗教改革から500年の年ですが、私にとっても大きな転換点となる年であったように感じます。

昨年10月に10年以上飲み続けたソラナックスという抗不安薬を止めてから、14年間悩み苦しみ続けた心の病がようやく回復し始めました。

4月の桜を初めて楽しむことができました。1週間というわずかの期間に華やかに咲くこの花の美しさを多くの日本人が語ってきましたが、私には長く実感することができませんでした。穏やかな心でこの花を見ると神は何と美しいものを作られたかと驚くばかりです。

桜が散ると新緑の季節です。今年は何回もD公園に行きましたが、新緑の美しさに目を見張りました。木々の芽から枝や葉がみるみるうちに伸びてきます。本当に木々は生きています。その成長に命の息吹を感じました。ここでも神の創造の素晴らしさを実感しました。

子どもたちが旅立ちの時を迎えようとしています。神が作られたこの世を少しでもよくするような夢を持って歩んでいくことを希望しています。そのことで私が少しでも役にたてることを願った1年でした。

3月から6月にかけて長男の就職活動を援助しました。私の経験からいろいろなアドバイスをしたり、受験候補先を紹介したり、履歴書を添削しました。33社落ちましたが、6月24日にようやく内定を得て就職活動が終了しました。私が多少なりとも役にたって嬉しい時でした。この経験からできるなら大学生のキャリアカウンセリングを再びしたいとの思いを持ちました。

同時に今年は浪人中の次男の大学受験を援助しました。勉強法をアドバイスしたり、志望校のことを調べました。親ができることをそれほどありませんが、できるだけのことはしたつもりです。次男の成績がなかなか伸びず心配しましたが、年末にかけてようやく成績が伸びてきました。来年早々の受験本番まであとわずかです。実力を発揮して希望する大学に入ることを願っています。

高校2年の娘とは5月に初めて二人で京都まで行き、車中でいろいろな話をしました。ここで私にとって歴史的な和解を経験することができました。娘が物心つくころから私はずっと心の病気でイライラしていてよい父親ではありませんでした。余り人には言えないのですが、この子が生まれて子育てに苦労したことからここに来ることになったような気がしていました。私が苦しい14年間を送ったのはこの子にも一因があるような思いや、余り娘が私に懐いてくれないため、心から打ち解けた時を過ごすことができませんでした。本当に申し訳ないことをしたと謝りたい気持ちです。しかし、この和解の時から二人で楽しい時を過ごすことができるようになって本当に感謝です。また、子供たちが私が心の病気の時も順調に育ってくれたことも感謝しています。

感謝と言えば、一番感謝しなけれならないのは妻でしょう。14年もの病気の間、支え続けてくれたのですから。結婚の時に、「病める時も愛するか。」とお互いに神様の前で誓ったのですが、心の病の伴侶を支えるのは大変です。人格が変わるかのように気分が上がったり、下がったり、怒ったり、泣いたり。相手にするのも大変です。妻の支えがなければ今の自分はないと思います。言葉に出しては言いにくいのですが、この場を借りて感謝の気持ちを書きしるします。

秋からfacebookやメールで多くの昔の友人と連絡を再開しました。病気の間は現在の自分を落ちぶれたように感じ、活躍している友人たちと連絡を取ろうとする気持ちになれませんでした。病気の快復により気力が回復したように感じます。

親も随分年をとりました。父は85歳、母は84歳、妻の父は83歳、母は92歳。4人とも健在ですが、やはり頭や体の衰えは日毎に増しています。人間として最後をどう迎えるか、両親たちに教えられることが多くあります。とりわけ京都で2人で暮らす両親の今後をどうするかは頭の痛い問題です。私の両親はキリスト教徒でなく、家族伝道もできていない状態です。できるだけ京都に行く回数を増やしながら今後のことを考えていきたいと思っています。

仕事に関しては今年も苦しい年でした。病気は良くなりましたが、長い病気のため上司や周囲の信頼を失い、相変わらず閑職です。ただ今年実感したのは、学校に勤めたことで良かったこともあったことを発見したことです。私が勤めたここ15年間、学校はずっと生徒募集に苦しみ、財政的にはいつ倒れてもおかしくないほど追い込まれていました。しかし、ずっと持ちこたえています。私はここに神の臨在を見ました。神を信じ、バアルに跪かない教職員が支え続ける限りは学校は倒れないと感じます。勿論、主の御心はわからないので将来確実なことは何一つありません。その学校で私が十分に貢献できないのは大変残念です。今後残された学校の日々で私がどうなるかは神のみぞ知るところです。

教会生活は楽しくすごすことができました。特に今の教会は、敬愛する先生がおられて毎週の説教がわくわくするほど楽しいです。病気の回復とともに徐々に教会の兄弟姉妹との交わりも増え、このままこの教会に骨を埋めてもよいと思えるようになりました。

12月12日胃カメラの検査の喉頭部の腫瘍がありガンの疑いがあると言われ、1週間後大学病院で内視鏡の検査を受けました。初めて死について考えましたが、死が予想したほど恐ろしくないということが新しい発見でした。復活の希望を本気で信じるならば死は恐ろしくない。信仰の力を侮っていたのではないかと反省しています。また、死という終わりが見えれば、あとは残された人生でやるべきこと、したいことをして人生を終える。これは理想的ではないかとさえ思いました。そして最後には臨死体験で報告されているような至福の時を経てキリストの再臨まで眠りにつく。もちろん家族や愛する人との別れは悲しい。しかし、復活後の希望があれば絶望することはない。このような思いをめぐらした1週間でした。

1週間後の大学病院での検査で腫瘍がないと聞いた時は拍子抜けでした。ここまで考えたのに振出に戻ってしまいました。もう一度残された長いかもしれない人生をどう過ごすか考えなければならないとも考えました。

ただ、何かをしなければならないとの肩ひじ張った思いから解き放たれたような気がします。神が「生きよ」と言われるのなら、従って生きるしかありません。まだ私のやるべきことが残っているのでしょう。今私に残された使命は、神の大いなる救いを証し続けることにあるような気がしています。それがどこの場かわかりません。その場を探し求めて神様の答えを待つことにしたいと思います。

一方では、御心ならば新しい一歩を踏み出すことも考えています。大それたことを考えているわけではありません。子供たちが全員大学・社会人となる2年後ぐらいを目途に新しいことを始められたらいいと思っています。やりたいことを踏み出し、神様がそれを認めてくださることを願っています。

来年が希望に満ちた年になることを願って、私の今年の歩みのご報告とさせていただきます。皆様よいクリスマスをお迎えください。



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