「歩くZ旗」みね姉のひとりごと ~矜持 国を護るということ~

私たちを護ってくれている自衛隊を、私が護りたい!そんな気持ちで書いてきました。今は、自衛隊との日々の大切な記録です

くらま様、下関から出港・・・

2015年07月24日 | 護衛艦いせ
さて、自衛艦旗掲揚1時間前には、早々と岸壁に参りました。


そうすると、しばらくして、飛行甲板に早々と乗員さんたちが集まりだしたので、なんだろう???と思っていましたら・・・



防大海上要員の皆さんの、実習終了式?みたいなことをどうやらされていたようです。


もちろん、かろうじて声が聞こえてきた範囲で、たぶんそうだろうな~と推測しただけですが・・・。


しばらくすると、皆さん舷門の方へ移動されました。


今度はなんだ????と思っていると・・・



艦橋ウィングから、国際信号旗を手にした複数の海曹さんたちが現れ、軍艦行進曲が流れ始めました


朝からテンション上がります


そして、防大生がラッタルを降り、上陸します。


曲はここで、蛍の光に変わりました。





上の方の写真、ラッタルを降りた防大生が、艦尾に向かって敬礼しているのがわかるでしょうか?


この時間はまだ、自衛艦旗を掲揚していないので、しなくてもよかったようなので、


最初に降りた男性防大生は敬礼をしていて、女性防大生は敬礼をしていなかったのが不思議な感じでした。


個人的な好みとしては、艦に「お世話になりました」的な意味で、敬礼する様子を見る方が気持ちいいですが・・・。


女性はその辺ドライなのかな?(笑)


上陸していく防大生に、海曹さんたちが、手を振りながら


「がんばれよ~」


「おつかれさま~」


と艦上からエールを送っていた様子が、なんとも微笑ましかったです。


約2年後、彼らの上官となるであろう防大生を見送る気持ちってどんなかんじなのでしょう・・・。


去る前に、お世話になった海曹さんと互いに笑顔で握手を交わしている防大生も何人かいました。


朝から、すてきな光景が見られて、清々しかったです


・・・ちなみに、くらまには、ふだんWAVEさんが乗艦していませんし、その設備もありません。


なので、いろいろ大変だったのではないかと思います


普段女性がいない艦に、初めてWAVEさんが乗艦してくると、結構みなさんいろいろ気を遣われるみたいです。


なんとな~~く私が感じるのは、溺者の品がよい感じがしますね・・・WAVEさんがいる艦は(笑)


・・・それはさておき、


昨今、海上自衛隊の人気がないという、悲しい事実があります


今回、乗艦していた防大生のみなさんが、どうか、海上自衛隊のお仕事の素晴らしさを知り、


誇りを持ってくれることを、切に願っております







お見送り後、しばらくすると0800時になりました。



いつ見てもこの光景はいいですね・・・。


それから、30分ほどすると出港準備が始まりました。


出港ラッパが鳴り、くらまが岸壁から離れます。





や~キレイ~~~~


と思っていると・・・んっ今回、なんか早い・・・???


気のせいかと思ったのですが、違った・・・


前回よりも、離れるスピードが速かったです


「そ、そんなに急いで帰らなくても~~~


と、心の中で叫びながら、くらま様の出港を見送りました。


次、お目にかかれるのはいつかなぁ・・・。


あと、何回会えるのかなぁ・・・。


そんなことを思いつつ、お見送りしました。


訓練、広報とお疲れ様でした








再びの「いせ」へ

2015年06月30日 | 護衛艦いせ
果たしてもう、何度目になる事やら…(笑)


そして、これだけ行っても飽きることはないのが「いせ」。


よく、


「『いずも』ができたから、もう『いせ』には興味なくなったんじゃない?」


とか言われますが、


はぁぁぁぁ???


って感じです(笑)


そんなわけないし


全然関係ないし


「いせ」は初恋の人なので特別なんですよ








さて、この度はなぜ「いせ」に行ったかといいますと、


このブログでも度々紹介した、久野潤先生と行く「いせ見学」というのがありまして、


ちょっと迷いつつも、行く事にしました。


理由は、今回、新しく代わられた副長さんがエスコートだったからです


…実は、この2カ月くらいで、「いせ」の士官室のメンバーがガラッと変わりまして、


艦長以外ほぼ知らない人になっていたんですよね


で、まぁ、前副長さんが新副長さんとは先輩後輩の間柄とのことで、


気を利かせてくれて、私に、お引き合わせ下さっていた方なので、


新副長さんのエスコートならば、ぜひと思い、決断して再度呉まで行った次第です。


「いせ」とのファーストコンタクトから丸2年…士官室のメンバーも一新した、


新たな「いせ」との、新たな関わりが始まるのかなぁと、わくわくして行きました







さて、正門までお迎えに来て下さったのは、


副長並びに、唯一旧知(って程でもない)のイケメン通信士でした


ここからFバースまで、当然ながら歩きます。


毎度のことですが…長い…遠い…


ですが、今回もわりと艦艇がたくさんいたので、歩いていてうきうきでした


まずは、くにさきがお出迎えしてくれまして、続いて掃海艇が2隻いて…その後ろに…



はい、いました~



「いせ」はこの角度が一番迫力があると思いますね~。


個人的には、プロフィールの方が美しくて好きですが








さて、今回は、まず、多目的スペースに通して頂きました。


ここでは、「いせ」についての説明をして頂くのですが、


最初に副長が、艦艇の乗員の教育や艦長についてお話してくれた事が、


個人的にはとても興味深くて面白かったです。


…常々、船乗りさんって、いろんな仕事してるなぁ…専門職のわりに…


と思っていたのですが、まぁ、本当にそうだな、と…


また、錬度を上げるための訓練を日々重ねているけど、


結局、育ったころに異動があるので、完成することはない、という…。


認識していた事実ではありますが、改めて聞くと本当に大変だなと思います。


そして、艦長は眠らない、というお話がありました。


この事は、以前、ある潜水艦の艦長さんからも聞いていたのですが、


艦って、艦長の許可がないと動かす事が出来ないので、常に、報告とか確認が来るんですね。


なので、トイレにいようがなんだろうが関係なく報告が来る、という状態


今回、副長曰く、


「とにかく、ず~~~~~っと起きています」


とのことでしたが、いや、ほんっとに相当精神肉体共にタフじゃないと、


絶対に艦長とか無理だと思います…。


実際は、全く眠らないのではなく、仮眠はされるようですが、熟睡はできないみたいですね。


そうだよなぁ…。


そんな話を聞いて、いせ艦内の説明を聞いた後、


「百聞は一見に如かず」


ということで、艦内見学へ。








この後、士官室に行ってから、艦橋に上がりました。



せっかくなので、久々に撮影。


そして、おなじみエレベーターからの~



甲板


あえて、このアングルで撮ってみた(笑)


ここでは、洋上給油に使うホースの説明を聞きました(マニアック(笑))


海上自衛隊は、日中だけでなく夜中でも、ベタ凪でなくてもどんだけ荒れていても、


洋上給油をやってのける、という世界屈指の洋上給油技術を持っているんですよ~


…というようなお話を聞いていたその時、見学者の一人から、中国の錬度についての質問があり…


「洋上給油については、以前は、中国は全くできなかったのですが、

 最近、日中の波が荒れていない時に洋上給油を外洋で行っているのが確認されています」


とのことで、中国の錬度はバカにできないスピードで向上しているようです。


うかうかしていられませんね…。






そしてこの後、艦内神社をみんなで参拝して、


最期は、多目的スペースに戻って、舷門から上陸します。


いせの舷門には、こちら



伊勢神宮の御用材(欅)に掘られた、鷹司大宮司の揮毫があります。


…「いずも」就役以降、「いせ」は、大きさとしては海上自衛隊一の座を譲ったわけですが、


その名に頂く伊勢神宮は、まぎれもなく日本で最高位のお宮です。


私は、実はまだ伊勢神宮には参拝に訪れた事がありません(今年、逃しました(涙))


来年は、行く事を決めています。


今から楽しみです


舷門を後にして、みんなで記念撮影。



さて、私はどれでしょう~?(笑)


この日は、お天気にも恵まれすぎるくらい、恵まれていたのでよかったです。


…今回、副長さんのエスコートは、色んなお話を交えて下さったので、


何度も訪れている艦なのに、とても新鮮な気持ちで見学できました。


お忙しい中、本当にありがとうございます







この後は、みんなで、海軍定食なるものを食べに行きました。



戦艦霧島の再現レシピの、鯨のカツです。


おいしゅうございました~。


こんな感じで、徹夜明けの私の呉の旅は終わりました。


7月は呉に行けないので、8月までちょっと我慢…。


あぁ、8月が待ち遠しいよぅ~











歴史に触れて~後編~   伊勢といせが繋ぐ縁

2015年01月05日 | 護衛艦いせ
…昨年12月、


護衛艦いせによる航空戦艦伊勢の洋上慰霊式に参加させて頂きましたが、


この時、伊勢といせが繋いでくれた


縁というものの深さを、感じずにはいられませんでした。





昨年3月に、護衛艦いせとのゆるやかな会(当時名)を開催したのですが、


その時、ある女性からお申込みを頂きました。


メールには、


おじい様が伊勢の乗組員でいらしたこと、


おじい様が乗っていらした航空戦艦と同じ名前の護衛艦があることを、


フィリピンへの国際緊急支援活動のニュースで知ったこと、


そして、護衛艦いせについての情報を調べていたところ、


私のブログにたどりついた旨が書いてありました。


私は頂いたメールを読んで、


あと二ヶ月早かったら!と思わずにはいられませんでした。


1月に、伊勢の洋上慰霊式があったからです。


ですが、


伊勢の乗員だった方のお孫さんが、


レイテ沖に向かう「いせ」のニュースでその存在を知り、


私にコンタクトしてこられたことは、奇縁というよりほかになく、


ぜひともお越しいただきたいと思い、


参加して頂くことになりました。


その当日、おじい様のお写真をお持ちになっていらっしゃいました。


それで、余計に彼女を洋上慰霊式にお連れできなかったのが、


返す返すも悔やまれたものです。


戦死されたわけではないにしろ、


おじい様の僚友たちが多く眠っていらっしゃる海ですから、


まるで、おじい様から、


ご自身の代わりに孫娘に慰霊に行かせるように、お願いされたかのように、


突き動かされたような感じでした。







すると、存外早くその機会が巡ってきたのですが(笑)


もちろん、


先日の洋上慰霊式にお誘いし、お越しいただく事ができ、


その時、彼女はおじい様が撮りためられたアルバムをお持ちになっていました。


…これがすごかったです!!


この時、私がお誘いした方々は、


日本海軍に造詣が深い方たちがほとんどだった上に、


久野先生もお越しだったので、


皆さんの海軍談義に火を着けるに充分なものでした。


「この写真すごいぞ


「これは、当時の観艦式の写真じゃないのか


「この縦列陣で航行している様子は、絶対そうですよ


と盛り上がった、非常に貴重なお写真がこちらです。


お写真は、御許可を得て掲載させて頂いております。



…が、なにせ、


古いお写真をデジカメで写したものなので、


肝心の縦列陣の艦隊が分かりにくいですが、


実際は、左下にうっすら写っている艦艇の奥に


縦列陣をなした艦隊がたしかにいます。


それにしても、


砲筒の隙間というアングルでこの写真を撮ることができたのは、


おじい様が砲手であったからこそなのでしょう、


と皆で盛り上がりました。


さらに、


「みね姉ちゃん見て見て!山本五十六だよ


と言われるので見てみると、



「あ、ほんとだ


左側が山本五十六長官、


右側は山口多聞中将ですね。


「ここ、靖国ですよね?」


「靖国だね」


山本五十六と山口多聞が揃って靖国神社に参拝しているお写真とは…


…とまぁ、こんな感じで、


いせの士官室で、伊勢ゆかりの貴重なお写真を見て


盛り上がっておりました。


本当に貴重なお写真をありがとうございました。


…洋上慰霊式の時、アルバムを抱きしめるようにしていらした、


彼女の姿がとても印象的でした。





実は、この日、


もう一人お会いできることを期待していたのですが、


残念ながら、御欠席されていた方がいらっしゃいました。


元伊勢の主砲員(一番砲塔五番砲手)だった田部清人さんです。


前回の慰霊式にはお越しだったのですが、


今回は御欠席でした。


…が、久野先生の計らいで、なんと上陸後にお会いできることになりました。


前述した「帝国海軍の航跡」にて、


久野先生が取材をされた方のお1人でもあります。


アルバムを持った伊勢乗員のお孫さんと、


以前、私のFM番組にもゲスト出演して頂いた歴史ナビゲーターの井上さんと、


ご自宅に伺い、お話を聞かせて頂くこととなりました。


御歳90歳の田部さんは、


首にスカーフを巻いていらしてて、とてもオシャレ


「今年も案内をもらったけど、もう、ラッタルを登るのが大変でね…」


と、御欠席された理由を仰いました。


実際、いせの場合、運動不足に人には、相当辛く感じる程ラッタルがありますので、


(見学者みんな、ぜーぜー言いながら登っていました(笑))


足をお悪くされた身であれば、かなり負担が大きいことは分かります。


残念ながら、お持ちしたアルバムには、お知り合いの方はいらっしゃらなかったようですが、


いろいろとお話をしてくださいました。


私自身、戦争体験者と言っても、民間人のお話しかこれまでは聞いたことがなく、


実際に戦いの場にいらした方のお話を直接聞くのは、これが初めてです。


しかも、田部さんは、


あのレイテ沖海戦を戦われた、歴史の生き証人です。


これまで、本でしか読んだことがない戦いを、


実際に、その場にいらしたご本人からお話を伺うと、


そんなに詳細なお話でなくとも、


その方の記憶を通して想いが直に伝わってきます。


いろんなお話をしてくださいました。


「…戦闘機が着艦できなくて、ぼとぼと海に落ちるんですわ」


「熟練パイロットがいなくなったからですね」


「そうです」


「…伊勢は最後、燃料がなくなったため、洋上砲台として使われましたよね」


「そうなんですが、私らは『燃料がなくなったから』とは言われませんでしたよ」


「…それは、作戦の1つとして、敢えて洋上砲台として使うのだと…?」


「そうですよ。そんなことを知ったのは、戦後でした」


これを情報統制という人もいるでしょうけど、


まさかこんな時に、


「燃料がないから動かせない」


などと言うと士気にかかわるので、それはそうだろうなと理解できます。


また、艦内生活についてもお話してくださいました。


「酒保開け!の時でも、我々のような下の者は行けません。

 あれは、上の人や年長者しか行けませんでした(笑)」


「お風呂は、浴槽はありましたがめったに入れませんでしたよ。

 やっぱり水は貴重でね。3年間で本当に1~2回くらいだったかな?

 その時は海水風呂でね、真水を1人当たり洗面器3杯分もらいました。

 それ以外の時は、スコールの時に裸で甲板に出て、体を洗っていましたよ(笑)」






しかし、いろいろお話を伺った中で思わず涙がでたのは、


やはりレイテ沖海戦の話でした。


「瑞鶴が沈むのを見た時は涙が止まらなくてね…。

 だけど、それでもまだ、日本が負けるなんて思わなかったんだよ…」



と仰った時は、なんとも言えない気持ちになりました。


これを「洗脳」だとせせら笑う人もいるでしょう。


ですがそうではなく、それだけこの時代の軍人たちが、


必死で、本気で、最後まで日本を護ることをあきらめなかっただけなのだと思います。


何より、実際にお話を伺うと、


決して洗脳されたが故の言葉ではないことがわかります。


そしてこの戦いは、


囮となった小沢艦隊が、空母四隻の全滅と引き換えに、


狙い通りにアメリカ機動部隊を攻撃を引き受けることに成功したのです。


ですが、囮艦隊の多大な犠牲の上に成功した囮作戦は、


栗田艦隊の謎の反転によって、幻となって終わり残存艦は日本本土へ撤退しました。


そのことに話が及ぶと、


田部さんは、ぽつりとこう仰いました。


「…何のために戦ったのか…」


これは、栗田艦隊をレイテ湾に突入させるためだけに、


艦載機もほとんどない状態で、米艦隊を迎え撃ち、


命がけで使命を果たすために戦った方の、偽らざる本音だと思います。


この栗田中将の反転に関しては、いろんな意見があるようで、


ここではこれ以上言及しませんが…。







田部さんが


「最近の若いモンは偉いなぁと思いますよ。

 私なんかがね、カラオケなんか行くと、お店の人から聞くんでしょうね。

 海自の連中が挨拶に来てくれるんですよ。

 ある式典に呼ばれた時もね、私の席が司令官よりも上座になっていてね、

 いや~びっくりしましたよ(笑)

 ですが、本当に海自の人達は私らを『先輩』だと言って本当に大事にしてくれますよ。

 ありがたいです」


と仰いました。


この手の話は、海自さんとしかしたことがないので、


陸上自衛官や航空自衛官の方たちがどうなのかは、私は知りませんが、


私が知る限り、海上自衛官は、


元帝国海軍人を「先輩」と親しみを込めて呼ばれるところがたしかにあります。


それは、東郷元帥や、山本五十六元帥のことを


「我々の大先輩」


と言われることをよく耳にするからです。


民間人からすると、歴史上の人物、という感覚しかないのですけどね(笑)


また、ネットで広く拡散されている、


こちらの、ある海上自衛官の結婚式での逸話も、その証左だと思います。

直立不動で敬礼 【海軍・海自】 感動する話



田部さん曰く、


海軍魂というものは、育つのに3年かかると教わりました。

 私らは、ちょうど3年経った時に終戦を迎えました。最後の、海軍魂を持っているのが私らなんですよ」


と。


その様子から、田部さんがずっとずっと帝国海軍魂をもっているご自身を、


誇りに思って来られたことは疑いないと思います。


あの時代を生き抜き、


名だたる海戦を目の当たりにし、戦われた方と過した田部さんの夢は、


世界一周なのだそうです。


できたら、練習艦隊で行って頂きたいなぁ…(一周でなくて半周になるけど)


とかちょっと思いましたが。


ぜひぜひ、叶えて頂きたいです!






伊勢といせが繋いでくれた、貴重な貴重なご縁に、


心から感謝します。





護衛艦いせによる戦艦伊勢の洋上慰霊式 

2014年12月31日 | 護衛艦いせ
今年1月にも、


このタイトルで7回シリーズでお送りしたのですが、


(なんせ前夜祭からなのでね…それがコチラです


またお送りさせて頂きます。


なぜなら、


今年の1月に洋上慰霊式があったにもかかわらず、


また今年12月にもあったからです。


なぜかといいますと、


本来、昨年12月にある予定だったのですが、


いせが、フィリピンレイテ沖への国際緊急支援に向かったため、


1月に延期になったからです。


なので、


今年はなんと、戦艦伊勢洋上慰霊式が2回も行われたというわけですね。






そんなわけで、図らずも私、


今年の自衛隊イベントの幕開けが護衛艦いせの戦艦伊勢洋上慰霊式で、


しめくくりが護衛艦いせの戦艦伊勢洋上慰霊式という、


なんかすごい1年になりました(笑)


誰よりも本人が一番驚いております。


ただ前回は、7回シリーズでお送りせねばならないほどに、


盛りだくさんの内容でしたが、


今回は参加者は本当に身内(?)だけで100人未満の参加者で、


内容も本当に慰霊式のみ。


それ以外は純粋に体験航海でした。


最初に士官室に通して頂いて、しばらくして艦内見学をしてから、


出航前に艦橋に上がりました。


この日は、私がいるにもかかわらず、なぜか雨でした。


おかしいなぁ…と思っていたら、その謎は解けましたが、


ここでは…ちょっと言えないので、


聞きたい方はこっそりたずねてください(笑)


ですが、雨だったけど、私的にはよかったです。


だって、雨の中お仕事をされている皆さんを見ることができたから。



「あ~こんな風に、雨の日は雨衣(あまい)を着て濡れながら

 お仕事されているんだな…」


と感慨深く見ていました。


赤いストラップの方はもちろん、


いせの藤原艦長です。


以前は護衛艦しらねの艦長をされていました。


余談ですが、現在いせは、艦長も副長もどちらも「藤原」さんです(笑)


しばらくすると、掃海艇が2隻出航して行きました。





2隻の出航を見送ったあと、タグボートが来ました。



ここからはもう割愛しますが、


いつもながら、いつ動き出したか分からないかんじです。



↑↑↑サービスショットの、ウイングから見た様子。


出航して間もなくすると、


「潜水艦」


というフレーズが聞こえます。


艦橋にいた乗客が色めき立ったのは言うまでもないですよね~。


そう、潜水艦が入港してきたんです



みんな潜水艦を写真に収めようとウイングに出てました。


ちなみにそうりゅう型ですね、これ。


ここで、ウイングからラッパが聞こえてきたんです。


私は艦橋にいたので見逃してしまったのですが、


入港してくる潜水艦が、いせに敬礼し、


それに対して藤原艦長が答礼されたのでした。


その時の様子を捉えた方がいらっしゃいましたので、


ぜひ動画でご覧になってくださいませ


護衛艦いせ そうりゅう型潜水艦の敬礼に対し答礼



いや~もう、海自のこういうところが本当に大好き


ちなみに、この後私は、


念願の航海長さんの「頂きます」を聞くことができたので


もう本当に今年は思い残すことがないです…。


まぁ、しいて言えば残念だったのは、


肝心の洋上慰霊式が格納庫で行われたことでしょうか…。


これはこれで、レアな体験と言えなくもないですけど、


別にこんなところでレアさは求めないので、


やっぱり甲板でやってほしかったのですが、


いかんせん雨が降っていたので格納庫にて。


民間人がいなければ、甲板で行われたのでしょうけど、


やはりここは、民間人を気遣っての事と思います…


その格納庫での慰霊式が…



こんな感じです。


う~ん…


もちろん、弔銃は発射しないので


「奉げ!筒!」


で終わりです


お供物を海に奉げる時だけ、


代表者だけがお供物を持って舷門に行き、


海に奉げていらっしゃ…っていた様子です。


ちなみに、今年も儀仗指揮官はWAVEさんです


しかも結構美人さんでした


カッコよかったですね


前回に引き続き、英霊もびっくりされたことでしょう。


そのうち、慣れてこられるかもしれませんね。


この日、


前回はお見えだった、


戦艦伊勢の砲術手だった方が今回は御欠席されていました。


前回、隣で涙ぐんでいらした、


おそらくは元伊勢の乗員とおぼしき、私の隣にいらした方も、


今回はお姿がありませんでした。


後日、改めて書きますが、


この日は、お二人にお目にかかりたかった理由があったので、


とても残念でした。











慰霊式が終わると、再び士官室に戻って


お弁当を頂きました。



この時、とっても恐縮なのですが、


士官のWAVEさんがコーヒーを運んでくださったりと、


お給仕してくださったんですよね


本当に、なんだか申し訳なかったです。


その後は、皆でビデオを見たり、おしゃべりして時間を潰していると、


入港ラッパが聞こえました。


「ええっもう??」


と思ったけど…


ここからが長かった


いせはこのままドック入りなんですけども…


艦橋に向かい、入港を見に行くと、


艦長、船務長、航海長以下、妙に余裕な感じ????


と思ったら、


ドック入りする時は、操艦は会社の人がするらしいですね。


みんな、普通に見てるだけでした(笑)


そして動いてるかどうか分かんないくらいゆっくりした動きで、


出たり入ったりしている。


まぁ、やっぱりあれだけ大きな艦だと、ドック入りも一苦労なんでしょうね。


副長が来て


「これからが長いんだよ


と仰ったのですが、本当に長かった(笑)


でも、長くていいんだけどね~


その分長くいせに乗っていられるし~


あまりに長かったので、


甲板に上がらせて頂きました。


ほぼ貸切状態。


するとこの時にようやく晴れて来たんですよね…。


「あと2時間早く晴れてくれたらよかったのに…」


と副長。


ですね~


ま~でも、こればっかりは仕方ないです


晴れたとはいえ、やっぱり寒いので、


早々に引き揚げ、再び士官室に。


ここで、お土産を頂きました~


カレンダーと


早い者勝ちの…



うっふっふっふ~


いせと伊勢の絵です


これ、ず~~~~~っと欲しかったんですよ


かぁっこいい~


そうこうしていると、間もなく上陸の時間となりました。


夢のような時間は、あっという間に終わります。


…1年、自衛隊のイベントの御蔭さまで、


本当に楽しくて幸せな時間をたくさんたくさん過させて頂きました。


そんな中で、やっぱり私としては、


今年はこのいせの洋上慰霊式で始まり、締めくくれたことに、


感謝感激でいっぱいです。









今年、自衛隊の皆様には、


公私ともども本当にお世話になりました


たくさんたくさん、お世話になりました。


そして、


昨年以上に、


自衛隊を通じて、世代を超えた大切な仲間がたくさん増えました


自衛隊を応援することで、


楽しいこと、


楽しい仲間が、


どんどん増えて行きます。


また、


新たな、とても貴重で大きなチャンスも頂きました。


自分で予想もしていないほど、


楽しいことばっかりだった、


私の人生で一番幸せで楽しい1年でした。


ありがとうございます。


この1年、ブログを読んでくださった皆様、


ラジオを聞いてくださった皆様、


サロンに参加してくださった皆様、


一緒にイベントに参加してくれた皆様、


いろんなお話をしてくださった自衛官の皆様、


たくさん、たくさん助けてくださった自衛官の皆様、


この1年、私に関わってくれた全ての方たちに、


最大の感謝を…。


どうか皆様に、より素晴らしい1年が訪れますように













護衛艦いせ@パールハーバーから見るあれこれ

2014年07月08日 | 護衛艦いせ


しばらく更新がまたもやあいてしまい、申しわけございません。


甥っ子その2(3ヵ月)が高熱を出したため、


自営業の母親(つまり、私の妹)に代わって、


病院でつきっきりの看病などをする羽目になり、


こんなに間があいてしまいました…。


その間にも、またまた気になる話題が出てきたので、


やっぱりココから…(笑)












病室で、何の気なしに、


ネットニュースを見ていた私の目に飛び込んできた記事、


それは…


「リムパックで特等席を与えられた 自衛隊いせ」


(画像は記事から拝借いたしました)

また、いせネタかよ…


とか、


また、リムパックネタかよ…


とか、言わないでくださいね(涙)


今回はやっぱり集団的自衛権との絡みもあって、


やっぱり無視できないネタですもの~。


ひゃっほう♪姫が特等席に鎮座しておられる


どのあたりが特等席なのかと言いますと、


記事にもあるとおり、


リムパックに参加する各国海軍は、


パールハーバー入港の際に、


必ず、姫を拝してから自らの係留場所に行かねばならぬという、


そんな位置に姫(ニックネーム的には女王だけど)がおわすのですよ。


各国海軍が、いせを見て、


「え?あれDDまぢで空母じゃね


と騒ぐ様子を、ぜひとも見てみたかったです(笑)


特に、中国&韓国の反応をね。


お前らには、100年経ってもつくることはできまいな~ふはははは(笑)


もっとも米海軍は、中国のけん制のために、ここに「いせ」を係留させているようですが。


中国&韓国の奴らには、これをしっかりと目の当たりにしてほしいわ。


パールハーバーですよ


「リメンバーパールハーバー」とか叫ばれている、まさにそこですよ?


ねぇ?自衛艦旗をおろして入港しろ!とかほざく韓国、あんたたちちゃんとみてる?


この国を、私が大嫌いな理由の1つは、みっともないことを平気でやり続けることです。


70年前も戦争のことを引き合いに出して、しかも嘘ばかりついて、


未だに金を絞り取ろうとするその乞食根性が、吐き気がするほど嫌いですね。


第二次世界大戦以降、様々な地で戦争や紛争は起こっていましたが、


それに対して、しつこく金をせびり続けるような、


韓国ほど、みっともない国って類を見ません。


だからって、奴らのメンタリティのレベルの低さだと、


パールハーバーという遺恨の地に、米海軍が、


かつての仇敵である海上自衛隊の旗艦を、最も目立つ場所に係留させたのを見て、


いつまでも過去に拘って、ごちゃごちゃ言っている自分たちを、


恥ずかしいとか、みっともないとか感じることはまぁ、ないでしょうけどね~。


あ、先日、このブログに、FMラジオの感想で、


「聞いている人は日本人だけじゃないので、話す内容を吟味してください」


というコメントを、名無しで頂きましたが、


はっきり言いますね。


あの内容を聞いて不快になる国の人がいるとするなら、


中国人か韓国人でしょ?


その国の人達に配慮する気は全くありませんので。


大っきらいですから。


彼らが日本に、日本人に対してしていることを鑑みると、


一体どんな配慮をする必要があるのかと思いますね。


礼節を持って対応する価値がある人種にならそうしますが、


そんなことしても付け上がるだけの民族に、


どんな礼をつくせと?










ま、奴らの事はさておき、


今回のことや、集団的自衛権の閣議決定があっさり通ったところを見ると、


米軍ももはや、


日本に対して、できたら自分の国は自分で護ってよ、


という気持ちなんではなかろうかと思います。


米国全体でみると、一枚岩ではなく、


そう言う派閥と、これまで通り日本をコントロールしていたい派閥がいるんでしょうけど、たぶん。


よく、こういう時「アメリカが~」とか1つの国が1つの意志で統一されて


何かを決定しているように考えている人が、多いように感じますが、


そんなわけはなく、それぞれの利害があるので、決して一枚岩ではないと思いますね。


米軍の、陸軍や空軍はよくわかりませんが(たぶん仲イイと思うけど)


海軍と海自は、もともと友好的な関係ですし、


仮に、南シナ海あたりで中国と小競り合いが起きた時、


海上自衛隊に対応させたいんじゃないかなぁ?とか思ったりするわけです。


そもそも、あのあたりの国から、アメリカは嫌われてるみたいだしね。


ちなみに、嫌われている、というのは、


とあるインド洋での補給活動に従事されていた、海自の方から聞きました。


アメリカが行くというと、来るなと言われ、


日本ならいいよ~となるんだそうです(笑)


まぁ、アメリカの場合自業自得でしょうけどね。


そういう人気者の海上自衛隊を、


アメリカは上手に使って、仲良くして、


注意国のけん制や、他国との連携をうま~くとっていくのでしょう、たぶん。







ところで、


集団的自衛権で騒いでいるサヨク連中のみなさん…


あなたたちに、ここでも1つ言っておきたいことがあります。


あなたたちが、本当に集団的自衛権を理解していない


という、まさにその理由になるのが、


まさに今、ハワイ沖で行われているリムパックについては、


一切何も騒いでいないことですね(笑)


この人たち、そんなに集団的自衛権に反対なら、なんで、


リムパックに文句言わないんでしょうね?(笑)


へんにゃの~。


だって、各国海軍との軍事演習ですよ、コレ。


まぁ、今回は、中国が参加しているので、


災害派遣の方がメインのようですけどね。


別に何を騒ごうが構わんけど、


「元自衛官」とかウソつくなら、もっとちゃんと勉強してからにしたら~?


「陸自の基地」とか言ってちゃダメだよ~(笑)


「防空ミサイル部隊」ってどこ???(笑)


なんかこのあたりのツメの甘さが笑えますね。


もはや、腹立つのを通り越して、おもしろいもん。






ところで、このリムパック、


圧倒的に人員が不足している海上自衛隊の皆さんにとっては、


かなり過酷な演習のようです。


交代要員がいないため、ほぼ不眠不休で演習なのだそう。


ミスが許されない、緊張状態で。


それって、実戦とかわらないよね・・・・。


だから、彼らは、災害派遣は楽だって仰るんですね。


どうか、みなさんが、無事に演習を終えられ、


無事に帰国されますように・・・。