先日講演会で最後にしてくださったお話。本の最後にのっていました。
物語のタイトルは「ひび割れ壺」・・・でした。先日私は「欠けたつぼ」ってこのblogで書いてしまいました。なんか違うなぁとは思っていたんですけど・・・。(笑)
さらっと読んでくださったお話でしたが、とても心に残ったので、ここに記しておこうと思います。きっとこれを読まれた方は、必ず何か感じるところがあると思うから。
時間のある方はぜひ読んでみてください。
「ひび割れ壺」
インドのある水汲みの人足は二つの壺をもっていました。
天秤棒の端にそれぞれの壺をさげ、首の後ろで天秤棒を左右にかけて、かれは水を運びます。
その壺のひとつにはひびが入っています。もうひとつの完璧な壺が、小川からご主人様の家まで一滴の水もこぼさないのに、ひび割れ壺は人足が水をいっぱい入れてくれても、ご主人様の家に着くころには半分になっているのです。
完璧な壺は、いつも自分を誇りに思っていました。なぜなら、彼が作られたその本来の目的をいつも達成することができたから。
ひび割れ壺はいつも自分を恥じていました。なぜなら、彼が作られたその本来の目的を、彼は半分しか達成することができなかったから。二年が過ぎ、すっかり惨めになっていたひび割れ壺は、ある日、川のほとりで水汲み人足に話しかけました。
「私は自分が恥ずかしい。そして、あなたにすまないと思っている。」
「なぜ、そんなふうに思うの?」
水汲み人足はたずねました。
「何を恥じているの?」
「この二年間、私はこのひびのせいで、あなたのご主人様の家まで水を半分しか運べなかった。水が漏れてしまうから、あなたがどんなに努力をしても、その努力が報われることがない。私はそれがつらいんだ。」
壺は言いました。
水汲み人足は、ひび割れ壺を気の毒に思い、そして言いました。
「これからご主人様の家に帰る途中、道端に咲いているきれいな花を見てごらん」天秤棒にぶるさげられて丘を登っていくとき、ひび割れ壺はお日様に照らされ美しく咲き誇る道端の花に気づきました。
花は本当に美しく、壺はちょっと元気になった気がしましたが、ご主人様の家に着くころには、また水を半分漏らしてしまった自分を恥じて、水汲み人足に謝りました。すると彼は言ったのです。
「道端の花に気づいたかい?花は君の側にしか咲いていないのに気づいたかい?僕は君からこぼれ落ちる水に気づいて、君が通る側に花の種をまいたんだ。そして君は毎日、僕たちが小川から帰る途中水をまいてくれた。この二年間、僕はご主人様の食卓に花を欠かしたことがない。君があるがままの君じゃなかったら、ご主人様はこの美しさで家を飾ることはできなかったんだよ。」(作者不詳 菅原裕子訳)
私たちはみな、それぞれユニークなひび割れをもっています。
私たち一人一人がひび割れ壺なのです。
私たちの仕事は、子どものひびを責めることではありません。
自分のひびを責めることでもありません。
子どものひびのために花の種をまくこと、
それこそが親の仕事です。
子どもたちはどんな花を咲かせてくれるでしょう。
そして、私たち親はどんな花を咲かせるでしょう。
(「子どもの心のコーチング」 菅原裕子著より)