みっくすじゅーす

元気を出してがんばろう

納豆とかガソリンとか

2011-03-29 20:03:40 | Weblog
戻ってきたみたい。ガソリンは値上がりしてたけどあんな状態じゃなくなった。とりあえず安心。
納豆は少しだけ入荷してたんで1パックだけ買った。いつ以来だろう・・・。やっぱうまいよね。
牛乳も少しあった。しかし今度はヨーグルトが不足してるようだ。
震災直後は在庫で賄っていたんみたい。もともと牛乳が原料だからあとから足りなくなったって感じね。
まあ何とか・・・。なければないで。

こうしてみると今までどんだけ食ってたんだ、って思うわ。(笑)だから脂肪の貯えがこんなんなったのか。
いやしかしいざとなると太った人の方が非常下で生き残りやすいのだ。(別の要因で死ぬのはさておき)
なんとなくわかるわ。スリムで大食いの人って貯えがないから。でもやっぱスリムな人はうらやましい。
この貯えを何かに生かしたいねえ。燃料、食糧・・・。あ、私の生命はどうなる・・・。^^;

み、水・・・。

2011-03-24 18:23:08 | Weblog
ウチはいつも近所のホムセンで「支笏の秘水」という苫小牧の王子サーモンという会社が出してる2リットルペットの水を買ってたのですよ。
覚悟はしてたけど・・・。売ってねーし!!

まあ~これだけ騒がれてしまっては・・・。
牛乳も、アピタだと少し売ってるんだよね。カスミはダメだわ。
アピタは愛知の会社だから販売経路も若干違うのかな?
こっちじゃめったにお目にかかれない、鳥取の大山白バラ牛乳が売ってたから買ったよ!268円もしたけどさ!

納豆も食べてない・・・。ネットで見たけどこないだ買い占めた納豆が茨城産だったから泣く泣く捨てました・・・。だと!アフォだ・・・。--;お前もう何も食うな。

私は前からずっとそうだけど、噂に流されないようにしなくては、といつも思うのです。
マスコミは煽るのと、話題づくりが仕事なのですべてを額面通りに信用するのはヤバいよ。

ほんと~に水道水ダメだったら、顔も洗えないし、歯も磨けないし、お風呂にも入れないよ。シャンプーしたら禿げるわ。(笑)
まあ、赤ちゃんは別だけどさ・・・。ちっちゃいからね。

あと被爆と被曝は違うんだってよ~。被爆は、戦時中に広島と長崎にて原爆に遭った人しかいないので、若い人が被爆したってのはないのですよ。今のやつは原子爆弾じゃないし。
いわゆる被曝ってやつですがね。内部被ばく。皆さんはこれが怖いんでしょう。

半減期て何じゃ、そりゃ。科学の世界では、内部被ばくした物質が完全にゼロになることはないから、確実に半減する期間は表せるからわざわざそんな単位を使うのですと。
例えば今はやりの(?)ヨウ素131は、半減期が8日と言われていますがじゃあいつゼロになるのさ?
つってもゼロにはならないんで、8日後に半減して、その後半減期のそれまた半減期の・・・・。を延々とくりかえして、ついには0.00000・・・・・(以下無限)パーセントまで減ります。
んだからと一応わかりやすい目安として半減する期間を明示するんですと。(違ってたらごめんよ。私の理解だからかなり怪しいとこもある)←理科、数学、体育は2。^^:

何が言いたいかっつーとだね、再び福島、茨城などの野菜など生鮮食品が出回ったら真っ先に買う!
今だって売ってれば買うのに、店にないんだもん・・・。物理的に買えないのは仕方がない。
道やガソリンが安定したら福島にも行くよ~。
車にこれでもかと現地の食品積んで帰るわ。(もちろん買ってだよ~。強奪ではない)
あと競馬場もね。毎回貯金(?)してるけどまた貯金しに行くからね。馬のみんな、待っててね~。


どうしてますか

2011-03-15 21:44:27 | Weblog
やっと更新できる・・・。

今回の地震では、当日たまたまフェリーの見学会で旦那と東京・晴海ふ頭にいました。
ただならぬ揺れに急きょ中止となり帰宅しようにも鉄道は軒並み運転見合わせ、宿泊施設も当然なく、結局は旦那の会社にて一夜を明かしたのでした。

一度は都内からタクシーでの帰宅を試みたけど、全くダメで、私たちの後ろで並んでた年配のおばあさまは杖をつきながら寒い中待ち続けていました・・。(大丈夫だったのだろうか。)
それからは地下鉄にて西馬込まで行って、そこから川崎まで徒歩・・・。でもいっぱい歩いてる人がいましたね。
途中の日産ショールームが開放していて、トイレや休憩場所を提供してくれていました。
そこで少し休んで、何とか川崎駅のバス停で会社まで行くバスを見つけた時はオアシスに見えた・・・。
一晩会社にいたけど、野宿は免れたって感じでほんと安心できた・・。
翌日なんとか鉄道を乗り継ぎ、人があまり多くなさそうな駅で降りて自宅までタクシーで帰れました。

家の中の被害は、旦那の部屋の本棚が倒壊していくつか壊れたものがあったり、食器棚の中身が少し割れていたりした程度で済みました。
廊下に飾ってあった花瓶が完全に倒壊して割れてしまっていたけど、活けてあったのは母の葬儀で使った花(ユリ、菊、ストック)で、きっとそれが身をもって守ってくれたのではないか、と思っています。
一応耐震はしてあったけど、重たい食器棚とタンスは倒壊を覚悟していたので、無事だったのを見てとても安心しました。
旦那のお母さんにも、きっとみくのお母さんが守ってくれたのよ、とのお言葉をもらい・・・。その通りだって思いましたね。

茨城県内の被害も大きく、避難してる方、ライフラインが断たれた方が大勢います。私の住む所はまだ良かった方なのですが、近隣の市町村の方がミネラルウォーターや非常食などをたくさん買いに来て品薄状態だけど、断水のないところの人はそういう場所の人のために遠慮した方がいいな、と思いました。そりゃいつ被災するかわからないし備えはある程度必要だけど、今この時点で不足してる人に使ってもらいたいと思う・・。買占めはやめましょ。

職場は、壁が崩落してたり休憩室の壁がひび割れてたりして結構被害はありましたね。
物流は滞ってるから、仕事量の減少はある程度あるんだけど一応休業まではないですね。
茨城県は計画停電の範囲から外れたらしいけど、(いつ変わるかわからないが・・)やっぱり節電は必要ですね。
エアコンとか、待機電力とか気をつけていきたいですね。いままでいかに無駄遣いをしていたか思い知らされた感じです。

今回最も甚大な被害のあった東北太平洋沿岸部には、今年のお正月に行ったばかりだったのです。気仙沼でふかひれラーメン食べたし、仙台の牛タン定食も食べたし、大谷海岸の駅にも行って間近で海を見たものです。
だから余計に、親しみもあるし身近な街だって思っていました・・。

私に今できるのは募金、節電くらいしかないけど、今後街並みも戻って、また行けるようになったら、その時には別の何かで応援したいって思います。