恵理の日記帳

平凡な日々の中で、ささやかな出来事を書いています。

詩吟の会から帰宅途中に・・

2014-02-04 22:21:18 | Weblog

母が詩吟の会合から帰る時、皆さんと共に近鉄普通電車に乗ったそうです

ゆっくり揺られて『磯山駅』を通過する際、詩吟仲間の方が「磯山駅近くに杉野兵曹長の碑が建てられていたけれど、今でもあるのだろうね?」と仰ったそうです。

「実は生きていたとか、様々なことが噂されているけれど」ということらしいのですが・・・

         

私は初めて耳にする名前(杉野兵曹長)なので、母に色々質問してみました~

「小学校唱歌にもなって、私達はよく歌っていた」「広瀬中佐と共に、勇敢に戦って、詩吟にもなっている」とのことです。

♪轟く砲音飛び来る弾丸 闇を貫く中佐の叫び 杉野は何処 杉野は居ずや♪ と、母が歌ってくれました。

後で、私が(PCで)検索してみましたら、お二人は『坂の上の雲』にも登場しているのですね 

命がけで部下を守る日本軍人魂に、日本中が心を打たれたのでしょう(きっと)

「それが第二次世界大戦では大きく違ってきた」と、ネット上で嘆きや怒りの発言が記されていました。

「敵国が攻めて来ると、若い兵隊さんたちを盾のように前方に出して御偉い上司様達は助かった」とか・・

「食べ物も援助物資も与えずに、ビルマで魔のインパール作戦を強行した」「未来ある若い者を特攻隊として送り出した」など・・

 

私の祖母の大切な長男さんや次男さんは、異国のインパール作戦で尊い命を落としました(死に損です)

相反して「米軍に降参して助かった兵隊さんたちは正解ですよ」と笑って喋る現代の若い女性の発言を聞いた時・・

私は「きっと祖母が聞いていたなら、顔面にゲンコツをひとつお見舞いしただろう」と思いました

 

 

 

 

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2 コメント

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Unknown (のらしろ)
2014-02-06 01:39:58
杉野兵曹長の歌はよく口ずさみました。今は歌詞は忘れてしまいました、でも小生はあまのじゃくでさほど偉人とは思は無かったですね。肉弾三銃士も”
軍国主義そのもの憲兵が近所をうろついていると何かしら怪訝な気持ちになりました。オマワリサンのサーベルの方が近親間がありました。
今朝もずいぶん寒いですね、風邪を引かぬようにしてください。
のらしろさんへ・・ (えり)
2014-02-06 23:15:29
偉人というよりも、日本の軍人らしく部下を命をかけて守る心が人々に通じたのだと思います。
或る人に言わせると、日本は小さな国なので、日本近海で戦ったから勝っていたと・・
それが、第二次世界大戦では世界中に出兵したので負けてしまったと!

有名作家さんの文章に「食べ物が無くて、小さな妹と田舎で食べ物を求めてきたら、おまわりさんに見つかって没収されて
それを取り返してくれたのが刺青さんだったと

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