小さな応援歌

集団ストーカーの被害者の方々に小さな応援の言葉と、ささやかな祈りをお届けします。

切れる広宣部

2017年12月13日 | 加害者と戦う
ある日ふと広宣部をからかってみた。

すると珍しく窓から見える通りに高級車が並び、かつての嫌がらせを彷彿とさせた。また近くに広宣部と見える妙な加害者たちが行きかった。いつもの嫌がらせ通行人とは少し違った。
どうせ無理だろう、いつものように続かないだろう、と思っていたが案の定そうなった。

私への嫌がらせの動員数は多い。私の町の他の被害者の何人かも、同じような大人数でやられる。この町は相当ひどいようだ。ある人のブログに、数百から千の車が集まる、と書いてあったが、今ではその「千」という数に納得がいくばかりかそれをも超えることがある。だからこそ、なかなか信じてもらえない。

しかし裏を返せば、この大規模な嫌がらせが失敗したり効果を失うようになれば、加害者たちにとってなかなか大変なことになる。嫌がらせが長引けばだんだん疲れてくる、ということにもなる。そして、例えば私の外出時間が長引けば、嫌がらせ自体が息切れてくる。

広宣部を直接からかうことはめったになかったが、こういった反応から見て、やはり嫌がらせの背景にこの人たちがいることが分かる。どうして息切れると分かっているのにやるのだろうか。おかげでこちらは爆笑する。

おそらくその理由は、からかわれることに耐えられないのだ。傲慢と思い上がりで膨れ上がった彼らは、ちょっとしたからかいに我慢できない。だからやらなければいいのに、「このやろう」と言わんばかりに一気に盛り返そうとする。それで失敗してもっと笑われる。召集されて加担する人たちは迷惑だ。

こんな歌をよく彼らに聞かせる。
♪怒りのツボを突っつくと、
 理性の歯止めも吹っ飛んで、
 あてもないのに大号令
 みなの顰蹙(ひんしゅく)かいました。

またこんな言葉。
 勝手に盗聴
 勝手にぷりぷり
 勝手に大集合
 勝手にして


広宣部にもなると、教団の裏を知ることになる。広宣部は退転率が高いという。退転とは彼らの言葉で信心を貫くことができず、挫折することだ。理想を持っていたのに汚い現実を見て退転する。退転する者たちはまともだと思う。悪いことを見て良心が耐えられない者たちはまともだ。
退転する者たちのほうが真実な者だと思う。真実を根本から考えようとする者たちだからだ。裏や闇を見て鳥肌を立てて喜ぶ者たちは信仰者として問題があると言える。物事を根本から考える能力に欠けるし、人をこうやって苦しめることに対して良心の呵責や疑問を持たない者たちは真実の者とはいえない。このような者たちが生き残っているのだ。

彼らは人を欺くためにさまざまな事をなし、違法なことや許されないことを仕事としている。人を死に追いやっている。犯罪者だ。そして教団は、他のカルトと同じように、仏の名のもとになされるこれらの悪事は正当化されると暗に教える。

彼らは万能だろうか。表向きはそうかもしれないが、人間として大切なものを失う。人間性を失う。強いようでいて弱い。感情コントロールは弱い。だから、私が教団幹部や広宣部をちょっとからかうと理性の歯止めが吹っ飛び、感情のままに猛進する。大集合を掛けて嫌がらせをしてもどうせすぐ息切れると分かっていてもやってしまう。自己のありのままの姿を知る謙虚で賢い者たちならばこんなことにならない。おかげで加害者全体が彼らに踊らされることになる。

さほど難しいことではない。幹部や広宣部たちの怒りのツボをちょっとつつけばいいだけだ。すぐに切れてくれる。そして大集合がかかる。

「おいらはひとり言、みなさまは民族大移動」
「おいらは舌先三寸、みなさまは民族大移動」
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