小さな応援歌

集団ストーカーの被害者の方々に小さな応援の言葉と、ささやかな祈りをお届けします。

いろいろな被害者

2018年02月17日 | 集団ストーカーについて
被害者の被害は共通しているものが多いが、人によっていろいろ異なる部分もある。前に近くに被害者を見つけたが、電磁波の話になると彼は笑って相手にしてくれなかった(今は違うが)。

また薬物によって死の危険まで感じさせられたことのある被害者は、他の被害者のものが心理的脅迫だけなので大したことはない、と判断することもあった。しかし決して大したことはないなどということはない。

私の関わった被害者は、加害者に対する考えもまちまちだ。特定の宗教団体をあげる人もいれば、そうではない、自分にはその団体とのつながりはない、と言う人もおり、暴力団がやっているという人や、また全く違う団体名をあげる人もいた。しかし○○○(教団名)会については怪しいと考えるのは今では共通的になっている。

ある人は、自分は被害者なのかどうかもわからなかった。他の人のものとは違うからだ。ひどい嫌がらせを受けていたが、それが集団ストーカー被害だという認識はない。

また絶えざる嫌がらせという形では受けないが、医療関係で医者も含めて異常に不安を掻きたてられることばかりやられる人もいる。精神的ダメージや命の危険を感じる。

このようにして被害がまちまちなので被害者どうしの連携も難しいと言われる。


そもそも「集団ストーカー」という名前も実態を表わしきれていない。「不特定多数による組織的ストーカー」というほうがもっと近いし、しかし被害はストーカーに限られておらず、盗聴、盗撮、家宅侵入、悪評、リストラ工作、薬物、電磁波、周りの隣家による嫌がらせ、詐欺など実にさまざまで、人を陥れるという目的のためにすべての不法な手段が使用されている。

またあらゆる分野の人々が加害に回り、警察も巻き込んでいる。

その規模の大きさには驚くばかりであるが、これならば、集団ストーカー被害者のみならず、誰もがターゲットになりうるし、すでになっているのではないかと考えられる。被害者の定義もいろいろで、私たちの場合は組織的嫌がらせをされていることをあえて知らされ、24時間365日、どこに行っても嫌がらせをされ監視されている苦しみを味わう。

しかしおそらくこんなことができる組織であれば、被害者に被害者の意識を与えないまま潰すこともできるだろう。人の生活や人生、あるいは店や会社を思いのままに潰すことができる。犯罪団体によって意図的に自分の人生が破綻させられていると知らずに潰されることもありえる。へんなことばかり自分の周辺に起こり、自分は運が悪い、と考えているだろう。電磁波によって病気を発祥させられたり死亡させられたりしたということを知らずに、病気になっている人もいるだろう。

このように考えると集団ストーカー被害者のように被害の意識のある被害者と、意識のない他の被害者を区別できる。それならばなぜ私たちはわざわざ意識させられているのか。おそらくある被害者が指摘しているように、加害者たちへの見せしめという意味があるのだろう。集団ストーカー被害者の苦しみは拷問のようなものだ。加害に加わっている者が思い直して加害団体を裏切ったり告発したりすればこうなる。ひとおもいに死ねるのではなく、拷問を受けながら、誰も信じてくれないまま自己破綻に至る。これを見せしめとして見せられると、告発しても全く勝ち目がない、むしろじわじわと煮殺される、と恐怖を感じるのだろう。加害をやめることはできなくなり、黙って従うことになる。


社会全体、世界全体が大規模なものに巻き込まれている。

この状況は聖書の最終章であるヨハネ黙示録の一節を思い出させる。黙示録は世界が直面する艱難について比ゆ的に予言している。その中で悪魔やその手下を表わすと見られる竜や獣が登場する。
「竜が自分の権威をこの獣に与えたので、人々は竜を拝んだ。人々はまた、この獣をも拝んでこう言った。『誰が、この獣と肩を並べることができようか。誰が、この獣と戦うことができようか。』」(13章4節)

「獣の像を拝もうとしない者があれば、皆殺しにさせた。また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分のものにも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。そこで、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった。」(13章15-17節)

文字通り竜や獣を拝むことはないが、比ゆ的に、人々は金を崇拝し、傲慢になることと解釈できるし、また竜や獣を、悪魔とか悪しき組織と解釈することもできる。

また刻印を押すことに関しては最近ではマイクロチップ説があるが、それはひとまず置いて、解釈としては、加害団体の命令どおり動くことを承知すること、不正なことや怪しいことであるとは知りつつも行うことを承知すること、と考えることができる。加害団体に従順でありその刻印を受けることがこの社会で生きていくことのできる条件となってしまう。思考を表わす「額」と、行為を表わす「右手」に悪しき組織、悪霊たちへの従順の「刻印」を受ける者たちだけが無事に生きることができるようになる。

たしかに被害者になると仕事を奪われたり、就職が困難になったり、自営業を始めてもうまくいかなかったりするし、店で買い物をしたり外食をするだけでもいろいろな嫌がらせを受け、役所でも病院でもどこでもやられる。生活や命が脅かされる。

同じキリスト教信者の被害仲間も、現代の状況は黙示録を髣髴とさせると語っていた。同感だ。

一見平和な社会ではあるが、被害者たちが経験しているものはすごいものだ。そしてそこから見えてくる社会は上述したようなもので、黙示録の記述と重なる。


ただし黙示録は最終的にはこの竜と獣の敗北を予言する。最後まで耐え忍んだ者たちの報いを予言し、悪い者たちに対する神の報復が語られる。悪は敗北し、善が勝利する。
被害者たちの忍耐、戦い、またすべての人の忍耐と良心が最終的に勝利につながる。

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