気持ちは新米主婦な毎日

旧ブログタイトル→『新米主婦の未熟な毎日』

携帯ショップのお姉さんにキレた話

2014-06-25 20:01:35 | お出かけ
お姉さんにキレてから3週間くらい経っているのですが、

今考えても腹が立つので、ブログに書くことにします(笑)



帰省している時、

家事的なことは何もしない父が唯一洗濯だけは自分でしていました。
(娘にパンツを洗われるのが嫌だったのでしょうか?)

工場の洗濯機は従業員さんの休憩室の横にあるのですが、

その洗濯機で仕事終わりに洗濯し、

従業員さんの休憩室に全て自分で部屋干ししてました。

パンツまで干していたので、ほんと従業員さんには申し訳ない。


で、ある日父が携帯を入れたまま洗濯してしまい、携帯が故障。

電源も入らなくなりました。

父の携帯は主に仕事用なので、

私に急ぎで機種変更して来て欲しいと頼みました。
(自分で行かないのは耳が遠く会話に支障があるから)


その日はお見舞いの日だったので、

病院の帰り、19:00頃、本人の代理で機種変更するには何が必要か聞くために、携帯ショップへ寄りました。

お姉さんとのファーストコンタクトです(笑)

閉店間際だったので、早く帰りたかったのか、ものすごい早口でまくし立てられ聞き取るので精一杯。

委任状とパンフレットを渡され、早く帰れといわんばかりの態度に少しイラっとしましたが、

閉店間際に行った私も悪かったなと思いその日はそのまま帰りました。


翌日、委任状と必要書類を持って、開店と同時に携帯ショップへ。

携帯ショップのお姉さんは何人かいるのに、またその方が担当になりました。

昨日のことなので憶えていてくれてるかな?と思いましたが、

普通に「ご用件は?」と聞かれたので、

憶えてないのかと若干ガッカリしつつ、

父の携帯をテーブルに出し、最初から説明すると(父が携帯を壊して云云かんぬん)、

マニュアル通りの答え方なのか、

「委任状が~」「必要書類が~」とまた一から説明されたので、

説明を遮るがごとく委任状と必要書類をテーブルに出し、

機種も決めていたので(簡単ケータイの紺色)、

パンフレットを開きコレでお願いしますと、話をさっさと進めてしまいました。


父に携帯ショップに行って来てくれと頼まれた際、

携帯のアドレスを預かってもらうサービスに入っているから新しい携帯に入れて来て欲しいと頼まれていたので(母からもそのサービスに入っていることは聞いていた)、

それをそのままお姉さんに伝えると

「ありえない」「個人情報保護法的にそんなサービスはやっていない」と言われ、

その時はそうかもと一応納得。


そこの携帯ショップを経営している会社は、父の取引先で、個人的に付き合いがあったので、

そのことを知っていたお姉さんに

「もしかしたらお知り合いということで個人的なサービスでやっていたのかもしれない」

「今日は奥様がお休みなので分からない」
(奥様が携帯ショップの実質的な経営者)

と言われ、とりあえず機種変更だけお願いすることに。


1時間くらいかかると言われたので、

近くのスーパーで買い物しつつ、父のスマホ(スマホも持ってるんです。全然使えてないし普段は携帯すらしていませんが)に電話。出ない。

仕方なく、入院中の母の携帯に電話。

アドレスの件を説明し、ありえないって言われたと言うと、母激怒(笑)

何でも(携帯ショップの)奥様から、父が携帯をよく壊すからそのサービスに入った方がいいよと勧められたとか。

お姉さんに言っても埒が明かないので(過去に母もそのお姉さんとモメたことがあるらしい)、

退院したら私が奥様と直接話をする!と怒り出す始末。。


1時間後、携帯ショップに戻ると、また例のお姉さんが担当に。

さすがに1時間前のことは憶えてるだろうと思ったのですが、

また「ご用件は?」と言われたので、

イラっとしつつ、

「携帯の機種変更をお願いしていたので取りに来ました」と言うと、

「お名前をお願いします」だって。

本当に憶えてないのか?そういう決まりなのか?


お姉さんが、新しい携帯を出しつつ、

「アドレスの件、ご両親は納得されましたか?」と。

まるで納得させて当たり前のように聞こえ、今までのイライラもあってか、その一言にカッチーンと来て、

「いいえ!全く納得しておりません!奥様と直接お話をさせて頂きたいと申しておりますので後日母とまたお伺いします!」

と結構大きめの声でキレてしまいました。

ここでお姉さんの顔色が変わる。

隣りのブースのお姉さんも接客しつつ聞き耳を立て始めたのが分かりました。

ちょっとオロオロしながら古い携帯からSIMカードを取り出そうとするお姉さん。

ここで初めて携帯が水没したことを知る。

パニックになるお姉さん。

「確認不足でした。ちょっとお時間頂きます。」と慌てた様子でどこかに電話をかけはじめる(多分本部的なところ?)。

放置される私。

隣りのブースの先輩らしきお姉さんが、パニックになってるお姉さんにアドバイスしつつ、私に説明してくれる。

SIMカードが今回の水没のようにダメになった場合、

SIMカード再発行→機種変更が正しい手続きの順番で、

今回のように逆になると1週間くらい時間がかかるらしい。

確かに今までの私の経験上、携帯が壊れましたって携帯ショップの人に言うと、

まずその壊れた携帯を見てSIMカードを取り出したり、どうやって壊れたのか聞きますよね。

例のお姉さんは、私がキレた後、初めて壊れた携帯を触ったし、どうやって壊れたのか聞かなかった。


パニックになってるお姉さんの電話はなかなか終わりそうにない。

私も暇ではないので、テーブルの上にあった紙に私の携帯番号を書き、

用事があるので帰ります。何かあったら電話下さいとメモを残して帰ることにした。


1時間後くらいにお姉さんから着信。

「SIMカードは大丈夫そうなのでそのままお使い下さい。

アドレスお預かりサービスにお入り頂いていたので新しい携帯に移行させました。」

と言われる。

SIMカードは本当に大丈夫なのか?と問うと、

「今後携帯の調子が悪いなど何かあればすぐ再発行出来ますから。」

と答えになってない答え。

ミスをリカバリー出来なかったんだなぁ~と予想。

アドレスお預かりサービスについては、お姉さんが知らなかっただけでしょと思いつつも特に突っ込まず。


3時間後くらいにまたまた携帯ショップへ。

また例のお姉さん担当。

特に謝罪もなく淡々と新しい携帯を受け取り手続き終了。

もう二度とこいつの顔を見たくないと思いつつ帰宅。



2日間に渡り4回も携帯ショップに行った話でした。


帰省

2014-06-21 14:43:24 | お出かけ
母が入院したため、5/31(土)~6/15(日)の約2週間、1人で実家に帰省しておりました。


父の入院なら帰省しなかったと思いますが、

母が入院となると、父の食事を含む家事全般・工場(実家は自営です)の事務的なことが全てストップしてしまうため、

帰るしかないかぁ~と。


一応、洋ちゃんに帰っていいか?と聞くと、「好きにしていい」とのこと。

洋ちゃんは1人暮らしが長かったので、父と違って何でも出来るしね。

父は家事的なことが何も出来ない上に、耳が遠いので、1人では生きていけません。

私が仕事もあるのに2週間も帰省しようと決めたのは、

母のお見舞いが半分と、もう半分は父のお世話をしなくちゃと思ったからです。


私は3兄弟で、実家から車で30分くらいのところに嫁いだ妹と、滋賀県に住んでいる弟がいるのですが、

妹は仕事(農業)がある上に、子どもが3人いて忙しいので、妹だけに負担をかけるわけには…。


弟は、母の入院した病院が遠かった(実家から車で3時間くらい)ために私を心配して、

近くのビジネスホテルに泊まれば?と言ってくれたのですが、

帰省した目的の半分は父のお世話なので、

母のお見舞いは1日置きにして、病院に行かない日は工場の事務的なことなどをしてました。




母は数年前から目の下の痙攣(けいれん)がひどくなり、疲れたり、ストレスを感じると痙攣が止まらなくなりました。

同じような症状の人が通っているからという理由で、近くの病院に数年通い、薬を服用していましたが、

あまり改善はみられず、大好きなビールを断つなど生活改善をするなどしておりました。

病院の先生からは、ボツリヌス治療(いわゆるボトックス注射)を試してみるか、

注射が嫌なら痙攣するのを気にしないこと(!?)と言われたそうです。
(注射をしてもボツリヌス菌は2、3ヶ月で体内に吸収され効果がなくなるらしく根本的な治療とは言えません)

母は怖がりで、効果がないかもしれないのに顔に注射を打つのは怖い。効果があったらあったで定期的に注射を打つのは嫌だ。

そもそも体内に異物(※母の解釈です)を入れるなんてとんでもないと思っていたらしいです。

母が退院してから知ったのですが、この近くの病院は心療内科だそうで、そりぁ治んないわーと思いました。


話は変わりますが、母は今年度の(地区の)班長さんになったそうです。
(地域のお世話係みたいなものです)

そんなわけで地区の行事的なものに頻繁に参加しなければなりません。

とある行事に参加した近所にお住まいのHさん(私の同級生のお母さん)が、

母の痙攣を目にして気にかけてくれたようで、ある日今回母が入院した病院(脳神経外科)を薦めてくれました。


先ほども書きましたが、母は怖がりなので手術なんてとんでもないと思ったそうですが、

その病院を薦められた話を蓬(蓬の郷、母がしょっちゅう行ってるお風呂)で蓬友達にしたところ、

元看護師さんのお友達①と、蓬以外でも遊んでいる(飲んでいる)お友達②に強力にプッシュされたようです。


先ほどチラッと書きましたが、

病院が遠く、実家から片道3時間かかるので、まずは父運転で病院に行き、2回目は自ら運転して行ってみたそうです。

新しい病院で分かったのですが、痙攣の原因は、生まれつき神経の位置が悪く、神経が骨に当たって誤作動(痙攣)してしまうからとのこと。

手術で神経と骨の間にクッション的な物を入れ当たらない様にしたそうです。


私は5/31(土)に帰省したのですが、

母は5/27(火)に入院し5/30(金)が手術でした。

入院の日も手術の日も父と妹が付き添ってくれました。

前にも書きましたが、父は耳が遠く会話が困難なので、妹がいてくれて本当に助かりました。


術後は一晩だけ集中治療室に入り、翌日の午前中には病室に戻ったそうです。

私は鹿児島空港でレンタカーを借りそのまま病院に向かったのですが、母はすでに病室に戻っていました。

集中治療室では酸素マスクをし体中から管が出ていて重症って感じだった(妹談)そうですが、

私が最初に見た時は腕の点滴しかしておらず、

ゆっくりではありましたが、起き上がって自力で病室内のトイレに行っていたので、

私が予想していたよりはるかに元気そうでした。


母は、手術をする前は怖くて怖くて、術後は数日だけ痛かったけど、

痛みがだんだん治まって来てからは手術して良かった~と心から思っていると言ってました。

術後はまったく痙攣していないそうですよ。

よかったよかった。

顔に注射するのも嫌がってたのに、思い切って手術して良かったね。

これでまた思いっきりビールが飲めるね(笑)
(もうすでに退院したその日から毎日飲んでいます)




帰省した目的の半分は父のお世話でした。

父は団塊の世代の人間(昭和24年生まれ)で耳がだいぶ遠くなっており、家事的なこともほぼ出来ません。

母が入院してから私が帰省するまでの数日間に何を食べていたのか?と問うと、

「コンビニ弁当と缶詰」とのことでした。

実家は自営(鉄工所)で未だにバリバリ働いているのですが、

日常会話に支障があるくらい耳が遠いので、従業員さんにたくさん迷惑をかけていることでしょう。

申し訳ない。

(父のことを年寄りで耳が遠く身の回りのことが出来ないと書いたので、

ヨボヨボじいさんをイメージされているかもしれませんが、180cm越えの大男です)




私は普段、東京で暇しているので(子どもがいない。仕事もパート程度)、

今回の帰省で父に扱き使われて、倒れそうでした(笑)

実際に、湯船で寝る×2、居眠り運転×2をしました。死ぬとこでしたよ。



簡単に1日のスケジュールを。。

04:30 起床 身支度    

05:30 工場に移動(自宅と工場が別になっています。父は工場に住んでいます)

05:40 朝食とお弁当作り

06:45 朝食

07:30 工場始業 10時と15時のお茶の用意、食器洗い

08:00 お見舞いの日→出発、工場の日→父に指示された請求書や見積書の作成、集金、買い物、掃除などなど

17:00 工場終業 夕飯作り、父→現場から戻り(ゴルフの)打ちっぱなしと蓬(お風呂)

18:00 お見舞いの日→工場帰宅

19:00 父戻り次第夕飯、お見舞いの日は父が蓬の帰りに買って来てくれたお惣菜を食べる

19:30 後片付け、自宅に移動

20:00 自宅のお風呂を沸かす(浴槽が大きすぎて小1時間かかる)、部屋干ししている自分の洗濯物をたたむ

21:00 入浴

21:30 洗濯

22:30 洗濯物を部屋干しして就寝


こんな感じが月曜日から土曜日まで続き、日曜日は父運転でお見舞いでした。

帰省している2週間の間、忙しくてほとんどテレビも新聞も見ませんでした。


父に扱き使われたのでたくさん愚痴があるのですが、ありすぎてキリがないので腹の立った順に3位まで発表します(笑)


3位 ごはんのこだわりが半端ない

食事という意味ではなく白いごはんのことです。

父は大のごはん党で、パンはおやつだと思っているので、3食白いごはんじゃないとダメです。

それは別にいいのですが、ごはんを炊く際に水にさらしちゃダメ、保温しちゃダメ、水は少なめなどなど、ごはんへのこだわりが強過ぎる。

父のこだわりにより、洗米後すぐにスイッチを入れる(つまり炊飯予約タイマーを使うなってことです)、

炊き上がり後はすぐに保温を切るなど、ごはんはこう炊け!っていう決まりごとがたくさんあります。

なので朝はごはんを炊くために早く起きなくてはなりません。


2位 請求書、見積書の下書きが汚い

請求書や見積書は父が下書きをし、母がそれを清書するというスタイルです。

下書き用のノートに父が手書きで書くのですが、字が汚くて読めない。

だいたいで書いているので間違いが多い。(例えば、クレーンがクレーとか)

母は何十年もやっているので分かるのでしょうが、

私は工場の仕事は素人ですし、意味が分からない単語ばかりで本当に困りました。

私に頼むならもうちょっと気を遣って丁寧に書いて欲しい!

朝、現場に行く前に下書き用ノートを渡され「これ○○さんに郵送しといて(FAXしといて)。今日中ね」などと言い、

現場に行ってしまうわけです。最悪です(笑)

意味が分からない単語や読めない単語は、以前のデータを探し見比べるなどして何とか作成していました。


1位 忘れ物を現場まで持って来て欲しいと言われ30分迷った

これはもうそのままなんですが(笑)

現場に行った父から9:00頃電話があり一方的にこう言われました。
(しつこいですが、父は耳が遠いのでこちらの質問は無視します。聞こえないので)

「赤忘れた。ナビに入ってたら持って来て。○○さんの十文字原の方ね」と。

意味が全く分かりません。

即座に母にSOS(母が入院中はよくメールで会話していました)。

誰にでも分かるように要約すると、

「ペンキの赤(赤錆)色を忘れた。カーナビに現場の住所が入ってたら(地図に載っているんだったら)持って来て欲しい。○○さんの豚舎はいくつかあるけど十文字原(地名)の豚舎ね」

という意味です。

母にペンキの場所を聞き、

母が刷毛とシンナーもと言っていたので、それも探す。

刷毛は分かるけど、シンナーも必要なことをすっかり忘れてました。
(ペンキの原液をシンナーで溶かしながら使うのです)

実家にいる頃はいつもペンキ塗りしてたんですけどね。

で、持って行く物を準備し、住所を電話帳で確認。

これがまたナビにはなさそうな住所で…。

住所的には、志布志町内之倉というところなんですが、

そのなかでも十文字原(正確な住所ではなく地区名です)というのは何もないところで、案の定ナビに入ってない。

現場の住所が、志布志町内之倉7000(仮)だとしたら、

6000番台と8000番台はナビにあるのですが、7000番台はない。

近い番地まで行き、あとは自力で探そうと思い、とりあえず出発。

現場付近まで約20分で到着。

あとは自力(笑)。

小学校高学年か中学生の頃、長期の休み(夏休みか冬休みか春休み)の時に、

妹とこの目的地の現場に毎日お手伝いに(強制的に)行っていたのですが、

この時の微かな記憶を頼りに付近をさまよう事30分。

どうにかこうにか目印(牛舎と急な坂道、子どもの頃に勝手に自分の中で目印にしていた)を見つけ、

ありえない角度の坂道を登り、何とか到着。

ユニック(トラック搭載型クレーン)の実家の社名(○○鉄工所)を見つけた時の安堵感ったらなかったですよ、ほんと。

父もまさか私が来れるとは思っていなかったようで驚いていました。

30分さまよっていた時は、ものすごい山の中なので不安でいっぱいでした。

ナビと子どもの時の記憶だけで現場に行った私、すごい(自画自賛)!



ほかにも、食べ物の好き嫌いが多く(鶏肉と野菜が嫌い)食事のメニューが限られるとか、

父が自分の携帯を洗濯してしまい父の代理で機種変更に行かされて携帯ショップのお姉さんにキレた話とか、

丸セパ300本にPコンをはめてと頼まれた話(ボルト300本にナットをはめろみたいなことです)とか、

父に対する愚痴はたくさんあるのですが、キリがないのでやめときます(笑)


まぁ色々愚痴はありますが、親孝行が出来て良かったです。

60過ぎのおじいさんが毎日コンビニ弁当と缶詰なんてかわいそうですもんね。