がんばる!大商水球部とOBのおれ達(仮)

OB会公認(?)の大分水球に携わる方々への応援ブログ

発見!驚愕の真実

2005年07月30日 | Weblog
凄い事を発見してしまいました!
今回は個人的な内容になりますが、一読の価値あり。
(と、思います)

今年の高校野球大分県大会の事です。
実は、私高尾の義弟は、高校3年生。
鶴工の野球部員で、しかもエースで四番。
(体もでかいんです!)
そうなると、つい期待してしまいます。
そして、試合に勝つは勝つはで、
『もしかして・・・』と親族一同かなり盛り上がってました。

各新聞にも色々と取り上げられて、
ついには4強にまで勝ちあがりました。

姉であるうちの嫁といえば、愛する夫はそっちのけで応援の日々。
大分合同・読売・朝日・日刊スポーツ等の新聞記事を集めまくり、
さらには、新聞社に掲載された写真を取り寄せる始末。

その集めていた記事を読んでいた時の事。
大分県下の高校野球部を紹介する、選手名鑑みたいな特集がありました。
その中に、『すげぇな、これ!』
と感心した事実を発見しました。

各高校毎の戦力分析。
その最後に各校のコメント。

愛しい義弟達を破って、決勝の舞台にあがった藤蔭。
(今大会の優勝を目指します)
あの柳ヶ浦を倒した別府青山。
(甲子園初出場)

決勝を戦ったこの二校だけが、明確な目標を掲げていたのです。
結局、別府青山がその目標どうり、甲子園に初出場となりました。

他の高校はといえば、
(まずは初戦突破)
(一戦一戦を大事に戦います)
といったような、遠慮がちなコメント。

やはり、強いところ、勝つところというのは、
目標を明確に掲げて、努力しているのだと、
深く感銘しました。

どの高校も、思いは同じなのですが、、
その目標を臆することなく世間に明言しているのです。

藤蔭はともかく、野球ではあまり知られていない別府青山。
こういうところにも、
あの勢いが生まれた要因があったのかも知れません。

我が大商水球部も、想いは同じ。
まずは個人毎でも、目標を掲げる事から始めてほしいです。
そして別府青山の様に、チームに勢いをもたらしましょう。
がんばれ!現役選手達、そしてジュニアの選手達!

その新聞記事。
よく読んでみたら、
三重高校も『甲子園出場』と書いてました・・・・
(ちくしょう!)
せっかく、『なんという偶然か?』と思ったのに・・・・
けど、凄い事だよね!
そう想わない?

実録 水球バカ一代 (水中練習)

2005年07月28日 | Weblog
ようやく始まった水中での練習。
まずは、競泳組といっしょにスイム練習です。

アップをして、バタ足とプルから始まります。
正直、自分はバタ足がとにかく嫌でした。
(全然前に進みません、苦手です。)
ふっと横を見ると、眉毛のぶっとい匡が、眉間にしわをよせて、
ものすごい形相で、バタバタしています。
(仲間がいて、うれしかったです)
でも、苦しい顔をしている匡の眉は、一本につながって見えます。
(苦しい中でも、笑わせてくれます。心が和みます)

水泳の基本練習をこなし終えると、
本格的なスイムメニューに移ります。
それから、延々とスイム練習が続いていきます。

水球組のほとんどが競泳未経験者。
泳ぎに関しては初心者集団です。
そんな中でも先輩達は、文句は言うものの弱音は吐きません。
皆、もの凄い形相で、食らいついて泳いでいます。
(半分いやいやの自分が情け無く感じました)
先輩達の練習に対する姿勢に感化され、
キツさの中に、やりがいと目標を見いだし、
徐々にのめり込んでいくようになったのです。

ひと休憩ののち、
競泳組と分かれて、やっと水球の練習に入ります。

まずは、先生のお手本ではじめた、巻足とフロート。
(全員、全く浮ききれません)
壁を掴んでの、はさみ足(だったかな?)と蹴り足。
(全員で数を数えての反復練習です)
(とにかく声を出さされました)

このような水球独特の基本練習が、
一つ出来る度に、新たなバージョンが追加されます。
雪ダルマ式にメニューが増えていくのです。

それらが終わると対面パス。
始めは、顔の前で受けて、浮力で手に乗せてのプッシュパス。
それが出切れば、ハンドツウハンドの対面パス。
皆でのラウンドパス。
このパス練習メニューも雪ダルマ式に増えていきました。

なんせボールがツルツル。
ぽろぽろとボールが手からこぼれる始末。
しかし、これが良かったのか、
新品のボールが来た時、皆、異常にうまかったのを覚えています。
自分はといえば、新しいボールの感覚が良過ぎて、慣れるのに時間が掛かってしまう始末。
(やはり慣れは怖いものです)

とにかくこんな基礎練習の日々が、延々黙々と続いていきます。 

実録 水球バカ一代 (プール)

2005年07月27日 | Weblog
当時の水球競技は、まだ部として認めてもらえてなかった様で、
自分達の立場は水泳部員。

渡邉先生も、水泳部監督という立場。
競泳(男女)と水球の二つを見ている状況でした。
とうぜん練習は、競泳組といっしょに行います。

体育館横の屋外25mプールを、
競泳用・水球用とコースロープで区切っただけの練習環境。
水球ゴールなどありません。
あるものと言えば、
使い古しのツルツルした水球ボールが数個。
(たしかモルテン製でした)
それに何故か、錆びれたバーベルがあっただけ。
(なんせ水球を見た事がない自分達、それを何に使うのかわかりません)

その錆びれたバーベル。
(のちに行われる夏の合宿で、自分達を苦しめる存在になっていきます。)

今では、水球競技対応の素晴らしい施設があります。
しかも温水の屋内プール、広さも十分です。
観客席や風呂まで備えてあり、完璧な練習環境。
(羨ましい限りです)
当時の自分達には、将来にこんな施設が出切る事など、
当然の如く、想像していませんでした。

25mの屋外プール
その施設環境の中から、想像を絶する創生期の水球部がスタートして行きます。

実録 水球バカ一代 (まだ見ぬ水球)

2005年07月23日 | Weblog
入学式前の春休み。
ひたすら体力づくりの毎日。
厳しい練習にようやく慣れて来た頃の休憩時間。

『高尾はなんで水球に来たんだ?』
と先輩に聞かれました。
当然、あの渡邉先生の言葉が、頭に浮かんできます。

『お前が来たら、水球部をつくる』

「先生にそう言われて、大商にきました。」
「当然水球をする為です」
ちょっと得意げな自分。

何故か薄ら笑いの先輩方。
『先生は皆に、同じ事言ってるぞ!』
『お前も先生に乗せられたなっ』

ガーン!マジッすか! (T_T;)

自分もカマしますが・・・
さすが先生!格が違います。
ものの見事に乗せられてしまいました。

あの言葉を胸に、ガムシャラに頑張った高尾少年。
そうやって、大人のづるさ・したたかさを付きつけられ、
少しづつ成長して行くのです・・・・

「そういえば、水球ってどんなのっすか?」
『知らん。 見た事ねぇなぁ』

まだ見ぬ水球。
(水球ってどんなスポーツだろう?)
練習のキツさもそっちのけ、
期待で胸が膨らみます。

しかし、このキツさはまだまだ序の口。
ただの準備体操段階。

今だ経験した事のない体育会系の世界。
想像を絶する、練習がすぐそこまで迫って来ています。
そうこれからが、本当の地獄の入口。
しかも、かなりハマッていきます。




実録 水球バカ一代 (同級生との出合い)

2005年07月20日 | Weblog
練習参加初日に倒れたという新入生。
その彼に会えたのは、入学式のちょっと前だったと思います。

その彼は、自分と同じ水泳出身。
また、先輩達からの誇張された情報のせいで
ヤツは凄い! というイメージが膨らんでしまい
泳ぎが得意の自分としては、
まだ見ぬ彼を、かなり意識するようになりました。

良いのか悪いのか自分は、昔から気になる人をライバル視して、
その本人の知らない所で、勝手に競ってしまう癖があるのです。

初めてあった同級生は、
天真爛漫で、おしゃべり。
(面白いヤツだ)
というのが、第一印象。
体格と言えば・・・・
情報とはちがい、けっこう丸い。
背も自分とあまり変わりません。
(先輩達にだまされた)
その彼を見て、正直ほっとした記憶があります。

初練習でいきなり泡を吹いて倒れるという、鮮烈な部活デビューを果した同級生・・・・
(インパクトでは完敗です)

が、しかし彼は、やっぱり凄かった!
これをかわきりに、数々の伝説を築いていく事になっていくのです。

そう、その彼こそが、私の友であり人生のライバル。
また、渡邉先生の右腕となり、大商水球部を支えている
『北崎 匡』(2代目監督)その人です。

そして、入学式後の新学期。
新入部員の勧誘活動もむなしい結果に終わり。
このまま1年生は二人のままなのかと思っていたその時。
新たな、同級生との出合いがありました。

「すみません。水球の部室はここですか?」と
自分に向かって、背後から丁寧な敬語。
振り向くと、緊張した面持ちで立っている一年生が二人もいました。

結局その内の一人は、1年の途中で退部してしまいましたが、
残った一人が・・・
あの天才プレイヤー『矢羽田 基喜』だったのです。
彼はのちにカリスマ(?)OBとなっていくのです。

(ちょっとカッコイイな)
これが、もう一人の同級生となった彼の第一印象です。
当然、彼も自分の中で意識する存在になっていきます。

この二人に自分を含めた3人が、
3年間水球を続けた最初の部員となったのです。

実録 水球バカ一代 (初練習)

2005年07月16日 | Weblog
合格発表直後。
入学が決定し、安堵を浮かべていた高尾家。
これから入学まで、のんびりしようとしていた矢先。
一本の電話が鳴り響きます・・・

『たかお!合格おめでとう』
『早速だが、練習にはいつから来れるかな?もうやってるぞ』
渡邉先生からの電話でした。

てっきり、部活は入学してからと思っていたのですが、
早速翌日から練習に参加する羽目となったのです。

ふと、あの言葉が脳裏に浮かんできます。
『お前が大商に来たら、水球部をつくる』
(やっぱりオレ期待されてんじゃん!)
(よっしゃー明日からやったるゾ)

意気揚揚と練習に参加した初日。
私を待ち構えていたのは、凄まじい練習と
バラエティー豊な先輩達でした。
(あれっ。同級生がいませんよ)

泳ぐ前の段階の体力づくり、これがなんともきつかった。
水球とやらは、いったいいつからできるのでしょう。

ゼーゼーハーハーいいながらも、目の色を変えて練習メニューをこなしている先輩達。
激しくゲキを飛ばす先生。 ついて行くのもやっとのオレ。
(いったいなんなんだ。この人達は!)
(先輩達も、今年からの参加じゃないの?)

その内の一人の先輩が話し掛けてきます。
『昨日来た新入生は、練習中に泡を吹いて倒れたぞ』
『泡を吹いたのを初めて見た』
『アイツはもう来ないだろうな』
(そりゃぁ倒れますって。 このキツイ練習じゃ。)
(もしかして、新入生はずっとオレ一人になる訳?)

この話し掛けてくれたのは、初代主将の安部さん。
柔道出身の頑強な体とは裏腹に、いつもニコニコやさしい方です。
自分はなにかと可愛がってもらってました。
まさに、気は優しくて力持ち。

して、その倒れた新入生って誰っすか?・・・
(オレを一人にしないで~・・・)

実録 水球バカ一代 (恩師編)

2005年07月13日 | Weblog
恩師といえば、言わずと知れた渡邉先生。
全国制覇の実現に向け、今年大商に戻ってこられ4代目監督となられました。
当然、水球部創設者であり初代監督です。
(OB会では、終身名誉監督として顧問に就いて頂いております)

先生と初めてお会いしたのは、高校入試を控えた半年程前の初秋の頃だったと思います。
自分はスイミングスクールに通っており、その水泳大会中にわざわざ先生が会場に来られ、レース後のかなりダラケタ状態で休んでいた自分の前に、突然現れたのです。

それはビックリしました。(というよりビビリました)

堂々と胸を張った丸刈りの大男が、突然に自分の目の前で仁王立ちしているのです。
しかも、
窓から入る光を背にして、後光がさしている状態で、凄いオーラを発しています。
(なんともやさしい威圧感。)
さらに、ものすごく爽やかな笑顔。

(でけー、つよそー。 というのが第一印象です)

そこで、 『お前が大商に来たら、水球部をつくる』と一言。
(今まで人に必要とされる事はありませんでした)
(正直そこでもう、先生に男惚れです!)
そして、水球に対する想いを熱く語られました。
が、しかし。
自分も偏屈なのか「おれ、国立の高校を受けます」と
つい、はったりをカマシてしまいました。
(今思えばかなり恥ずかしい。でもちゃんと国立を受けましたョ)
しかし、心は既に大商一本。
(国立の受験はただの予行練習)
『お前が大商に来たら、水球部をつくる』
この言葉が、自分の心に響いた最初の言葉となりました。

その言葉を胸にいざ大商に入学。
めでたく水球部(当時水泳部)に入部となったのです。
地獄の入口とも知らずに・・・・・
そう、あの言葉こそ渡邉先生一流のカマシだったのです・・・・・

悲しき水球バカの社員旅行

2005年07月11日 | Weblog
みなさまこんにちは。
7/9、10の2日間は、なにを隠そう、
社員旅行で杖立温泉に行って参りました。

が、しかし

楽しいはずの旅行が、
なんと!あの凄かった豪雨の真っ只中に出くわしてしまいました。

とんでもない目に合いました。
(といっても朝の2時ぐらいまでは、飲んでましたけど)

飲み疲れて眠りについた約1時間後の朝3時ぐらいに、ものすごい叫び声。

『そと!見ちみよ!!』と社長が叫んでいます。
「ナンスかっ。社長~」とオレ。

そして、外を見て見ると、

(T□T;)が~ん!なんじゃコリャ!

(もう、おいさんやけん顔文字使うの恥ずかしいけど、ホントにこんな感じでした。)
(若いOB方々こんな感じの使い方でイイッスか?)

想像を絶する1時間に98mmの雨と風。
今にも決壊しそうな勢いの超激流の川が、目の前にあったのです。
さすがに眠れません。 酔いもさめます。
しかも、携帯は圏外・・・ 誰にも連絡とれませ~ん。

警報のサイレンと放送が、鳴り響いてるけど、
激流の音で全然聞こえません。
激流の音っていうのは、本当にスゴイョ!、ビビリます。
水の凄い大音量に、ゴツゴツっていう音が鳴り響いてます。(岩が流れる音らしいすよ)
本当に怖い、しかもくさい。
いったいオレはどうなんのッ・・・・。

ナンヤカンヤで生きて帰って参りまして、この記事を書いています。
この豪雨で亡くなられた方のご冥福をお祈り致します。

ところで、次回より自分(水球部設立当時)の思い出を書いていこうと思います。

しかしみなさま、やっぱり何か防災対策と心がけはしてた方がいいですよ!