ななきたのご隠居~野崎 幸治

千葉市美浜区で行政書士をしています。
地元では「ななきた(磯辺7丁目北自治会)のご隠居」と言われています。

中伊豆の旅(韮山反射炉)

2015年06月27日 | 旅行

さて江之浦テラスを出て話題の韮山反射炉に行くことにしました。

その前にパワースポット三嶋大社に寄ってみました。

JR三島駅で伊豆箱根鉄道に乗り換えます。

三島はいたるところ富士山の伏流水が湧きだし池や小川が流れ周辺には大木が葉を繁らせ夏は気持ちの良い場所だと思います。

まさに「水の都」です。

伊豆箱根鉄道・駿豆線(三島~修善寺 19.8km)

東京駅を出た特急踊り子号は熱海駅で伊豆急行下田行きと修善寺行きに切り離されます。

後ろ5両は伊豆箱根線に相互乗り入れして修善寺駅に向かいます。そこでおぞましい殺人事件が起きたのでした。

と書き始めると西村京太郎サスペンスです。

まあそんなご隠居の好きな殺人事件もなく平和に列車は三島田町駅に到着です。

駅前から参道になっています。

写真に撮るのを忘れましたが右側一番奥がTVでお馴染み鰻の鯛焼き屋さんです。

外は鯛焼きなのですが中はあんこではなく鰻のかば焼きを切ったようなのが入っています。

三島の名物「福太郎」です。ドラッグストアではありません。

福太郎はヨモギ餅に鳥帽子をした甘さを控えたあんを添えています。

鳥居を入って右側に店があり200円で食べられます。お茶も出してくれます。

酒飲みで甘党のよくばりご隠居達も早速食してみました。

お参りする前にパクパクやっていたんではパワースポットもあったものではありません。

茅の輪(茅の輪神事)

日常生活で知らず知らず犯している罪やけがれを半年ごとに(6月、12月)に祓い清めて清らかな身になります。

一 水無月の 夏を越すには 千歳の命を延ぶとなり

一 思うこと みかつきぬとて 麻の葉を 切りにきりても祓いつるかは

蘇民将来  蘇民将来

と意味はよくわかりませんがブツブツ唱えて輪を8を横にしたような感じで潜り抜けます。

ここでも蘇民将来の信仰があるようです。

三嶋大社は大山祓命(おおやまつみのみこと)祀り恵比寿様として崇拝され商工、漁業者、また金運の神様です。

源頼朝が深く崇拝して源氏再興を祈願したそうです。

結果源氏は日本の頂点に上り詰めました。ご利益ありそうな神社です。

 

さて三島田町駅から伊豆長岡駅で下車、韮山反射炉にやって来ました。

「明治の日本の産業革命遺産」として国がユネスコ世界遺産センターに推薦書申請中です。

反射炉は17~18世紀にかけて欧州で発達して金属を溶かして大砲などを鋳造するための溶鉱炉です。内部の天井がドーム状になった炉体部と煉瓦積みの煙突からなります。

 

石炭などを燃料として発生させた炎と熱を炉内の天井で反射し、集中させることにより千数百度の高温を実現します。このような熱を反射させる仕組みから「反射炉」と呼ばれるようになったそうです。

 

日本ではぺりーの艦隊などがやって来て、こりゃ大変だこちらも大砲作るのに「反射炉」つくらなくちゃあとおっぱじめたのが始まりです。(薩摩藩などではそr以前に研究導入されていたみたいです)

日本人のすごい所は何もない所からでも文献あさったり蘭学に詳しい人を連れてきたりなんとか同じようなものを作ってしまいます。

種子島に初めて鉄砲が伝来されて見よう見まねで日本でも鉄砲が製作されると何十年もしないうちに当時では世界でも有数な鉄砲の所持する国になりました。

日本人を別段褒める気はありませんが何やっても一生懸命な人たちがいるのでこれから先も大丈夫でしょう。

「反射炉」で作った大砲。

世界中の人達はどうしてこのようなものを作るのに一生懸命なのでしょうか。

反射炉のある公園の裏山を見ると静岡らしく茶畑がありました。

明治時代お茶と生糸の輸出で日本の発展の基礎を造りました。

お茶の葉っぱの方が大砲より役に立ったような気もしますがどうでしょうか。

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中伊豆の旅(江の浦テラス)

2015年06月24日 | 旅行

当ブログでは旅行の話題が中心ですが温泉とかグルメはあまり掲載していませんでした。

毎年6月に学生時代のサークルの友人たちと旅行します。

今年は伊豆の方に足を延ばし宿泊した江之浦(えのうら)テラスの料理が美味しかったので紹介します。

別に何も供応は受けていません。念のために書いておきます。

(小田原市江之浦206-13  0465-29-0456)

東海道線根府川駅です(小田原駅より2つ目です)。東海道線に乗ってよく出かけますがここを降りるのは初めて、電車のドアーが開いた瞬間磯の香りがします。

宿のご主人が車で迎えに来てくれました。

テラスというだけあって2階のテラスからの相模湾の景色は素晴らしいですよ。

左側の建物、みかん畑の中にあります。

まずお風呂に入りましょう。残念ながら温泉ではありません。

海が綺麗にに見えました。

ジャグジーつきのお風呂です。

さて夕食です。

前菜

わずかな現金と若い頃が忘れられない、から元気を持ち合わせてご主人も驚くほど飲みました。

お刺身

江之浦港で取れたばかりの魚です。

これが宿自慢の焼き立てのパンとグラタン。えびも全部食べてしまいました。

酔ってきたか少しぼけてしまいました。

なんだったか忘れました。

ご主人と奥さん、そしてお母さんの3人で切り盛りしていて1日5組しか泊まれません。

やはり伊豆と言えば金目の煮つけですよね。

後はいくつか出てご飯にデザート、滅茶苦茶酔っぱらっていてよく覚えていません。

 

 

朝になりました。

レストランに朝のまばゆい光が差し込んでいます。

朝の江之浦港に漁を終えた船が帰ってきました。宿をまっすぐ降りたところが港です。

東海道線も真下を走っています。

朝食です。

そんなに二日酔いでもなく驚くぐらい元気。

我々もまだ一旗あげられるかなんて言う気分です。

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横浜・三溪園蛍の夕べ

2015年06月19日 | 旅行

三溪園は6月6日~6月14日、蛍の夕べと称して開園時間を延長して開催しているので5時半ごろ行ってみました。

夕暮れ迫る正門門柱です。

三溪園のシンボル的旧燈明寺三重塔(重要文化財)

大池

蛍が出るのは暗くなってから7時過ぎとのことです。まだ時間があるので内苑のほうを散策しました。

内苑は大池の奥のほうです。ちなみに蛍が見られるのは赤い矢印の所です。

御門 京都東山にあった薬医門

白雲邸

三溪園は明治から大正にかけて製糸・生糸貿易で財を成した横浜の実業家・原三溪(本名富太郎)が造り上げた庭園です。

白雲邸はその三溪が隠居所として夫人と共に過ごした建物です。金持ちはスケールが違いますね。隠居所でこの豪華さです。

旧天端寺寿塔覆堂(きゅうてんずいじじゅとうおおいどう)

それにしても待っているとなかなか暗くなりません。

誰か言っていたけどくれそうでくれないのは夏の夕陽と金持ちの寄付。当たっている。

旧燈明寺本堂

この中で蛍の生態がわかる観察コーナーなどもありましたが薄暗くて、その上混雑していてよくわかりませんでした。

三重塔がようやくライトアップされました。

さてこのあと蛍が良く出る場所(お化けではない)に行ってみましたが一切撮影禁止です。

ものすごい観光客がシーンとして待っているのには少し滑稽な感じもしました。

昔はちょっと田園地帯に行けばやたら蛍なんか飛んでいて人間が滅茶苦茶に自然を壊すからいなくなっただけです。

新潟のトキなんかと同じで少なくなって貴重になると騒ぎ出します。

おめぇだって同じだろうといわれればその通り、ご隠居も単なる物好きでやって来ました。

結局8時近くまでいましたが見られませんでした。

 

やっぱり三溪園は桜の満開の頃の昼間の方がいいかなと思いました。

したのyoutubeは2012年です。今年のもパソコンで探せばアップしたのがあるかもしれませんね。

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小岩菖蒲園

2015年06月15日 | 日記

写真教室の野外撮影会で小岩菖蒲園にやってきました。

京成電車の国府台駅(千葉県市川市)から江戸川を渡ると東京都です。その江戸川駅から歩いて約5分河川敷にあります。

江戸川河川敷では当ブログでも過去に流山、柴又、水元公園など紹介しています。

自然豊かな水辺の楽しい場所となっています。

 

それではパチパチせこく撮れば中にはいい写真も撮れているかもしれません。マイペースでいきましょう。

誰でも撮れるただ色合いがいいというだけです。

どうでしょうか?バックの葉がぼけていてまずまずかな。望遠レンズ使っているんですよ。

三角形になっていますが左側にうっかりせこい花びらが入ってしまいました。

先生の講評は次回の教室になります。

色はお洒落ですが葉っぱがはっきりとに映ってしまいました。

全体を写してみました。

ちょっと変わった品種です。ご隠居は気に入っている写真ですが・・・・

池に蓮の花が咲いていました。

アサザかな。

京成電車が轟音と共に鉄橋を渡っていきました。

鉄道ファンなのでつい気を取られてしまいます。

子供たちがゲンゴロウがいたと目を丸くして見ていました。

こんなに小さい子供でも莫大な国の借金を負わせさせられて気の毒です。

安倍総理、安保より国債の返済を優先してお願いします。

天気が良かったのでお年寄りのグループがたくさん来ていました。

老人ホームの若い人たちに介護された車いすの人達が初夏の陽気を楽しんでいます。

年を取ればとるほど思い出のアルバムは厚くなります。

若い頃公園をデートしたことでも思い出しているのかな。

先生に

「野崎さん、菖蒲をいかに綺麗に撮るかと会を開いているんですよ。すぐに気持ちが移っちゃうんだから」

と言われそうです。

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姨捨駅

2015年06月09日 | 旅行

善光寺の御開帳だけに日帰りで行くのはもったいないので前日松本経由で篠ノ井線(塩尻~篠ノ井・66.7km)に乗車して姨捨駅で途中下車しました。

さてご隠居の好きな三大何とかです。三大車窓と言えば(列車からの眺めのいい所)どこでしょうか。

根室本線・狩勝峠越え(北海道)、肥薩線・矢岳越え(九州)そして姨捨駅からの車窓です。もっとも根室本線は新線になってからは景色が良くなくなったとの評判もあります。

姨捨駅

姨捨駅はスイッチバックになっています。乗っていて時間はかかりますが鉄道ファンにとっては結構楽しい場所です。

左側奥が姨捨駅です。我々が乗車している下りはこのまま駅に進入します。右側に本線を登り松本行き普通列車が来ました。

この列車はもう少し走って引き上げ線に入ったのちバックで姨捨駅のホームに向かいます。

そして下り列車は一度引上げ線に入り今度は逆向きに走って篠ノ井方面向かいます。

姨捨駅で上下線が交換になります。

反対側は終点です。貨物など長い編成の列車は一番奥まで行きます。

140円で記念入場券が販売されていました。

名古屋行きのワイドビューしなのは姨捨駅には停車しないので谷間に轟音を響かせて本線を疾走していきました。

ホームからの善光寺平の眺め

さて駅を出て少し散策してみました。

昔年寄りの大嫌いな殿様がいて「60歳になった年寄りは山に捨てること」というおふれを出しました。

ある日のこと、一人の若い男が年老いた母親を背負って山道を登って来ました。深い悲しみを振り払うようにただ夢中で。

ふと気づくと、背中で母親が「ボキッ、ボキッ」と木の枝を折っては道端に捨てています。男は不思議に思いましたが何も聞かずにそのまま歩いて行きました。

年寄りを捨てるのは深い深い山奥です。男は母親を残して一人帰るころには日がどっぷり暮れて、あたりは真っ暗闇、すぐさま道に迷い母親の所に引き返しました。

母親は静かに言いました。

「さっき木の枝を折ってきた、それをたどってお帰り」子を思う親の深い愛情を今更ながら知った男は、ついに殿様の命令にそむく覚悟を決めて、母親を家に連れて帰りました。

 

そのご紆余曲折があり殿様は自分の考えが間違っていたことに気づき年寄りを捨てることをやめさせました。

これが「姨捨山伝説」です。詳しくはネットで調べてね!しかしお爺捨山といわないから昔から女性の方が長寿だったんですかね。

もっとも年金機構の理事長が聞いたら喜びそうな話ですね。金を集めておいて年金支給しようと思ったら年寄りは山の中で行方不明。掛け金だけが残ります。

夜景が綺麗みたいですね。夜までいられないのが残念です。

 

長楽寺にやってきました。

長楽寺は天台宗の名刹で境内にはいくつもの句碑が並んでいて月の名所です。

本殿

こちらも御開帳が行われていました。参拝客はボチボチでしたがお寺の家族総出で接待していて感じが良かった。

奥まで上がって聖観音菩薩を拝むことが出来ました。また雄大な善光寺平を望みながら抹茶をいただくこともできます。

観音堂と姥岩

テレビのサスペンスドラマの舞台に良く出てきます。月の輝いている深夜殺人事件なんかが起こります。

月が綺麗だと余計淋しくてミステリアスな感じがするのでしょうか?

知り合いの行政書士でも殺されていて死骸でもないかと観音堂の裏山の方まで登っていましたが何もなかったのでがっかりしました。

月見堂

おもかげや 姥ひとりなく 月の友  松尾芭蕉

そして名勝 棚田です。

「田毎の月」として月見の名所です。

本当に昔の人は大変だったと思います。毎日毎日稲の世話をして崩れた畦を直して水を管理して秋に黄金色に一面なるころはヘトヘトだったでしょう。

やっぱりなんだかんだ言っても幸せな時代に生活しているという実感がこみ上げてきます。

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信濃国分寺

2015年06月07日 | 旅行

喧騒の善光寺から、しなの鉄道しなの線(篠ノ井~軽井沢・65.1km)に乗って

信濃国分寺(長野県上田市国分)にやってきました。

駅から約5分も歩くと可愛らしい仁王門が道の真ん中に建っていました。

仁王門

信濃国分寺は正月8日の八日堂縁日が有名です。この日だけ蘇民将来符という木製符が販売されますが(工芸品でないので予約、通販は一切なし)レプリカでもいいから通年で販売していないかと思いました。

怖い顔して水を出していました。

鐘楼

三重塔

夕方だったせいか静かで参拝客もいなくて、ただただ信州の爽やかな風が吹き抜けているだけで思っていたより断然素晴らしかった。

たまあにドラマの舞台なんかで出てきますがこんなにいい所とは思いませんでした。

本堂(八日堂) 善光寺に似ていますね。

中に入って参拝してお札など販売している場所に行くと男性が一人ぽつんと座っていました。

見ると小さな蘇民将来符がおいてありました。

男性に聞くとお正月以外でも参拝客が将来符が欲しいという要望があるので3寸(9cm)のだけおわけしているとのことです。

この男性と蘇民将来信仰のことで話が弾みました。(誰もいなかったので)

岩手県の黒石寺や(昔蘇民祭のポスターでJRの駅にはるとかダメだとか問題になりニュースになりました)飯能市の竹寺にも行ったことがあり住職との会話など話してくれました。

二つの寺も蘇民将来信仰で有名です。

爽やかな感じの人でした。旅先でこういう人と話ができるのは嬉しいですね。

蘇民将来は情け深い人の名前で、昔巨丹長者に宿を断られた旅人を厚く遇し、その言葉に従い柳の木に「蘇民将来子孫人也」と書きこれを携帯し、門戸に掲げてその子々孫々が災厄を免れて繁昌したという説話です。

この旅人は薬師如来の化身である牛頭(ごず)天王だそうです。そういえば蘇民将来の話には必ず牛頭天王のことが出てきます。

素朴な話ですが昔は各地に伝えられていたそうですよ。

大黒天堂

いただいてきた蘇民将来符です。

薬木とされているドロヤナギ材の六角面に「大福長者蘇民将来子孫人也」と墨と朱で書き分けたものです。

民俗学的にも注目されている護符だそうです。

大事にとっておきましょう。

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善光寺御開帳

2015年06月04日 | 旅行

先月5月は長野善光寺の(かぞえで)7年に一度の御開帳でした。

ご隠居は足かけ14年前に行政書士事務所の友人たちと千葉を夜中に車で出かけお朝事に間に合わせるため朝5時ごろ善光寺に着いたのを思い出しました。

あれから14年何もなく幸せに過ごせたのも善光寺のおかげと7年後はどうなっているかわからないと思い、急に御開帳終盤になって出かけました。

あまり早く行ってもご本尊様もお朝事が終わって疲れているだろうと思いおっとりがたなでホテルを出て長野駅前に着いたら善光寺行きのバス停は長蛇の列でした。

2kmぐらいなのでのんびり歩くことにしました。

参道までの道は以前にもまして綺麗に整備されています。

朝からパフォーマンスも繰り出しています。

丁石(ちょういし)

善光寺表参道の道沿いに109mごとに建つ「丁石」これは長野駅が善光寺から十八丁(約2km)あることを示し、阿弥陀如来の十八番目の誓願にちなんでいるとか。

 

4月3日回向柱建立式 (えこうばしらこんりゅうしき)

4月4日前立本尊御遷座式(まえだちごほんぞんごせんざしき)ご本尊が宝庫から本堂に運び入れます。

4月5日開闢抱擁(かいびゃくほうよう)いよいよ御開帳がはじまります。

4月25日(天台宗)中日庭儀大法要(ちゅうにちていぎだいほうよう)

5月9日(浄土宗)中日庭儀大法要(ちゅうにちていぎだいほうよう)

5月31日結願大法要(けちがんだいほうよう)

6月1日前立本尊御還座式(まえだちほんぞんかんざしき) 名残惜しく扉しまる。

 

さて大門南の入り口まで来ると

な、なんと  ここからもう入りきれないほどのすごい人です。

回向柱にたどり着くまで約1時間30分かかりました。

三門の上の善光寺の文字に5羽のハトが隠れています。

人。人。人

参道にはお土産さん他にも宿坊も並んでいます。

ご隠居みたいな貧乏人は一泊6000円の東横インなんかに泊まって騒いでいますが金持ちは宿坊に泊まり優雅に精進料理を堪能して翌朝住職に案内されながらお朝事に出かけるのです。

(お朝事・・・日の出とともに本堂で始まる善光寺全山の僧侶が出仕して勤める法要。ご開帳期間はこの時前立本尊の厨子の扉が開かれ14年前来たときは感動的でした)

回向柱が近づいてきました。

回向柱と前立本尊の人差し指が「善の綱」で結ばれています。

専用の直通回線で結ばれているのでなんでも聞き入れてくれます。

前立本尊という名前もいいです。

ご隠居も回向柱に手を当てて「いつまでもパンツの中が元気のように」お参りしました。

なに?意味が違うんじゃないかって?

まあいいじゃないか。

本堂の上から見るとすごさが分かります。

御朱印をいただくのにも2時間待ち。諦めました。

長野駅のスタンプで代用します。あまりご利益無いかな?

峠の釜めし屋さんも御開帳モードです。

お坊さんの上にドローンでも落ちてきたら大騒ぎになっていい写真でも撮れないかなと空を見たら青空が広がっているだけでした。

だいたい人々が大騒ぎしている時に脇で冷やかに見ているのが好きです。

もっとも国債が暴落して日本国が倒産したなどと言うことになると第三者ではいられないので困ります。

しかしそれに備えてチマチマ貯金していても日本国がダメになれば対応できないのでみんなと一緒に右往左往して走り回りましょうか。配給は老人を先にしてくれなどと喚いたりして。

お金は価値のあるうちに使いましょう。安倍総理、国の借金返すのを第一の目標にしましょうよ。

世尊院。こちらも回向柱がありましたがそれほど並んでいませんでした。

みんなブランド志向です。

さて善光寺から午後は小布施の方に行く計画をしていましたがほとほと疲れたので止めました。

駅前でゆっくりして帰りながらしなの鉄道で信濃国分寺に寄ってみました。

金3000円にて回向柱のご分身をいただいてきました。毎日拝んでいると7年後も元気で善光寺御開帳に行けると信じています。

なお隣の猫は単なるガラクタです。参道で買ってきたので少しご利益あるかもしれませんね。

 

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6月

2015年06月01日 | 日記

6月になりましたね。

6月生まれの方はお誕生日おめでとうございます。

 

6月というと

イメージとしては雨、ジトジト、紫陽花となんとなく夏までの間の静かなひと時という感じがしますね。

事務所の前のグリーンベルトには誰が植えたかわからないタチアオイの花が綺麗に咲いています。

タチアオイの花言葉は「高貴」「大きな志」「熱烈な恋」

ご隠居にとってはどれもあまり関係ないようです。

6月のイメージは雨がつきまといますがよく考えると過去に旅行に行って2日間丸々降られたということはありません。

6月は陽が長くなりそのぶん行動範囲も広がり、そんなに暑くも無く、新緑が雨に濡れてますます輝いています。

それにGWと夏休みの間で旅館もとりやすく旅行に向いている季節かもしれません。

 

先日の毎日俳壇に次のような句が掲載されていました。

     東京駅のホームに手をあげ

         相寄りて一年ぶりの七人の友  秋山佐和子

一年ぶりに会えた喜びと旅への期待が高まっている様子がよく詠まれています。

ご婦人方はよくグループで旅をしているのに会います。平日でも熱海駅で伊豆急行線に乗り換えるホームではご婦人方をまとめて鍋に突っ込んで佃煮してもいいくらい沢山います。

まあホーム中ピーチクパーチク楽しそうでいいかなと思います。

 

以前、ご隠居の母親が80歳の時、友人たちと熱海を旅行していました。

 お土産物屋さんに更に元気なばあ様のグループがいました。年を聞くと88歳の学校時代の集まりだったそうです。

みんなで「あたしらもあと8年は旅行できる」と喜んだそうです。

でも最近は脚が痛くてどこもいけないと朝起きると私にこごと言うだけを楽しみにして生きています。

 

その点じい様は別に遠くに行かなくても近くでいい酒飲めればそれでいいという男性が多いようです。

もっともじい様が7,8人でむすっとして観光地をうろうろしていても「年金増額のデモか」「断酒会のアピールか」とみんなが引いてしまいそうですね。

 

なんだかんだ言っても雨もこの時期降らないと困ります。

ちょっとおしゃれな傘でも買いたくなるのではないでしょうか。

ご隠居は小学校の時から忘れ物の名人と言われていたので傘は最安値のビニール傘と決めています。

 

昔「シェルブールの雨傘」という映画がありましたね。

カトリーヌ・ドヌーブという美しい女優さんが演じていました。

 

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