とあるTSUTAYA店員の映画日記

L'histoire du cinéma est un long martyloge.

「ミュンヘン」

2006-03-21 17:12:31 | Weblog
はじめに一言

スピルバーグは変人だ

紛れもなく変人だ


 スピルバーグの一連の作品群に一定の文脈を追い求めるのは不可能だ。ただひとつわかること、それは彼が歪んだ映画に対する情熱を持った映画狂であるということ。彼の映画の大前提は「エンターテイメントであるということ」。
 この映画のメッセージはとてつもなく深い。人類の長い歴史の中で積もってきた複雑な感情と、その結果として現れる「血の連鎖」という悲劇。未だに完全な収束を向かえることのないこの問題を、問題そのものとしてこの映画はスマートに見るものの感情に訴えかける。当たり前だが答えはない。ユダヤ人であるスピルバーグがこの立場で映画を撮っているということがさらに深みを与えている。
 しかし、この映画はそれだけではない。エンターテイメントとしての映画をこよなく愛する変態映画狂スピルバーグの映画なのだ。彼は見るものを楽しませることを忘れない。首相が手についた汗を服で拭くシーン。領収書を求める役人。しっかり笑いの要素を入れることを忘れない。前半の手に汗握る暗殺シーン。見るものを興奮させることを忘れない。一つ目の暗殺の「ワインと牛乳と血」の使い方はかっこよすぎる。忍び寄る暗殺者の影。追い詰められる主人公。一級のスリラーの要素も満載なのである。そう、これはエンターテイメントなのだ。「血の連鎖」というテーマの上にこれだけのエンターテイメント的要素をのっけてくる彼を変態と呼ばずにいられるだろうか。だがこの映画が軽くなることはない。彼は真剣だからだ。映画に対して、そして人類に起こっている悲劇に対して。それがスピルバーグであり、「ミュンヘン」は紛れもなく彼の映画なのだ。
 この映画に対して政治的要素を多く求めすぎて、混乱してしまった人は少なくないのではないだろうか。どっかの馬鹿が「こんな映画でどうやって世界を救うのか」と批評したらしい。違うやん。これはスピルバーグの「ミュンヘン」なのだ。彼は変態的なやり方で世界を救おうとしているのだ。