普国警察大尉ヘーン君表功碑 警察の體は規律にあり規律苟も整はされは警察の仁何によりてかこれをたもたむ警察の用は勤勉にあり勤勉苟も至られは警察の職何れのところにかこれを盡さむ嗟呼普国警察大尉ヘーン君の如きは実に一身を以てこの二者をそなへ警察の師表たるにあまりありといふへし我邦王政維新庶蹟咸な熈まれり而して警察の事いまた善美を盡す能はさるものありき時の内務卿山縣伯乃ち警察の吏務に厳正の訓練を施すの必要を感し遠く君を普国に聘す君の聘に応して来朝せしは明治十八年三月にあり爾来命を奉して廿三年に至れり初め約するに三か年を以てし継いてまた二か年を重ね前後凡そ五年その後一か年は警視庁の顧問となりて力を其の警察に致したり君の内務省にあるや専ら警察訓練所に従事して各府県の警察官を薫陶せり其の間授業を終ヘしこと凡そ四回卒業生をいたししこと凡そ五百五十三人日を重ねしこと凡そ千八百二十有餘日而して未た嘗て一日もその職を曠廃せす適疾病にかかるも勤めてその業を執り機微も辞色に見はししことなし君は口以て警察の勤勉を説くのみならすその身実にこれか儀表となれり其の生徒に接するや繊小の事も浅近の理も諄々として教へて倦ます語りて遣さす口若しこれに及はされは続くに手容を以てするに至りぬ授業に臨むや一秒たも時間を過たす音吐厳粛容貌端正その服は粗野を極めたれとも敢て一点の汚を著けす其の靴は古色を帯ひたれとも常に澤々として光あり君は口以て警察の規律を説くのみならすその身実にこれか規範となれり古人の言は行を顧み行は言を顧みるといひしは君の謂にあらすや君は身を一兵卒より起して下士に選抜せられ普墺の戦には砲烟弾雨の間に馳駆して忽ち少尉に昇り普佛の戦いにまた戦地にありて中尉にすすみ爾後身を警察に委ねて遂に警察大尉に任せられ其の間多くの栄誉ある勲章を得たりき盖し君の勤勉なるはこれを天性に得たれとも君の紀律はこれを軍隊に根帯して大いに警察に発揚したるものにあらさるはなし而して君か警察上の意見は豈に多年の苦心を以て警察を実践したる賜にあらさるなきを得むや君は教授の暇には命を奉して我全国警察の実況を視察し西は九州に赴き沖縄県に航し東は奥州地方より北海道に至る帰れは必す復命書をて提し其の論究する所大観精察各その宣に適し荀も美なるものは悉く挙けてこれを奨励し其の弊の存する所は細大指摘してこれか矯正を勉めたり是の時にあたり余乏きを警保局長に承けて専ら警察制度の釐革に従事せり而して君は先つ警察官を薫陶し以て警察の精神を発揮し次きに警察事務を視察して以て警察の形體も整理す嚮に君の未た来朝せさるや我警察官の警察取調の命を奉して普国に至れるもの前に佐和小野田林の三氏あり後に園田杉本小川の三氏あり当時君大いにその取調に便宜を与へて前後裨益する所すくなしとせす君の我警察に於ける直接に間接に其の力を致ししこと実に大なりと謂うふへし故に我朝廷は君の功を表し勲四等に叙し旭日小綬章を授与せられ尋いて勲三等に進め瑞宝章を授与せられぬ抑君か教へ子は多くこの土にあり君か功徳の種子は多く此の土に植えられぬ他日の功果豈に刮目の情なからむや君の足跡は多くこの土に印す鎮西の水に東奥の山に君豈に恋恋の情なからむや故に君のこの土を去るに臨みて語るらく日本の警察今や進歩の途にのほれり余は他日再遊して必す眼を刮つてこれを観むと其の後余の欧州各国を巡遊して普国に赴くや君方さに伯林府の警察方面監督たりまた余の為めに東道の主人となり大いに視察の便を与へられたり而して余の帰朝してよりいまた幾もならさるに君は病を以て伯林府に没しぬ実に我明治廿五年十二月三十日なり君の余と手を伯林府に分つや慇懃に再遊を約し思慕低徊殆と我邦を忘るるあたはさるものの如くなりきその音容恍として今猶ほ目にあり何そ図らむ一朝幽明地を異にして再開相期すへからさるに至らむとは頃日舊故の士相謀りて表功の碑を墨水の濱に立て以て君の功を不朽に伝へむとす余か君と公私の交り尤も篤きを以て文を余に微す余輒ち其の顛末を記述すること此の如し嗚呼君にして知るあらは幽魂遠くきたるて生前再遊の約を履め膚浅なる吾文何そ敢て君の霊に告くといはむ但た我輩の君を思ふ至誠は庶幾くは君の魂を慰するに足るものあらむ
明治廿七年十一月 司法次官従四位勲四等清浦奎吾撰文 枢密院議長陸軍大将従二位勲一等伯爵山縣有朋篆額 女子高等師範学校職員岡田起作書丹 木村旭長刻
裏 発起人 園田安賢、清浦奎吾、小野田元熈 生徒総代 内村直俊、坂口兼贇、佐野之信、平野貞次郎、飯田章、田中致知、藤崎虎二
副碑 独逸警察大尉ヘーン氏は明治十八年より仝二十三年まで在朝我邦警察官の教養に當り精勤格勤身を以て其師表たり紀綱整ひ勤勉至ること世界に冠たる我警察精神の扶植に大功ありといふべし仍て先人夙に其表功碑を向島三囲神社境内に建設せしが星霜幾たびか遷ると共に碑面漸く汚損し環境亦雑然たり言問警察署長野崎昌寿氏深く之を概き其の修理浄掃の意図あり管内諸有志亦企劃に賛同し茲に土を起し草を刈り之を衆人親しく接するに便ならしめ一は先人が報恩感謝の美風を永く傳え他は同氏の功績を更に顕揚せんとす
皇紀二千六百年九月 日独伊三国條約成るの日 有志代表今村信吉誌
参考 墨田区文化財調査報告書5、東京市史稿遊園篇第7、三囲の石碑
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