大佗坊の在目在口

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閉塞船相模丸指揮官 湯浅竹次郎

2011-04-18 | 會津

湯浅竹次郎は旧会津藩士湯浅牧五郎次男で、明治四年十月芝赤羽で生まれた。十三歳の時、柔道家嘉納治五郎の知遇を得て、明治二十年頃父死亡のあと母親八重子の苦境に嘉納治五郎により親子で自邸に引き取られ、明治二十一年兵学校入学して二十四年(十八期)卒。明治三十七年五月、旅順口第三回閉塞作戦に閉塞船相模丸指揮官として参加、旅順開城のあと同三十八年十一月旅順口白玉山山麓の旧露国墓地に埋葬されているのを発見された。

 

 

明治三十七年五月十五日朝日新聞記事に湯浅少佐の決別の様子が掲載されている。「其出発の前夜に於て決別の小宴を催され決死の面々も普通海員も其卓を囲み船長たる田向栄一氏の口より勇壮なる詩を吟じ湯浅指揮官は君が代の歌を高唱せられました茲に我我は湯浅少佐の武者振りの雄々しきを追懐に堪えませぬ然して少佐は此汗臭き身体を死後若し敵に拾はれるやうな事があっては日本武士の恥唇であると申されまして芳気粉々たる香水を浴びるほど其身辺に灌がれました」、さらに隊員の扮装(いでたち)は湯浅少佐ほか23名、銘々に日本刀を背負い皆、白布に辞世を認めて鉢巻として上に海軍帽をかぶって相模丸に乗船したという。

 

博文館発行臨時増刊第十八編日露戦争実記に湯浅竹次郎氏の旧友尼野源次郎は、「湯浅君とは広瀬中佐と同じく講道館の同窓なり。君は会津藩士にして、維新落城の後東京に移り、牛込区若宮町に在りき。舎兄松之助氏は今鹿児島なる鉄道作業局に勤務し、同じく講道館友なり。竹次郎君は明治三十四年今の夫人栄子を娶り、翌年長女を挙げたり。君が海軍兵学校へ入学せしも館主嘉納先生の斡旋に由りしなり。平素客と談ずるに勤王論を持出さざるは無かりき云々」と談話を載せている。

明治三十八年一月二十三日「海軍少佐湯浅竹次郎儀客年五月三日第三回旅順口閉塞に従事し生死不分明の処今般同日を以て戦死せし事分明致し候に付来二十五日青山式場に於いて葬儀を執り行う」との広告が女湯浅初枝兄湯浅松之助、親戚図師助幹、野間口兼雄、友人嘉納治五郎、矢野次郎の連名で新聞に載った。(図師助幹は竹次郎妻栄子の父親)

 

明治三十八年一月二十五日、青山墓地で旅順口閉塞隊戦死者十三名の合併葬儀が行われた。海軍少佐湯浅竹次郎、海軍少佐向菊太郎、海軍少佐白石葭江、海軍機関少監寺島貞太郎、海軍機関少監岩瀬正、海軍機関少監清水雄莬、海軍機関少監矢野研一、海軍大尉糸山貞次、海軍大尉笠原三郎、海軍大尉高橋静、海軍大尉山本親之、海軍大機関士青木好次、海軍中尉山口重造。(山口重造は第五十三号水雷艇副長、三十七年十二月十三日、旅順港戦艦セワスト―ポリ襲撃戦闘中、艇ともに行方不明、大正六年海底に於いて発見される)

 

嘉納師範は、明治三十七年八月に五段を追贈し、三十八年末戦死の確認を待って十二月二日付をもって六段を追贈しその功績を讃え、同年十二月二十八日、講道館において忠魂追悼会を会津人出羽重遠海軍中将も参列して催された。

 

この旅順口作戦の全容については日露戦役三十年を記念して、此の戦役に特に関係ある海軍現役士官七十九名による日露戦役参加者史談会が昭和十年六月に実施され、速記記録は四部作られ極秘文書として全部海軍省に保管された。

 

この日露戦争は機密保持が非常に保たれ「閉塞計画の起源と作戦計画」の起案者についても史談会で述べられている。戦史には有馬大将が常盤副長時代の明治三十六年上旬に起案ことが明記されているが、一説には既に中央にそうゆう考えがあり、作戦の第一計画案、第二計画案をみると、三十六年十一月上旬の第一計画には閉塞の記載がなく、三十七年一月の第ニ計画には、閉塞の記載があるものの、朱で消してある。日付からみると有馬大将の意見が動機とではないかと思うが、其他の色々の事情もあったと思うと述べている。

幕僚や其他の人に頼まず直接伊集院軍令部次長と東郷元帥との間で閉塞について決めたという話も残っており、日露戦三十年経った後でも海軍部内でハッキリしていない事がわかるが、明治三十六年十月、有馬良橘中佐が常盤艦長野元綱明を通じ艦隊司令長官日高壮之丞に商船を沈没させ旅順港口を閉鎖不航行にする具申書がのこされていた。

 

 この伊集院次長とは明治十年、兵学寮生徒として深尾弘と共に英国留学した伊集院五郎です。元帥海軍大将伊集院五郎、海軍中佐廣瀬武夫、海軍少佐湯浅竹次郎の墓碑はいま青山霊園にあります。

(左から元帥海軍大将伊集院五郎、海軍中佐廣瀬武夫、海軍少佐湯浅竹次郎)

  

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2 コメント

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湯浅竹次郎の妻子 (samatsutei)
2019-11-09 00:20:48
湯浅氏の遺児について調べていて(正確には、調べているうちに湯浅竹次郎の遺児であると分かって)こちらの記事が大変参考になりました。
妻子ともに波瀾の人生を送ったようです。
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湯浅竹次郎の妻子 (大佗坊)
2019-11-09 15:03:27
コメント有難うございます。管理人の大佗坊です。
声楽家の娘さんの事は殆ど判りませんでしたが、少しでもお役に立てたのなら嬉しいです。
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