『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

信長から細川藤孝への手紙:07織田信長黒印状 天正二年八月三日

2017-07-17 00:00:00 | 信長から細川藤孝への手紙(永青文庫所蔵)
【注意事項】

1)本記事は、吉川弘文館刊「永青文庫叢書

細川家文書中世編」を参照しています。

2)現代語訳は純野の“意訳”ですので、訳

し間違いがあるかもしれません。

3)カッコ内は、現代語に直した場合意味が

通じない可能性のある部分に純野が追記した

文言です。

4)現代の歴史書物と異なる表記がある場合

はなるべく原文のままとしました。


07織田信長黒印状 天正二年八月三日

<本文>

 折帋(お手紙)拝見した。河内の三ケ城へ

去る晦日敵が軍働きをかけてきて一戦に及び、

(敵の)首を少々討ち取り追い散らしたとの

ことであるがこれはもっともなことであった。

なおもって油断ないよう心掛けられるように

願う。

 一方こちらの方面のことについてだが、端

の一揆勢が立て籠もる場所を攻め崩したとこ

ろ、追い討ちに数多くの首を討ち取ったのだ

が、(伊勢)長嶋一か所に(彼らが)集結し

たため矢詰めの陣(の設営を)申し付けた。

近日落居するであろう。なかでも津田(信澄

=信長の舎弟信行の子)のことについては粗々

承った。(今度)上洛した時に相談させてい

ただきたい。委細は(この書状を携えた)塙

(直政)が申し上げるだろう。恐々謹言。

 天正二年八月三日 信長(黒印)

 長岡兵部太輔(藤孝)殿

 ※天正二年=1574年


**純野のつぶやき**

天正元年(1573年)の前回の書状(十一

月十六日)から今回の書状(天正二年八月三

日)までの信長・藤孝の周辺状況(トピック

ス)を振り返ってみましょう。この期間、信長

公はとても忙しいです。

*天正元年12月 信長の軍は多門城の松永久

 通を攻陥。

*天正二年正月 岐阜城での酒宴が開催され

 他国衆が退出し馬廻りだけになった時、朝

 倉義景・浅井久政・浅井長政の頸に薄濃を

 施したものを肴にした。

*天正二年正月 松永久秀が岐阜へ参上し、

 昨年末子息久通が赦免されたお礼を述べ

 「不動国行」を進上。以前にも「薬研藤四

 郎」を献上したことがあった。

*天正二年正月 越前守護代前波長俊が越前

 の諸侍に追い込まれ自害する。信長は、羽

 柴秀吉・武藤舜秀・丹羽長秀・不破光治・

 不破直光・丸茂長照・丸茂兼利・若狭衆を

 敦賀まで差し向けた。

*天正二年正月~二月 岩村へ進軍し明智城

 を攻囲した武田勝頼に対し、信長・信忠父

 子で出陣したのち岐阜へ帰陣した。

*天正二年三月 信長、正四位下弾正忠から

 従三位参議へ昇進する。

*天正二年三月 信長、東大寺の名香「蘭麝

 待」の切り取りを朝廷に具申し、許しを得

 たうえで先例・作法にのっとり切り取る。

*天正二年四月 大坂(石山本願寺)方が再

 度敵対の意思を表したため、信長軍は作物

 を薙ぎ捨て近辺に放火。

*天正二年五月 賀茂の祭に請われて馬20匹

 を供出し、競馬(くらべうま)をおこなう。

*天正二年六月 信長は上杉謙信に「洛中洛

 外図」(狩野永徳筆)を与える。

*天正二年六月 武田勝頼が高天神城を攻囲

 した旨注進が入り、信長父子は一度は岐阜

 を出陣したが、途中で落城したことが分か

 ったため吉田城で徳川家康を慰労して岐阜

 へ帰陣した。

そして天正二年七月十三日、信長父子は河内

長嶋成敗の為岐阜を出立しましたので、この

手紙は長嶋方面の本陣から藤孝宛てに出した

ものと推定されます。

 なお、文中にある「津田(信澄)の件」という

のは、おそらく明智光秀の女(むすめ)に信澄

を婿入りさせることだと考えられます。信長

から見れば長岡藤孝と明智光秀は上洛戦前

からのチームですから、明智に関する相談も

長岡藤孝経由にしたものと思われます。また

信長の方から「承った」と書いているところ

から見て、長岡・明智側からアプローチのあっ

た話かもしれません。

以上


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