世界の街角

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シリーズ⑥:タノンブトラ・スクール付属博物館

2016-10-27 09:54:25 | 博物館・タイ

<再開>
一時中断していたが、ブリラム・中北部:遺跡・窯址・博物館紀行シリーズを再開する。再開一回目は、先月の9月27日に訪れた、タノンブトラ・スクール付属博物館である。ニックネームのペック氏に直々に案内してもらったが、当日は中国陶磁特集とのことでタイ陶磁は極少なく、多少なりともガッカリした。
多くの中国陶磁および、その陶片が展示されていたが、中国陶磁に興味のない当該ブロガーにとっては、関心があるもののみカメラに収めた。その一部を紹介したい。尚、展示されている陶磁の多くが、アユタヤの河揚りとの説明であった。
キャップシュンには14世紀・福建省とあるが、所謂同安窯系青磁の流れを汲んでいるのであろう。見込みの釉剥ぎは安南陶磁に影響を与えたであろう。その末端をパヤオ陶磁にもみることができる。
そして見込みの釉剥ぎとともに、その中央に印花文を見ることができる。これらの源流はもっと北の景徳鎮・龍泉等々にあろうが、それらの技法を継承し、南へ伝えたであろうと、勝手に想像した次第である。
御存知の元染の陶片で見込みは瓜、カべットは檜扇(ひおうぎ)文で、元染ではよくみる文様である。
キャップションによれば、14-15世紀の龍泉窯とある。中央の小さな盤は、カベットに鎬をもち見込み中央には花卉の劃花文をもつ。これなどはシーサッチャナーライの青磁盤を思わせる。
14-15世紀の江西省贛州(かんしゅう)の七里鎮窯の褐色釉陶磁とのこと。左の胴が無釉で貼花というより、劃花で手の込んだ文様をもつ瓶、更には同様な技法の装飾をもつ中央の盒子。初見である。う~ん中国陶磁も奥が深い。
15世紀、景徳鎮の麒麟文をもつ染付盤である。この手の盤はタイでも北から南まで、多く輸入されたようで、各地で出土している。
時代はやや下り16世紀の景徳鎮藍釉碗である。それなりの発色をしている。以下、明代の染付盤と呉須赤絵の盤を掲げておく。


最後にラオス帰りの謎の壺と、メモ忘れたがシンブリーないしはメナム・ノイの壺を掲載しておく。
ペック氏は当該壺はラオ産と云っていたが、陶片がラオスの窯址より出土しておらず、北タイ産と考えている。しかし、北タイのどこであるか絞り切れていないものの、これについてはサンカンペーンと考えている。但し、断言できるほどの確証はない。
シンブリーないしはメナム・ノイの広口壺で胴中央より下は無釉である。尚、タイ陶磁の特集展示は年明けからとのことであった。行ってみる機会が作れるのか?

                                 <続く>