まさおレポート

ー当ブログへようこそ。広範囲を記事にしていますので左のカテゴリー分類から入ると便利ですー

田中一村の季節 このような世界は田中一村の心の中にしか存在しないのかもしれない

2007年08月30日 14時54分01秒 | 心の回廊
ここ数年今頃の季節になると田中一村の作品を見たくなる。田中一村の作品に初めて接したのはもう5年も前のことになる。家に画集があり何気なく開いてみて心を奪われた。それ以来本物を見たいと念じていたが未だに実現していない。奄美大島の田中一村記念館に行けばよいのだが。私は東南アジアの熱帯ジャングルの雰囲気が大好きだが彼の描く絵は熱帯のもつ噎せかえる熱気とエネルギーに溢れている。そして原色の鮮やかさに陶然とす . . . 本文を読む
コメント

抹茶を飲む 抹茶を喫する 禁断の感覚に接したような経験

2007年08月29日 08時00分04秒 | 日常の風景・ニュース
勤め人の頃毎朝会社で抹茶を飲んでいた。会社に茶筅も時間もあるわけがないから小さめのミネラルウォータを販売機で買いそれに抹茶スプーン1杯を入れる。蓋を絞めてカクテルのようにシェイクするのだ。ボトルの中は泡立ちきれいな抹茶色になる。それを飲んで仕事に取り掛かるのが習慣になっていた。これはかなり上等の抹茶を使っていたが美味いというほどではない。しかし頭がすっきりして気持ちが良くなってくる。軽い多幸感を味 . . . 本文を読む
コメント

更紗展を見て我が家のバティックを再認識 生地が厚くしっかり織られ染め色も深い

2007年08月27日 11時22分51秒 | 旅(世界と日本)
町田市立博物館でインドネシア更紗展を開催している。バリでなじんだバティックが懐かしくて行くことにした。博物館は足の便の悪い所にありバスで15分程度、さらに坂道を10分ほど登った所にあった。展示の品はさすがインドネシア政府の協賛で本物を集めただけあって素晴らしい。いままでバリで主としてお土産用に作られたバティックを見慣れてきたせいもあり本物の重厚さに圧倒される思いだ。生地が厚くしっかり織られ染め色も . . . 本文を読む
コメント

美味しんぼとモロッコのウサギ料理 モロッコ・リッサニで家族が料理するウサギの丸焼きをごちそうになった

2007年08月25日 13時13分41秒 | 旅(世界と日本)
美味しんぼ70巻の第一話「ごほうびの香り」は山岡の奥さん栗田がつわりになりウサギ汁で蘇るというお話だ。彼女は山岡の父海原雄山の個展を手伝うことになるが当日過労で倒れる。 身重の息子嫁を案じた雄山がうさぎ汁をつくり、そのみそ味の香りの素晴らしさで回復するというお話だ。このうさぎを食用にするという習慣があまりない日本でうさぎ汁を出してくるあたりが美味しんぼの面白さだ。 うさぎはヨーロッパではポピュ . . . 本文を読む
コメント

血圧 体重 健康管理 後5kgほど減量

2007年08月24日 20時51分00秒 | 日常の風景・ニュース
以前は130台であった血圧が最近は140台になっている。同時に体重が69kgと過去最高になった。自覚症状はないがこれは拙いのではないか。ちょっぴり気になり調べてみると40代以上の高血圧はほぼ半数だ。これって基準がおかしくないか。40代以上の半数が病気ということになる。それはあまりにもおかしい。まるで医療費をキープするために基準を変えているようだ。以前は160以上が高血圧症といわれていたが近年WHO . . . 本文を読む
コメント

旅館とスリッパ 京都の俵屋や柊屋など超高級旅館ではスリッパはどんなものを提供しているのだろう

2007年08月23日 11時35分31秒 | 旅(世界と日本)
かつて箱根のとある名旅館に宿泊したときにスリッパでがっかりした記憶がある。そこは皇太子もかつてきたことがあるという由緒あるところで料金もそれなりに高い。しかし玄関にはビニールのスリッパがごく当然のように並べられておりそれをはいて部屋まで案内される。靴下をはいているときはまだ我慢が出来る。しかし温泉大浴場にいくと一段高くなった板の間の前には多くのスリッパが並んでいる。はしの方によけておいても湯からで . . . 本文を読む
コメント

「坂の上の雲」と呉 松山 江田島 常盤館は旧松山藩の久松家が建てた寮で坂の下にある

2007年08月22日 06時28分36秒 | 小説・映画・音楽・写真・動画
松山を訪れたことに刺激され20代に読んだ司馬遼太郎の「坂の上の雲」を再読しており一巻目を読み終わった。「坂の上の雲」という題のつけ方についてかねてから気に入っている。眼前に土埃のする坂とその向こうの青空に白雲がぽっかりと浮かんでいる夏の光景が浮かぶ。坂の上にはなにがあるかは下からはみえない。雲の下には未知の新世界が待っているように見える。見えるというより無邪気に信じている。明治の初期に抱いた日本人 . . . 本文を読む
コメント

庭の風景 酔芙蓉 庭の前に広がる町田市有の傾斜面は 整備されサツキが太陽を受け元気そうだ。

2007年08月21日 10時58分36秒 | 日常の風景・ニュース
2週間ぶりに我が家にかえってみると酔芙蓉が著しく伸びている。しかしまだ花は咲いていない。蕾が膨れ上がっているのでまもなく開花だろう。広島ではすでに咲いていたのでやはり東京の方が少し遅れることがわかった。カポックは酔芙蓉の葉の陰で強い日差しを遮られたのが良かったのか元気だ。一方の棕櫚竹は日陰を作ってやらなかったせいか葉が枯れて散々な状態だ。水をたっぷりやったが後の祭りかもしれない。なんとか元気になっ . . . 本文を読む
コメント

木の江温泉 清風館 はるかかなたには四国の今治としまなみハイウェイの橋が

2007年08月20日 09時55分53秒 | 旅(世界と日本)
大崎上島の木の江はのどかな島で道路を走っても行きかう車が殆ど無い。以前は木造船などでそれなりににぎやかで遊郭もあったそうだが今はその面影もない。道路沿いに皇室の行幸碑がたち、甲の字も見えた。やはりこの地はもともと甲(きのえ)と書きその後木の江となったのだろうか。もとの甲のほうが歴史を感じさせるのだがこの種の当て字に変わった地名が多い。清風館は大きな国民宿舎風の温泉旅館でここには海を望んだ塩の露天風 . . . 本文を読む
コメント

陶然 瀬戸内のフェリー旅

2007年08月19日 00時12分41秒 | 旅(世界と日本)
広島県安芸津から大崎上島に向かうフェリーはことのほか快適だった。海面は穏やかの極みで波らしい波が無い。良く見ると縮緬状の縞模様がコバルトブルーの海面を覆っている。 地図上でこの瀬戸内の多島海を眺めると実に多くの島で囲まれた内海を形づくっておりその中をフェリーが渡っていく。これでは大波の立ちようが無いのだろう。これほどの静かな海は世界でもそう多くないのではないか。湖のようだといいたいが琵琶湖などは . . . 本文を読む
コメント

道後と坊ちゃん 子規と秋山兄弟の松山

2007年08月16日 11時37分42秒 | 旅(世界と日本)
呉からフェリーに乗り松山に乗せていただいた。行きは2時間程度だが帰りはフェリーのチケットがとれずしまなみハイウェイ経由での5時間の長時間ドライブとなった。朝9時半に出発して呉到着は11時30分の日帰りだが盛りだくさんの一日となった。 呉からのフェリーは波静かな瀬戸内海をのどかに走る。ときおり巡洋艦らしき船影や鯛釣り舟の集団が見える。力強く立ち上る白雲と静かな海を飽きずに眺めていると誠に気持ちの良 . . . 本文を読む
コメント

お盆の空想 正、負、虚数

2007年08月15日 08時12分04秒 | 日常の風景・ニュース
このところ何故か数学に関係する読書が多い。数学者藤原正彦のエッセイとかフェルマーの定理が証明されるまでの話など。そして今は小川洋子の「博士の愛した数式」を昼寝の前に横になって読み進めている。 母子家庭の親子に対して記憶障害の数学者が数学を優しく教える。そのなかでゼロの偉大さを説明するくだりがある。ゼロはもともと人々の知識としてあったのではなく実に偉大な発見だと説明する。 ゼロが無ければマイナス . . . 本文を読む
コメント

灰ヶ峰の展望

2007年08月14日 00時52分42秒 | 旅(世界と日本)
呉の町から灰ヶ峰に登った。頂上から町並みを望むと呉の歴史が見えてくる気がする。三方を山に囲まれた瀬戸内の入り江と潟に目をつけ明治の中期に日本最大の軍港にしようとした気持ちが理解できる。航空機の発達前には格好の守備地となる地形をしている。 夕闇に浮かび上がる島々はモノトーンで当時と変わらぬ姿を見せてくれる。そのうち日が沈みだし雲の間に隠れるわずかの間黄金と朱を混ぜた色に染まる。豪華な色彩の饗宴を十分 . . . 本文を読む
コメント

アルガンオイルは第2のオリーブオイルたりえるか タルガニン生産共同組合

2007年08月13日 00時53分41秒 | 旅(世界と日本)
モロッコでのアルガンオイル生産地の記憶をよみがえらせた。ウルルン滞在記の放映が今夜行なわれた。相田翔子がビジターでティウトの村を訪れそこでアルガンオイルの生産に従事する婦人と交わるという筋立てだ。 この村は去年の5月に訪れたことがある。周りのアルガンの木には黄色い実がたわわに実り収穫された実から堅い種を取り出しさらにその中から胚を石で和って取り出す。胚は梅干の種の中の仁によく似たものだ。これを焙 . . . 本文を読む
コメント

たたらの里 和鋼博物館

2007年08月09日 00時02分53秒 | 旅(世界と日本)
古代日本の神話に深くかかわっている鉄の製造はどのように行われたのか。ぼんやりとは想像できてもはっきりとは理解していない。その製造の秘密を和鋼博物館で目の当たりに見ることができた。館は米子から車で1時間ほどのところにある。 砂鉄からケラと呼ばれる鉄の塊を得るためには膨大な量の木材が必要だ。そのため鉄製造に携わる人々は次々と新しい森を求めて移動する。広さは畳一畳分で厚みは同じく畳5枚重ねたほどの鉄の . . . 本文を読む
コメント