きょろこ日記

つれづれなるままに、日々の生活のことをつぶやきます

リフレッシュ

2006年10月29日 | Weblog


昨日は息子たちの学芸会。たっくんはすずで「島唄」の演奏を頑張り、「あの青い空のように」「ひょっこりひょうたん島」などの歌を緊張した面持ちで歌っておりました。たけくんは劇で隊員役でしたが、2つだけの台詞を頭から突き出るような高音で大きな声で言ってました。
どの子も一生懸命で、彼らのひたむきな頑張りに拍手です

昨日の午後は叔母と母も誘い「小金湯温泉」にいってきました。硫黄のにおいが温泉らしくって、からだがぽかぽか温まり気持ちよかったあ。山の紅葉もきれいで、とても満足した日帰り温泉でした。

今日は思いっきり寝坊をして、午後からはたっくんと近くの公園に散歩に行きました(たけ君は友達とサッカー)。たっくんは昨日から銀杏をとりに行こうと言い張り、今朝も「手にいっぱいかかえるくらいの銀杏を取る夢を見たんだよ」といっていたので・・・。が、近くの銀杏の木には実は落ちてなくって、公園や先日の事故現場(笑)の遊歩道を歩き、きらきら輝く紅葉した木々を眺めてきました。たけ君は10人くらいでサッカーをして、楽しそうだったわ。

夕方は図書館に行き、私は2階で音楽を聴きながら、30分ほど本を読んできました。

やっぱり人間「ゆとり」が必要です。ゆとりがなくては人に優しくできないし、幸せな気分になることもありません。あー、今日は久しぶりにのんびり好きなことをした1日でハッピー(Sさん風に)。



unisex

2006年10月23日 | Weblog
寒い。

今日、フリースのジャンパー(数年前に800円くらいで買ったもの)を職場に着ていくと、「どこのお兄さんかと思った」といわれ、悔しかったわ

これからはオードリーヘップバーンを見習って、ジバンシーは無理でもジバンシーもどきのシンプルでかわいらしいデザインの服を着たいな。ユニセックスの服はやめたほうがいいのかなあ。うーん。

なんだか今週も忙しくなりそうです。仕事と家の事をするだけの毎日は悲しいので、眠いけれど何かしようっと。こうちゃんの弁当は毎日「なんちゃって弁当」で手抜きしてます。「なんちゃって弁当」とは、こうちゃんが名づけたもので、一見奥さんの手料理弁当のようで、実は晩御飯の残り物が少しとスーパーのお惣菜を2、3種類詰め込んだだけの弁当を言います。
主婦としても、女としても赤点だと自覚してます。が、こうちゃんと子供たちは決して文句を言わない、優しい男たちです。

青空のむこう

2006年10月18日 | Weblog
じいちゃんが逝ってしまった。

でも、まだ向こうには行ってない。静かにねているだけ。
青空の向こうはきっと遠いから。

もうすぐ、ばあちゃんに会えるよ。5年ぶりの再会?

悲しみに打ちひしがれるわけでもなく、時折、親戚の叔父たちの冗談に笑ってしまい、つまみもボリボリ食べてしまう自分がいる。
わたしはいる!
でも、じいちゃんはいない。
そばにいるのに、そばにはいない。ここにいても、ここにいない。

「また明日、またね」  
そう、私には明日があるけど、じいちゃんだけ明日がない。
でも、やっぱり「またね」と挨拶したい。ね。







もう こんな時間

2006年10月17日 | Weblog
仕事の予定を考えていたら、もう夜中の1時過ぎ。あれまあ。というのも、NHKのテレビをつけたら、筋ジス患者である若い画家のドキュメンタリーを放映していて、手が止まってしまったからなのです。河合正嗣さんの静かでありながらも生と死に強く真正面で向き合い、感性豊かに真摯に生きている姿に感動しました。河合さんのお母さんも素晴らしいかたです。

先日、ある80代の女性がお風呂で話してくれたこと。                                               「仕事をして仕事(新しい仕事)を覚えていくんだよ、と母親に教わって、そのときは何言ってるんだろう、とわからなかったけれど、後になって(自分ができるようになって初めて)わかったときに「ああ、年長者のことはちゃんと聞かないといけないんだな」って思いましたよ」                                                                                人生の先輩の言葉は深いです。

どちらでもいい

2006年10月15日 | Weblog


今日はたっくんの市内絵画展授賞式に家族で行ってきました。彼の絵は学校で描いた「ゆめいっぱい」というテーマで描いた絵で「サッカーで活躍する夢」をのびのびと元気に描いていました。色の塗り方が適当でかなり雑だったし、佳作に選ばれるほどの絵でもなかったけれど、まあ、息子の晴れ舞台はいいものです。

帰りに図書館により、久しぶりに小説を借りました。アゴタ・クリストフの「どちらでもいい」という短編小説集で先月刊行されたばかりの新しい本。「悪童日記」3部作ほどの衝撃は期待せずに彼女のモノトーンの世界にはまってみようと思います。本を読む時間もないといいながら、最近は寝てばかりいたので、秋の夜長にたまには読書しようっと。

じいちゃんのお見舞いに行きました。酸素マスクをし、声も出ず、つらそうでしたが、「頑張ってね」と声をかけると静かにうなずき目で答えてくれました。じいちゃん、がんばって!

サティの「ジムノペディ 第1番」を練習し、だいぶん弾けるようになりました。うれしい

他の曲も弾いてみたいけど、楽譜見ただけで挫折

なまけもの

2006年10月08日 | Weblog
風強し 時折

今日は1ヶ月半ぶりに美容室に行ってきました。家で使っている安いシャンプーと違い、シャンプーとトリートメントの香りが心地よくぼーっと気持ちのいい時間をすごしました。

蓮池薫さんは、朝4時半に起床し、3時間くらい翻訳の仕事をした後、仕事に行き、帰ってからは大学の勉強をしているらしいです。すごいなあ。まねしようと思っても、私は早起きは全然だめだし、手抜きとはいえ一応家事もしてるし、疲れるとすぐ寝てしまうし、本を読んだりする時間がもてなーい。ぶつぶつと愚痴を連ねながら、結局「カロリーソルティードック」を飲みました。

やっぱり私はなまけもの

THE PIANO

2006年10月07日 | Weblog
 6日は十五夜 中秋の名月でしたが、残念ながら曇り空でお月様は見えず。

昨晩の夢。内容はまったく覚えてないけれど、夢の中で、ジェーン・カンピオン監督「ピアノレッスン」の音楽がずーっと繰り返し流れていました。数日前に聴いていたためでしょうか・・・?この映画も、なんとも重い映画なのですが、好きな映画のひとつ。マイケル・ナイマンのピアノの旋律が美しく、たけくんが私のおなかにいた時によく聴いていました。

村治佳織さんが「誰でもピカソ」にでていたのに気づいたのが遅く、チラッとしかみれなかった。寺井尚子さんが後天的・環境的要因による美人というなら、村治さんは先天的、遺伝的要因による美人ですね・・・どうでもいいことですが。

すこーんと忘れたいとき

2006年10月05日 | Weblog
秋晴れ

最近よく仕事の夢を見る。家に帰ってからも、けっこう仕事に関係することや職場のことを考える。先日の講演で、介護の仕事をしていく上で必要なことは理念と行動力だときいたが、私はまだまだ行動力がないと時折落ち込む。今日も車の中で具体的な行動をしていくようにと上司にいわれたが、どうしていけばいいのか、どういうアクションを起こせという意味なのかとあれこれ考えてしまう。

今日は気持ちを切り替えたくて、ビールを少し飲みました。

メイ・サートンの詩がすばらしい(落合恵子さんに感謝)

「新しい地形」

老年とは
未知の世界の探訪
そう考えれば
なんとか受け入れられる
挫折感は道づれ
くよくよしてはいられない
笑うことは命綱
めがねを冷蔵庫で見つけられるのも一興なら
椅子から立つために
意志の力をふりしぼるのも
階段を昇るなら
まず深呼吸をして
エヴェレスト登山の覚悟を決めるのも。
とはいえ
とっておきの愉しみもある
微動だにせずに半時間
わたしはひっそりと
座り続けていられる
まるで植物になったみたいに
刻々と
うつろう光を追いながら。
一日一日が旅だから
家は私の奥の細道
上り下りの坂があり
遠回りする小道もある
夕食のテーブルはおごそかに
儀式のようにしつらえて
花には水を欠かさない
ひとつひとつが大事なつとめ
わたしの心の砂時計で
きちんと測ってあるとおり

そうしてからだを横たえれば
ひたひたとよせる追憶が
私の時間をみたしてゆく。
八十年の生涯を
どんなにたっぷり生きてきたか
思えばめまいをおぼえるほど
追憶はあまさず心に生きている
変化してやまない大海原
その満ちる潮 また引く潮。

二ネット・ド・ヴァロアが
詩に詠んだことばが いまわかる
「いのちは生きるだけじゃない
感じることです より深く」
詩人はこのとき九十四歳。

この旅では
これまでとちがい
わたしは 地形を学んでいる
魅力はある でも
なんとも 奇妙きわまる。


ambulance

2006年10月04日 | Weblog


月曜日、たっくんが自転車で怪我をして、学校の先生の連絡(判断)で救急車で搬送されました。道路で血を流して横たわっていたたっくんをみた時は、動揺してしまいました搬送中、病院近くになってから、たっくんが「あ、(腕が)あんまり痛くない、動く」といったときは、大袈裟に痛みを訴えていたのかと、一瞬あせりましたが、病院で調べてもらうと、やはり肩が骨折しているとのこと夜8時過ぎから、顔の傷をぬう手術と肩の骨折の手術(どんな手術だったのかは詳しく聞かなかったのでよくわからない)をしました。次の日、朝早くに病院にいき、たっくんの様子を見てひと安心。お昼前に退院できてよかった、よかった
たっくんは保険に入っていなかったので、6万近くの病院代がかかってしまいました。仕方ないけど・・。こども共済くらい入っておけばよかったと、ちょっと後悔。

昨日、今日と私も仕事を休み、たっくんと家にいました。
たっくんに将棋の相手をさせられ、小学2年生相手に2敗し、勝ち残り頭脳大作戦ゲームでも負けました。くやしい。
たっくんが肩を固定するためのベルトをつけ、前かがみで歩く様子をみて、「リリパットじいさん」と思わず笑ってしまう私は、ひどい母?

autumn or fall

2006年10月02日 | Weblog
1日 秋晴れの暖かな日でした。

休日にしては珍しく早起きをして(とはいっても8時ごろ)古紙回収車が回って来る前に玄関口に新聞や空き缶・・を置きにいったのでした。
昼前にたっくんと自転車で図書館に行き、メイ・サートン、長田弘、茨木のり子の詩集を借りてきました。

午後からは買い物に行き、当たりもしないのに「オータムジャンボ」を買ってしまいました。こうちゃんにはつかの間であっても夢を見させてあげなくっちゃ。

「トリコロール 青の愛」はとても重たい映画なので結局こうちゃんは映画も見ないでさっさと寝てしまい、一人で、ジュリエット・ビノシュの繊細で、凛とした美しさにどぎまぎしながらみてしまいました。

「汲む」 茨木 のり子 (落合恵子さんが講演で紹介していた詩です)

大人になるというのは
すれっからしになることだと
思い込んでいた少女の頃
立居振舞の美しい
発音の正確な
素敵なな女の人と会いました
そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました

初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても
隠せなくなった人を何人も見ました

私はどきんとし
そして深く悟りました

大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子供の悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外に向かってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと・・・・・・・
わたくしもかつてのあの人と同じくらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです