☆ペコの月面宙返り☆

音楽と日々の日常を。
朽ち果てるよりも燃え尽きた方がいい。
渇いた現実に打ち鳴らすは諸行無常の響きかな。。。

なぜ、考えるのか。【前編】

2013年02月13日 06時47分05秒 | 諸行無常の響きかな
人がAVを見る理由は恐らく二つ。

一つは自身の性体験の反芻及び、高次元、異なるシチュエーションでの再生を見る事。
もう一つは自身の性体験及び自身のこれからの人生、今までの人生で経験しなかった、
あるいは将来に実現しないであろうシチュエーションでの性行為。

僕は後者だ。AVに人は夢を見る。

厄介なのは、前者的なAV嗜好であって。
性的な関心、興味は生涯尽きず、探求すれば果てなし。
新しい味、新しい服を試すのと似たような欲求を憶えるだろうからだ。

しかし、性的な探求、関心を求め続ける事は能わず、
必ず何かの関係性が崩壊するものである。自己体験し、
反芻しているだけにタチが悪い。

タチが悪いと書きつつも激しく勃起し、口説く為に出費惜しまず全てを壊しかねない。
男女平等というが、おごりとは怖い言葉であると思う。
対価を求めない人はいないと思うからだ。

もちろん、女性にしても男性にしてもおごられたならば、
覚悟するべき事態は次にあるべきであり、ありえなければならない。

真の男女平等を謳うのであれば、関係を持ちたくない場合には、
その場を共有したお代として二人して割り勘にするべきだ。
タダほど怖いものはない。なぜ、おごられて平気なのか。
おごられて身の危険を感じないのか。はたまたそれこそマナーと言うのか。
ならば、男女平等とは何をや言わん。

そして、男女で過ごす時間の意味とは何であるのか。
男女でいる意味とは何なのか。ヘテロであるか、ホモであるか、
どうして人は自分に絶対の自信を持ちうるのだろう。
我々ヘテロセクシュアルを自負する者の根拠とは何であるか。
男女平等とは何であるか。
我々は考えなければならない。

真の男女平等を目指すのであらば、おごり、等という意識は捨てねばならぬ。
ただ、おごる=寝る。ではない。しかし、ある程度の対価を払わせている行為であり、
対価を求められた際に切り返す言葉はあるのか。
覚悟の上でおごられるのか、おごられないのか。
それは大いに違ってくると思うのだ。

簡単におごられてはいけない。
それは今後の人生を左右するかもしれないし、今のあなたを脅かす行動かもしれないのだから。
男女平等と叫びながらも、男女平等と理想をかかげながらも、収入の少しの差であれ、
我は女性であるからおごりで当然。
そう思うのは違うと思う。

そして、いくらか幾度か数回か、おごりにおごるにつれて男性側が、
果ては女性側が抱え出す内部不満の恐ろしさを忘れてはいけない。
タダ飯、タダ飲み、最高だろう。いい身分だろう。

ではタガおごられた。タガお金を出した。タガ何をした、タガ何を思う。
その怖さ、少しは想像した方がいいかもしれない。