☆ペコの月面宙返り☆

音楽と日々の日常を。
朽ち果てるよりも燃え尽きた方がいい。
渇いた現実に打ち鳴らすは諸行無常の響きかな。。。

3/25 早稲田大学卒業式に寄せて

2010年03月25日 05時43分52秒 | 諸行無常の響きかな
今年早いww
tk、三月はえぇwwwwwwww
もう終わるじゃないかwwwwww

\(^o^)/

さて、表題のお話。

毎年3/25は母校の卒業式でございまして。
一週間後は入学式で、新たな校友を迎えるわけです。

あいにく、新宿区は雨ですけど。
(僕が卒業した年と去年以外は雨な気がする)

ご卒業される皆様、
ご卒業おめでとうございます。

ご入学予定の皆様、
ご入学おめでとうございます。

今後の人生が素晴らしきものになりますように。


と、毎年これを書いているので、今年は書かない!
とか出来ないんだwwww

さすがに、先輩や同期はもういません!はずですが、
後輩とかで何かしら絡んだ人はいるかもですね。
ご卒業、おめでとうございます。


都の西北 早稲田の森に
聳ゆる甍は われらが母校
われらが日ごろの 抱負を知るや
進取の精神 学の独立
現世を忘れぬ 久遠の理想
かがやくわれらが 行手を見よや
わせだ わせだ わせだ わせだ
わせだ わせだ わせだ


既に、卒業されてる校友の皆様も、この日と4/1だけは
少し大隈講堂に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

入学したあの日や、卒業したあの日を思い出します。
同期のみんな、元気ですか?
僕は少し勃起不全です。

雨とか勘弁してあげてよね、まじでwwww
女の子で袴を予約している人とか、第一発目の式だと
(うちは三回に式が分かれてます)9時からだっけ?
なので、六時とかに着付けに行くわけですよね。

それが雨とかwwwwwwwwwww
オウフwwwwwwwwwww
ちょっとは晴れてあげてよね!(´;ω;`)ブワワッ



なんだか、懐かしい気持ちでいっぱいです。
少しセンチメンタルになります。

春は出会いと別れの季節、と言いますが
特に意識はしてなかったです。

でも、この日が来ると、ちょっと感慨深いです。
不安な気持ちで大学に入って、出会った人の事や。
あの日を境に全国に散ったみんなを思い返します。
そうすると、少し切なくなる。

僕はいつまで、ここにいるんだろう?
前に進んでるんだろうか?

何がしたかったのかな?
何か出来てるんだろうか?

あまりに、みんなが立派過ぎて、
僕はとても恥ずかしくなってしまう。
自分だけ、どこにも動かずに
時計の針を止めたままに。

そんな事が許されるわけがないのだけど、
許されるのであれば、ずっとここにいたい。

そんな大学なのだと思います。
熱かった日々を僕たちは過ぎ行くのだけども、
いつか思い出せば、心はきっと奮い立って
熱弁も戻ってくるんじゃないかと思います。

みんな違うベクトルに進んだとしても、
熱い気持ちは永遠に変わらないと思ってる。

だから、春は何も思い出さないけど、
卒業式と入学式は切なくなるよ。

すごく青臭くて、自分でも恥ずかしくなるくらいに
いちいち僕たち青かったんだと思います。

永遠に人間が完成するなんて事は無いのですが、
少しは完成に近づいていけるといいなと思います。

あの日の情熱と、決意と、意志と。
そして、何よりもの仲間がいる事で、
今の自分はきっと、いるんだと思います。

2010年、元旦。
まだ寒い午前五時前。
大隈講堂へ歩き出した自分がいました。

よくわからないんだけど、今年はここで、
大隈講堂から初日の出を見るのだ!と
そんな決め事のような想いに駆られていました。

動かされる想いや、一瞬を捉える気持ちは
いつもいつも、自分の中から飛び出てくるんだと思う。

だけど、年齢を重ねるたびに、傷つくたびに、
素直な心を出せなくなっていく。

飛び込む事が怖くなる。
変っていく事に溶け込めなくなる。

飛び出して、駆け出して、
何もかも預けたいのに、

全てをもって預けてしまいたい、とさえも思うのに

色んなしがらみを抱えて、動き出せなくなる。
そして、変化を恐れて、動かなくなる。

心は、どんどんどんどん閉じていって、
感性は、少しずつ消えていくのだと思う。

すごく僕に向けて書いているようで、
僕に向けて書いている形をとっている。

けれど、実は全く僕については書いてないんじゃないか。
そんなよくわからない気持ちで書いているのだけど、
これはこれでいいのだと思う。

飛び出した瞬間に、全ては他者に委ねられるのだ。
受け止めた瞬間に、きっとそれは自身になるのだ。

そんな事も思います。
うまく書ききる事は出来ないけども。
そして、「卒業おめでとう。」ここから派生した意識が、
こんなに長文になってるのに驚くんだけど。

卒業式って、事で春を初めて意識したのだ。
でもって、春が持つものを意識しだしたのだと思う。
桜が満開になるまでもう少し。
自分の心の花弁の様子も見ないといけないとも思う。

ものすごく、感情的に豊かになれるのが、
この国で言うと、三月から六月末くらいまでだと思っていて。
そんな時期の体験や談話はきっと、面白いと思う。

何を思うのも自由なんだけど、
自由なところがまた面白いと思う。

元旦の僕は何を思っていたんだろう。

きっと、
三ヵ月後の大隈講堂にいた十年前の自分を
思っていたんじゃないかと思う。

三ヵ月後の入学式に、見る光景。
それを見ていた自分。
いま、元旦にここにいる自分。

そんな事が色々とつながり始めて、
リンクしだして、僕は大隈講堂に向かったと思う。

全てが始まった場所で、
全てをもう一度見返すために。

僕を奪い去っていくくらい強烈に、
僕を塗り替えてしまうくらいに強大に。
著しい変化の波が来ているのだと思う。
そして、それは春先に来るのだと思う。

飲み込まれていくような気持ちと、
渦に巻かれる様を楽しむ気持ちと、
水温を確かめているような自分と、
遠くから見ている自分がいるような。

とても、大きな気持ちの動き。
激しく揺さぶられて、魂をつかまれるような感覚。

突き動かされる思い。
衝動的な何か。

自分や、自分の周りでは常々、起こっているんじゃないだろうか。
もしかしたら、今も既に起こっているのかもしれない。

素直な気持ちに従えば、きっと見えるような。
見つかってくるような、そんな気がしています。

感情って、怒涛のように溢れ出して然るべきだと思う。
感情の堰を設けてしまっているとしたなら、
その堰はとめどない感情の力で持って破壊されないといけない。

自分に対しての感情を、僕達は
微塵も押し殺してはならないのだと思う。

無意識に感情を撲滅していたとしたら、
その事がまずは、一番の失敗だと思う。

感じることは無限に出来ると思うし、
感じるために全ての事はあると思う。

だけど、感じるためには閉じてちゃ駄目なんだよ、って。
閉じてたら何にも気づけないんだよ、って。

閉じてたら永遠に平和なままでいられるかもしれないけど、
永遠に何も変わらないままで退化しかないんだよ、って思う。

じゃあ、どうしようか?どうしたらいいのだろうか?
何が正しいのだろうか?きっと、何が正しいとか無いと思う。
それでも、こうして書いてきた中で感じた事を一つ。



何だって受け入れるし、何がどう変化しても驚かない。
全てを、受け入れる。全てを受け入れて、認める。
あなたが変わっていくその全てを、私は受け入れる。
私はあなたを認め、受け入れ、あなたを見守る。

そして、あなたを守る。
あなたを愛し続ける。











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なかなか、難しいですね。
もし次回に何か書くとしたら、ある時ひらめいた言葉。
とても素敵だと思う言葉なのだけど、その事について。
うまく書けないかもしれないけど、書いてみようと思います。

今日、ご卒業の皆様、おめでとうございます。

身近な虹はシャボン玉

2010年03月15日 08時14分57秒 | 諸行無常の響きかな
「天まで届くシャボン玉はどうやったら出来るんだろう?」

きっと、強く吹いたなら割れちゃって
弱く吹いたら小さく連鎖してしまう

高い空に向かって吹き出す時
自分で虹を作る瞬間に

吹き出す息や気持ちの強さは
どのくらいが適切なんだろう?

風が流れて
止むのを待って

浸し過ぎてもうまくはいかず
少しだけだと空気しか出なくて

いつも戸惑ってしまうんだ

どれだけ知ればいいのかな
どれだけ伝えたらいいんだろう

息の強さや息を吹き出す長さ
シャボンにはどのくらい浸せばいい?

うまくやってみせる
綺麗に何個も作る
そんな事をしたいんじゃないんだよ

伝えたい気持ちが溢れるばかりに
割れて飛ばないシャボン玉

全部を伝えたくて小さく吹くから
小粒で小さくなっちゃうシャボン玉

虹ってなんだろう?

もしも、七色の魔法なら
今は魔法を使える時間

シャボンは限られていても
今の間は想いを伝えられるんだ

どんな不器用な形でも
なんともうまくいかなくても

それら全ては気持ちが描く虹で
七色以上を伝えたい

おはよう
おやすみ
行ってらっしゃい
頑張れ
ただいま
おかえり
ありがとう
またね
今度はさ

ポツポツと小さいシャボン玉は
なんだか綺麗だけど、すぐに消えてしまう

じゃあ、大きいのを作ろうか
少し待っててね

思いっきり息を吸い込んで
長く、永く息を吹き出してみる

大きくてフワフワしたシャボン玉は
自分達の姿さえ映す大きさで飛ぶけれど

フワリフワリと揺らめくシャボン玉は
二人の未来が揺らぐって事なのかな?

そんなの消しちゃえー!って思う
揺れてるシャボン玉は二人も歪んで映るから

ちょっと待って、動かないで
わかった、動かない

今度はやってみるよ
わかった、やってみて

だけど、天に届くってどのくらいの大きさなんだろう?

見上げた空に飛んでいって
消えるところがわからない高さ

動いちゃ駄目だ
待ってて、動かないで

そんなもどかしさを続けたうちに
きっと、気づかないところで

いくつかのうちの一つのシャボン玉は
見えないところで空高く飛んでるのかも知れない

二人を大きくも小さくも映しながら揺らめいて
どことなく飛び立って消えていってしまうから

二人の姿がいくつにも重なって
大きく一つの塊になって飛んでいく

いつか消えちゃうのかな?
いつか見えなくなるのかな?

パッと消える瞬間が怖い
何かが終わった気がするから

パッと消える瞬間が怖い
きっと伝えすぎたから

パッと消える瞬間が好きだよ
飛んでいく姿が綺麗だったから

パッと消える瞬間が好きだよ
どこまでも行けそうな気がしたから


「天まで届くシャボン玉はどうやったら出来るんだろう?」


伝えたくて、届けたくて
言葉が多くなってしまう

膨らんだよ、そのままだよ
うまく言えなくなる

どうしたらいいのかな?
でも、どっちもきっと正解だよね

吸い込んだ気持ちは惜しげなく伝えたくて
小さく、小さく、言葉を繋ぐよ

内に秘めてる大きな想いは膨らんでいくから
もっと、もっと、大きくしてみせるよ

大切な今をきっと伝えたい
感じる全てを届けたいよ

大事に、大事に大きくしてる
その想いは必ず届ける

なんだ、両方あってもいいんじゃないか
そう言えば、同じシャボン玉だよね?

今を伝え過ぎるて、くだらなくなってもいい
秘めた想いがわかんなくて、伝わらなくて困ってもいい

きっと、そこには二人があって
それぞれが、それぞれを感じてる

動かないでね
動かないよ

もっと吹いてね
大きく膨らますよ

なんか、小さくなってない?
いやいや、大きく作ってるでしょ?

「天まで届くシャボン玉はどうやったら出来るんだろう?」

どうしたらいいかな?
どうするって、何を?

え、シャボン玉だけど?
シャボン玉は出来てるよ

小さく連なるシャボン玉も
大きく揺らめくシャボン玉も

シャボン玉はシャボン玉でしかないし
シャボン玉なら沢山空に舞ってるよ

そもそも、何をするんだっけ?
シャボン玉を作るんだよ

なら、いっぱい作ったよ
そう、大小様々なシャボン玉を

空まで飛ぶかな?
あそこで消えたね


でも、


だけど、一つは
どんどん空に向かってるよ

本当だね
どうして消えないのかな?

これが、虹なのかな?
虹って、シャボン玉じゃ出来ないよね?

でも、虹色だ
うん、虹色だ

一つのシャボン玉が残って
あなたの息吹と私の息吹

混ざり合ってわからなくなる
途中で混ざって合体したのかも

垣根を越えて、フェンスを越えて
屋根を越えて、丘まで越えて

見えるわけがないでしょ?
いや、見えるよ

そういえば、見えるかも
きっと、あれがそうかもね

どうしてかな?
どうしてあのシャボン玉なんだろう?

シャボン玉を今作ってるのは
きっと二人だけだと思うから

なら、そうだ
あのシャボン玉こそシャボン玉


「天まで届くシャボン玉はどうやったら出来るんだろう?」


伝えたいよ、届けたいよ
受け取ってるよ、気付いてるよ

もっと伝えたいよ
もっと大きくする

ずっと、ずっと飛び続ける
もっと、もっと大きくなる

越えて、越えて飛び続ける
高く、高く昇っていく

そんなシャボン玉
割れないシャボン玉

ずっと続くシャボン玉
大きく膨らむシャボン玉


身近な虹はシャボン玉










                      

別に困っていないが、こんな時は。

2010年03月15日 06時43分36秒 | 諸行無常の響きかな

お金は使えないし
見たい映画は大体見た
借りずに帰ってきたくらい

早く寝るにはもったいないけれど
お酒を飲むのもまた虚しい

飲んでると何か聴きたくなるし
何か見てたくなる

何より話し相手のいないお酒はあまりおいしくない
それでも時々は飲むけれど

幸いなのは本があるって事
そして読書はかなりの趣味って事

沢山を読めないし
同時進行で読めないから
今まで読んだ数は知れている
読み切れてない本が

村上春樹の短編二冊
桜井亜美の文庫が一つ
奔馬

奔馬はともかく、
村上の短編と桜井亜美だ
村上春樹の世界の終わりとハードボイルドワンダーランドもある

通学で読む習慣があった生活から15年以上離れている
これは困った事です

思えばあの時間って貴重だったような
椅子があって空調があって
耳には音楽があった

今は音楽か本か
ながら作業は苦手になりつつある

いや、これもまたゆとりなのかも知れないけど
寝るのにはもったいない時間があるけど
なんか読書や音楽への時間がうまくとれてないような

行きつけのバーやカフェを作るのもいいが
本を読むのは部屋がよかったりする

音楽も聴きながら色々考えたいものです

そう考えだすと
ながら作業的に読んだり
聞いたりしていた時代

まさに大量消費のカラオケ音楽が耳にはあったな、と思う

そんななかで今も現役なのはB'zにミスチルにスピッツくらいか
これはかなりすごい事です

流通が変わってうんぬんとか言わないけど
キンドルやアイパッドがなんだかわからんけど

本は
特に小説は
然るべくして読まないといかん
ただ読むのではなくて、
対峙して読む
時を忘れて読む

それが正しいのかな
とか、考える

今夜あたりからガンガン読書しようかと
そして色々と頑張ってる人を知っているから、
その人がやってるくらいは自分もやらないと

そんな気持ちになります

ああ、暇だな
いやいや、そうじゃなくて
なかなかことかけて時間を使えてなかったんじゃないの?
時間はうまく使わないと
それは言い訳ですよ

みたいに思うわけです


しなきゃいけない事なんて本当はあまりない
誰かに強いられる事なんてのも本当はあまりない


何か物足りない気がしたり
やりきれてない感じがするのって

きっと自分に甘くなってたり、
自分に満足してないだけなんだと思う

周りや世界がいくら変わっても
自分は一人しかいないし
自分に代わりなんていない

周りや世界が変わったら自分も変わるなんてありえない

だけど、自分が変わればなんだって違って見える
見えてくるんじゃないかな?
そして、変えれると思う
願いは叶わないかもしれない
だけど、確実に何かが変わる

それは確かな事です。



携帯から書くのは疲れますな。

とりあえず言いたいのは

今日のあなたも
昨日のあなたも
間違いなくオーケー

間違いない
間違いなく大丈夫だよ
大丈夫なんだぜ

さあ、これからどうしよう?
明日は何をしようか?


そんな事を、僕は思う。
きっとまだ僕は出来てない。