ことばと学びと学校図書館etc.をめぐる足立正治の気まぐれなブログ

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放射能「安全」報道を読み解くためのテキスト(影浦峡さんの著書をめぐって)

2011年11月20日 | 「学び」を考える

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  行きつけのスーパーマーケットで産地を特定しない国産牛が「放射線検査済み」というラベルをつけて売られている。「国の暫定基準内に収まっているので、安心して買ってください」というメッセージなのだろうが、あまりにもおおざっぱだ。それでも私はその牛肉を買い求める。国の基準が安全だと信じているわけではないが、子どもたちの被曝を避け、一次産業に従事する人たちの生活を守ることに少しでも役立つのなら、ある程度の放射線が検出された食品でも進んで引き受けてもいいと思っている。東京には放射線量を表示し、国の暫定基準とチェルノブイリの基準を併記している店があると聞く。同じものでも、そのほうが、もっと「安心」して買うことができる。それでも、測定機器や測定技術の精度によって低い放射線量を検出できなかったり、不正な表示はないと信頼している店でも、なんらかの原因で正しい数値が表記されないことがあるだろう。万全を期しても間違いは起こりうる。放射線にかぎらず、私たちは、そういう不確実な世界に生きている。そんな世の中に暮らす私たちが、ともに生存できる確率を少しでも高める意思決定をするには、何をよりどころにすればよいのだろうか? 

 

戦前の反省をふまえた戦後の教育で私たちは、抽象的なことばや記号に惑わされずに、できるだけ具体的な事実に即してものごとを考えることを教えられた。直接的に事実に触れることができない場合には、なんらかの形で報告されたもの(ことば、記号、数値、映像など)をもとに判断するほかない。だが、事実を伝えることばや記号が事実を正しく伝えているとはかぎらないし、同じ事実でも立場や観点が異なれば、語る言葉もそれから受ける印象も違ったものになる。ウッカリ(無意識)にせよチャッカリ(意図的)にせよ、語られるべき事実がもれおちていたり、問題の焦点がずれていたり、さまざまなレトリックによって事実が歪んだり、ぼやけて見えることもある。報道や広告など、さまざまな言説を読み解いて適切な意思決定につなげるには、まず「事実」「事実の報告」「推論」「判断(意見)」を混同しないように頭の中を整理しておくことが大切だ。その際、抽象的な概念や専門的な知識は、類似の構造(関係性)をもつ具体的な事例に置き換えると理解しやすくなる。数学教育においても、「集合」や「量」から学ぶと数の概念を具体的に把握しやすいことに着目して「水道方式」を開発した遠山啓は、「抽象的構造はそれと同型な具体的な実例による表現によってはじめて生き生きと捉えられ,そしてその真の意味が了解されることが多い」と述べている(『代数的構造[新版]』p102、日本評論社、1998)。

3.11後の放射能「安全」報道を読み解く―社会情報リテラシー実践講座』(影浦峡著、現代企画室、2011)は、そんな認識の基本にのっとって、緻密な議論を展開している。

3.11後の放射能「安全」報道を読み解く: 社会情報リテラシー実践講座
クリエーター情報なし
現代企画室

本書は、まず、次のような枠組みを設定して新聞報道に現れるさまざまな数値や基準のもつ意味を読み解いていく。
・誰にとっても変わらない事実や状況の記述
・「専門家」による「科学的」な知見や見解
・社会的に合意されたり議論される見解
・状況や対象、行為に関する個人の判断や見解
・個人の心理的な状態

そのうえで、新聞報道における安心・安全の語りを具体的に読み解いてみせる。たとえば、520日の毎日新聞に次の記事が掲載された。

100ミリシーベルト以上の被ばく量になると、発がんのリスクが上がり始めます。といっても、100ミリシーベルトを被ばくしても、がんの危険性は0.5%高くなるだけです。そもそも、日本は世界一のがん大国です。2人に1人が、がんになります。つまり、もともとある50%の危険性が、100ミリシーベルトの被ばくによって、50.5%になるということです。たばこを吸う方が、よほど危険といえます。」(p. 81)

これを読んで、まず「100ミリシーベルトを被ばくしても、がんの危険性は0.5%高くなるだけです」という部分を「ある学校に、200人の生徒がいたとして、生徒全員が100ミリシーベルト被曝すると、生徒のうち1人は、それが理由で癌になる」と言い換えてみる。さらに、「ある学校の生徒200人につき1人を、無作為に選んで命を奪うという強迫があった」、あるいは「東京都の人口約1,300万人の全員が100ミリシーベルト被曝したとすると、65,000人が、それが理由で癌になる」と言い換えてみたら、この状況を「安全」と判断できるだろうか? そして、50%が50.5%に増えるだけなら「安心」で、「たばこを吸う方が、よほど危険」といえるだろうか? 

本書では触れていないが、そもそも、喫煙と放射能汚染のリスクを「がんで死ぬ確率」という要素だけで比較するのはあまりにも単純すぎるのではないだろうか? ちなみに、1113日にEテレで放映された「白熱教室JAPAN」第3回「想定外!?原発のリスクを考える」では、リスク評価に複合的にかかわる多様な要素を検討していて。きわめて示唆に富む番組だった。

学校の先生方には、本書を手がかりにして、ぜひ小中高生向きの教材や授業を開発していただきたいと思う。放射能にかぎらず、さまざまな報道を読み解く指導に役立てることができるのではないだろうか。

 

1029日、立教大学の公開連続講座「情報を評価し、判断する力いかに育むか」の第2回目の講師として著者の影浦峡さんをお招きして「メディアとメディアリテラシー論者と図書館:3.11後の放射能「安全」報道をめぐって」というタイトルで講演をしていただいた。

(お詫び。この後、私がその講演についていけず、論点を把握できなかった旨を記載していたのですが、それは、ひとえに私自身の集中力と基本的な知力の不足を恥じる思いで書いたものでした。しかし、あらためて読み直してみると、その意図が伝わらないばかりか、講演者に対して礼を失した内容でした。つきましては、企画に関わった自らの責任や読者に与える影響などへの配慮を欠いていたために講演者にご迷惑をおかけしたことを謝罪するとともに、この部分を掲載しておくことは誤ったメッセージを伝え続けることになると判断し、割愛させていただきます)

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HERE COMES EVERYBODY (HCE From Finnegans Wake by James Joyce)

いま、ここに生きているあなたと私は、これまでに生きたすべての人、いま生きているすべての人、これまでに起きたすべての事象、いま起きているすべての事象とつながっていることを忘れずにいたいと思います。そんな私が気まぐれに書き綴ったメッセージをお読みくださって、何かを感じたり、考えたり、行動してみようと思われたら、コメントを書いてくださるか、個人的にメッセージを送ってくだされば嬉しいです。

正気に生きる知恵

すべてがつながり、複雑に絡み合った世界(環境)にあって、できるだけ混乱を避け、問題状況を適切に打開し、思考の袋小路に迷い込まずに正気で生きていくためには、問題の背景や文脈に目を向け、新たな情報を取り入れながら、結果が及ぼす影響にも想像力を働かせて、考え、行動することが大切です。そのために私は、世界(環境)を認識し、価値判断をし、世界(環境)に働きかけるための拠り所(媒介)としている言葉や記号、感じたり考えたりしていることを「現地の位置関係を表す地図」にたとえて、次の3つの基本を忘れないように心がけています。 ・地図は現地ではない。 (言葉や記号やモデルはそれが表わそうとしている、そのものではない。私が感じたり考えたりしているのは世界そのものではない。私が見ている世界は私の心の内にあるものの反映ではないか。) ・地図は現地のすべてを表すわけではない。 (地図や記号やモデルでは表わされていないものがある。私が感じたり考えたりしていることから漏れ落ちているものがある。) ・地図の地図を作ることができる。 (言葉や記号やモデルについて、私が感じたり考えたりしていることについて考えたり語ったりできる。)